私の議員生活の恩師であり尊敬する石川孝雄先生のお義母さん(95歳)が亡くなりました。お義母さんは私の母と同じ介護センターコスモスでお世話になっていた方です。亡くなった日の午前中、私事で石川先生に相談にのって頂いていた日だけに大変なご迷惑をおかけしました。お義母さんのご逝去に心からお悔やみ申し上げます。
私が市議会議員になりたての頃、質問のことで石川先生宅に何度もお邪魔したことがありました。その頃はお義母さんも元気で、いつも笑顔で応対してくれたことを忘れません。祭壇に飾られた笑顔の素敵な遺影を見ながら、何故かしら21年前のことを思い出しました。
私がまだ勤医協苫小牧病院(35歳の時)で働いていたときでした。石川先生から「電話で済む話ではないので直接会って聞いて欲しい」との相談でした。
話を聞いて、私は耳を疑いしました。「・・・2年後の市議会議員選挙の候補に・・・」と言う想定外の話で驚きました。当然、即決は出来ず「検討させてください」と返事するのが精一杯でした。当時、今の私を見てそんな話をしても首をたてに振る人はいないと思いますが、私なりに悩んだことは、不特定多数の人前で話しをすることが大の苦手であったこと。しかも、市議会で論客派の一人である常野廣昭元議員(6期)の後継者としての位置づけの候補者であること。後日のこと、そんな心配をよそに石川先生は「最初から完成された人間はいない。苦手意識は努力すれば解決出来る。当選したら一人前になるまで面倒を見るから・・・」と巧みな話術で激励され決意しました。私が2期目に挑戦するとき「道議選に挑戦するので、頑張れヨ!」と激励されたものの、「先生、僕を(一人前に)面倒見るとの約束はどうなるの?」と伺うと、ニツコリ笑いながら「そんな約束したか?もう独り立ちしているから自身を持ちなさい!」とぼかされました。正直、常にプレッシャーとの闘いがありました。何を置いても勉強を基本に調査活動や要望活動に全力投球してきました。議員の仕事は、市民の願いを行政に届け、行政のチェック機能を行う。そして行政と一体に住み良いまちづくりを進めるための提言も行うことを原点に、議員生活19年目を迎えました。石川先生の21年前の“声かけ”がなければ政治の世界とは無縁でした。
まだまだ完成度の低い議員活動ですが、素人が行政のプロに質問する以上は、その原点は“勉強”以外にありません。その原点はいつも市民生活のなかにあります。