小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

邦画、「許されざる者」を観る:

2013年09月28日 | 映画・テレビ批評
邦画、「許されざる者」を観る:
クリント・イーストウッドの1992年公開の「許されざる者」の李相日監督(フラガール、悪人)による日本版リメイクだというので、あまり、期待せずに、観ることにしてみたものである。人間の記憶というものは、いい加減なもので、イーストウッド作品の方は、確かに、渋谷東急か、新宿だったかは、忘れてしまったが、確かに観た覚えがある。しかしながら、よく、その話の筋が、思い起こせない。但し、どういう訳か、イーストウッド(渡辺謙)とジーン・ハックマン(佐藤浩市)とモーガン・フリーマン(柄本明)の3人は、頭の片隅に残っているのは、不思議である。「(荒野の)用心棒」ではないが、ストーリーを似せただけのリメイクだけではなしに、全く、「新しいオリジナル・ストーリー」として、その時代背景は、皮肉にも、1880年代の南北戦争後のワイオミングと明治初期の蝦夷地の開拓という時代性軸を同じくしながら描くと言う手法は、なかなか、興味深いものがある。上述の主役の3人は、別にしても、オーディションで選ばれた、柳楽(やぎら)優弥、勿那(くっな)汐里、等は、なかなか、将来が嘱望されていて、面白いキャスティングであろうか?脇役陣も、なかなか、くせ者で、個人的には、國村隼(長州の士)、滝藤賢一(ジャーナリスト役)、小池栄子、近藤芳正(酒場の亭主)、小澤征悦、等が、なかなかの好演ではなかったか?それにしても、明治期の蝦夷地開拓とは、言葉で、「開拓」と言えば、響きは宜しいが、所詮、先住民の「アイヌ民族」との言われなき差別と弾圧、「倭人とアイヌ民族」そして、旧幕府軍残党狩りにみられる、「官軍と旧幕府軍」との闘い、或いは、この物語に出てくる「女郎」という底辺で、「法と秩序」というある種、監獄のような世界で、声も上げられずに、底辺で生き抜かなければならない間達の生き様というか、死に様を見せつけられることになる。それは、北海道という大自然のオープン・セットや、過酷な雪の中での撮影シーンと良い、リメイクとはいうものの、それは、むしろ、イーストウッドと渡辺謙・ワーナー日本法人による、「硫黄島からの手紙」の固い絆のコネクションだけではないもの、即ち、「リメイクを超える何ものか」が、「殺し合い」というものを通じて、何か、新しい息吹きを吹き込んだものだったからこそ、作品が許可されたのではないかと思われるが、、、、、、一寸、言いすぎであろうか?所詮は、勝ち残った者、即ち、生き残った者達だけが語れる歴史であり、ここに登場するジャーナリストは、どのように、後世、書き残したのであろうか?奇しくも、1865年には、南北戦争が終結し、その戦後、1880年代のワイオミングと、明治初期の蝦夷地の同時代性は、何とも、被差別先住民族、アイヌ民族・インディアン、北軍・南軍、官軍・旧幕府軍、虐げられし人々と権力者、法と秩序、など、現代に、置き換えると、どんな言葉が、当てはまるのであろうか?なかなか、考えさせられるテーマでもあるが、、、、、、。DVDで、今度は、20年前のオリジナル作品を観てみることにしようか、、、、、、、、。「一粒で、二度美味しい」かも知れない。



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