オンライン飲み会をやってみた!:
新型コロナウィルスに感染しないために、三密を避けて、stay at home を続けているので、新しい試みとして、今人気のオンライン飲み会を早速、東京と横須賀と小諸の3カ所を無線LANで、繋げて、LINEのフェイスタイムで、5人で、家族飲み会をトライしてみた。もう何年も前から、インターネットの光ファイバーが開通してからは、基本的に、電話ではなくて、無料ネットアプリを活用して通信電話代を節約する方策を講じてきた。考えてみれば、新しいICT技術を試してみては、使わない手はない。今は亡き父は、若い頃から、仕事の関係からもあったのであるが、未だ、当時は珍しかった電気製品が発売されると、蛍光灯、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、ステレオ、冷房空調機、そして、自家用自動車と、片っ端から、新しい技術革新の恩恵を自ら、試行錯誤しながら、生活の中で、試しては、アップデート、更新していったことを、子ども心に、想い出す。更には、70歳を過ぎてから、英語もよく分からないのに、東芝ルポやシャープ書院ワープロから、何と、NEC98の未だ、出始めの頃、プラスチックの板状のフロッピーの初期の時代に、コンピューター操作を独学で勉強して、手紙や住所録をパソコンで作成し始めたのには、全く驚かされた。そのせいなのかどうかは分からぬが、息子の私にも、そんな血が同じように、流れて、受け継がれたのか、同じような歳になって、オンライン飲み会を試してみたくなった。それにしても、画面を見ながら、それぞれ各自の顔と表情を観ながら、食事したり、お酒を飲みながら、会話できることは、なかなか、興味深いものである。互いに、何を食べているのか、何を飲んでいるのか、カメラで、一品一品を映し出し、評価したり、更には、画面の人物の顔に、カチューシャをつけたり、髭をつけたり、豚の鼻に加工したりと、全く、原宿で、その昔、流行った写真の加工が、簡単にリアルタイムの会話の中で、簡単にでき、おまけに、その画像が記録されたりと、何とも、操作を教えたり、教えられたりと、いやはや、試してみないとわかないことが、多いものである。
今回の新型コロナウィルス禍による緊急事態宣言の全国的な宣言のなかで、テレ・ワークが奨励されて、自宅での協働作業やWeb会議の開催やら、既に、これまで、技術的に不可能であるとされてきた職種でも、生産現場や土木建築現場でも、接客業種でも、否応なく、技術関心という眼に見えない形での<行動様式の変化や意識の改革>が、水面下で、現在進行中である。出来ないとか、不可能ではなくて、どのようにしたら、部分的にも、実施可能になるのか、どんなアプリの開発が可能になり、どのように、実現してくるのか、今後がおおいに、期待されてやまない。単に、今回の教訓は、一度限りに止まることなく、間違いなく、将来、今後、何度も、繰り返し、ウィルスは変容し、我々を、襲ってくることは、間違いことであろう。様々なセイフティーネット策を駆使して、速やかに、国と首長の無用な対立を克服して、災害弱者を、フリーランスや、個人事業主を救済しなければならないことは言を俟たない。それでも、過去に、ペストが、中世に宗教国家から国民国家へと変容させた如く、今日の社会をも、そんなことには目もくれずに、確実に、感染症は、何らかの変革をもたらすことは間違いないであろう。残念ながら、危機は、変化を生み、そして、<行動様式の変革と意識の改革>をもたらし、それが、又、同時に、技術革新を促進し、互いに、インターアクティブに、相呼応しながら、<あらゆる軋轢と矛盾>を、決して忖度することなく、一方的に押し流してゆくことになるのであろう。そして、その時には、我々は、<一体、どんな社会の中で、生きてゆかなければならない>のであろか?又、その時には、我々は、どんなツールを持っているのであろうか、それとも、そんな武器は、有していないのであろうか?また、持っていても使いこなしていないのだろうか?それでも、どんどん、我々を置き去りにして、ICT技術は、進化して、自己革新してゆくのであろう。そして、その時に、自分は、果たして、ついて行けるのであろうか?流石に、ウーンと唸ってしまうかもしれない。もしも、生きていれば、今年101歳の父に尋ねてみたら何というであろうか?