祢津東町歌舞伎、「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」を愉しむ:
今春に、祢津東町歌舞伎舞台で野外での地芝居を満喫したが、更に今秋には、満員札止め盛況の市民会館での公演である。私の家は、行政区域では、小諸市に属するものの、御牧ヶ原の里山だから、行動半径はどうしても、旧北御牧・東部町にお世話になってしまうのは実に皮肉なことである。何でも、開演前の解説によれば、長野県には、地芝居の保存は、大鹿村などの天竜川系が、有名であるものの、千曲川系のそれは、今や、東御市の祢津の東・西町のみになってしまったらしい。その理由としては、徳川家の直轄知行地であったことが関係しているらしく、江戸との連絡の際に、農民やお供のもの達が、江戸歌舞伎を当時から堪能して、この娯楽文化を自分達の故郷にも、根付かせたいという強い思いから、今日まで、伝承されてきたものであるらしい。それにしても、260年以上もの長きに亘って、地道に、地芝居として、田舎歌舞伎の伝統文化が、今日まで、幾世代にも亘って、職業や年齢・世代を超えて、継承されてきたことは、大変な無形文化財であり、確かに、千曲川無形文化遺産というものでもあれば、顕彰されてもよいくらいのものであろう。併設展示されていた歌舞伎史資料展の写真や旧い資料を眺めると、まだ、テレビや映画などの娯楽が無かった時代でも、終戦の翌年の物資が乏しい頃にも、人々は、勇んで、自費で、再興に努力し、喜び勇んで参集している多くの住民達の明るい顔が見られる。江戸時代からのそういう観客や地元の役者の熱情を、今日、想像するだけで、何か、気持が和らいでくる。歌舞伎という伝統芸能野田市ものを通じて、何代も前のご先祖様が、どのような気持で、同じ芝居を観たのかを想像するだけでも、場所を超越して、当時の時間を一緒に共有することは、実に、価値があるのではないだろうか?ずっと、墓参りなどより、身近に、先人を感じることになろうか?それにしても、長い台詞・口上を、素人衆が良く憶えるだけでなくて、うまく芝居をするものである。しかも、舞台装置や大道具や小道具も、役者兼大工さんやイラストレーターさん達が、手仕事で、器用に製作したそうである。これにも、又、驚ろかされてしまう。来年春には、野外の東町歌舞伎舞台が、その観客席の土手一面が芝生に蔽われて、屋根瓦や舞台も改修されるそうである。これ又、楽しみなことである。入口付近で、「祢津煎餅」が、復活、振る舞われたが、これは、同地区出身の著名な画家である丸山晩霞画伯が、磯辺鉱泉煎餅のような味の煎餅に、12名勝風景画のデザインを刻印して大正の頃まで販売されていたものの復刻版であるらしい。こういうものを地元のツルヤ等のスーパーや産直売り場、高速道路のSA、道の駅にでも、PB商品だけでなくて、販売して貰いたいものであるが、、、、、。「祢津歌舞伎煎餅」とか謂うブランドで、しかも、保存協賛支援金込みとかで、観光協会も、もっと、支援すべきではないでしょうか?「祢津歌舞伎揚げ煎餅」というものも、販売してみたら良いのではなかろうか?デザインも、研究してみたら、面白いのではないでしょうか?何も、高いお金を払って、新装なった東京、東銀座の歌舞伎座に行かずとも、年に、2回の公演で、様々な演目を堪能させて貰い、先人との時間を共有できれば、実に、愉快なことである。演目に先立って、舞われた開幕儀式としての「三番叟(さんばそう)」も、なかなか、見事なものであったし、舞台右端に位置した義太夫と三味線も、野外舞台では、顔しか見れなかったが、室内では、身振り手振りまで、しっかり見えて、とても、興味深かった。黒子・貢献・裏方、皆、保存会の皆様、ご苦労様でした。又、次回が、おおいに愉しみになった。入場料が、無料であっても、保存会支援のカンパの募金箱があっても良いくらいの盛況であった。平家物語の敦盛・熊谷直実・義経を題材にした、「闘いの世の無常と人生の儚さ」を描いた、江戸古典歌舞伎の人気作の粗筋などは、下記参照して下さい。舞台に登場する「桜の制札」に書かれている、「桜の花の枝を一本切り取る者がいたら、指を一本切って捨てるぞ」という花をこよなく愛でる愛護する制札に因んで、「一枝を斬らば、一指を斬る」は、「一子を斬る」という意味に、同じ「シ」の音で、敦盛の首の謎かけになっていることも、初めて知りました。
参考までに、豆知識用HP: ご参考まで、
歌舞伎、「一谷嫩(ふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」のあらすじ:
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/16/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%B0%B7%E5%AB%A9%E8%BB%8D%E8%A8%98
「祢津煎餅」とは:
http://www.ueda.ne.jp/info/2013/0905-2.html「三番叟」とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%AA%E5%8F%9F
今春に、祢津東町歌舞伎舞台で野外での地芝居を満喫したが、更に今秋には、満員札止め盛況の市民会館での公演である。私の家は、行政区域では、小諸市に属するものの、御牧ヶ原の里山だから、行動半径はどうしても、旧北御牧・東部町にお世話になってしまうのは実に皮肉なことである。何でも、開演前の解説によれば、長野県には、地芝居の保存は、大鹿村などの天竜川系が、有名であるものの、千曲川系のそれは、今や、東御市の祢津の東・西町のみになってしまったらしい。その理由としては、徳川家の直轄知行地であったことが関係しているらしく、江戸との連絡の際に、農民やお供のもの達が、江戸歌舞伎を当時から堪能して、この娯楽文化を自分達の故郷にも、根付かせたいという強い思いから、今日まで、伝承されてきたものであるらしい。それにしても、260年以上もの長きに亘って、地道に、地芝居として、田舎歌舞伎の伝統文化が、今日まで、幾世代にも亘って、職業や年齢・世代を超えて、継承されてきたことは、大変な無形文化財であり、確かに、千曲川無形文化遺産というものでもあれば、顕彰されてもよいくらいのものであろう。併設展示されていた歌舞伎史資料展の写真や旧い資料を眺めると、まだ、テレビや映画などの娯楽が無かった時代でも、終戦の翌年の物資が乏しい頃にも、人々は、勇んで、自費で、再興に努力し、喜び勇んで参集している多くの住民達の明るい顔が見られる。江戸時代からのそういう観客や地元の役者の熱情を、今日、想像するだけで、何か、気持が和らいでくる。歌舞伎という伝統芸能野田市ものを通じて、何代も前のご先祖様が、どのような気持で、同じ芝居を観たのかを想像するだけでも、場所を超越して、当時の時間を一緒に共有することは、実に、価値があるのではないだろうか?ずっと、墓参りなどより、身近に、先人を感じることになろうか?それにしても、長い台詞・口上を、素人衆が良く憶えるだけでなくて、うまく芝居をするものである。しかも、舞台装置や大道具や小道具も、役者兼大工さんやイラストレーターさん達が、手仕事で、器用に製作したそうである。これにも、又、驚ろかされてしまう。来年春には、野外の東町歌舞伎舞台が、その観客席の土手一面が芝生に蔽われて、屋根瓦や舞台も改修されるそうである。これ又、楽しみなことである。入口付近で、「祢津煎餅」が、復活、振る舞われたが、これは、同地区出身の著名な画家である丸山晩霞画伯が、磯辺鉱泉煎餅のような味の煎餅に、12名勝風景画のデザインを刻印して大正の頃まで販売されていたものの復刻版であるらしい。こういうものを地元のツルヤ等のスーパーや産直売り場、高速道路のSA、道の駅にでも、PB商品だけでなくて、販売して貰いたいものであるが、、、、、。「祢津歌舞伎煎餅」とか謂うブランドで、しかも、保存協賛支援金込みとかで、観光協会も、もっと、支援すべきではないでしょうか?「祢津歌舞伎揚げ煎餅」というものも、販売してみたら良いのではなかろうか?デザインも、研究してみたら、面白いのではないでしょうか?何も、高いお金を払って、新装なった東京、東銀座の歌舞伎座に行かずとも、年に、2回の公演で、様々な演目を堪能させて貰い、先人との時間を共有できれば、実に、愉快なことである。演目に先立って、舞われた開幕儀式としての「三番叟(さんばそう)」も、なかなか、見事なものであったし、舞台右端に位置した義太夫と三味線も、野外舞台では、顔しか見れなかったが、室内では、身振り手振りまで、しっかり見えて、とても、興味深かった。黒子・貢献・裏方、皆、保存会の皆様、ご苦労様でした。又、次回が、おおいに愉しみになった。入場料が、無料であっても、保存会支援のカンパの募金箱があっても良いくらいの盛況であった。平家物語の敦盛・熊谷直実・義経を題材にした、「闘いの世の無常と人生の儚さ」を描いた、江戸古典歌舞伎の人気作の粗筋などは、下記参照して下さい。舞台に登場する「桜の制札」に書かれている、「桜の花の枝を一本切り取る者がいたら、指を一本切って捨てるぞ」という花をこよなく愛でる愛護する制札に因んで、「一枝を斬らば、一指を斬る」は、「一子を斬る」という意味に、同じ「シ」の音で、敦盛の首の謎かけになっていることも、初めて知りました。
参考までに、豆知識用HP: ご参考まで、
歌舞伎、「一谷嫩(ふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」のあらすじ:
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/16/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%B0%B7%E5%AB%A9%E8%BB%8D%E8%A8%98
「祢津煎餅」とは:
http://www.ueda.ne.jp/info/2013/0905-2.html「三番叟」とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%AA%E5%8F%9F