北風の影響で街路樹の枯れ葉が我が家の玄関前にたくさん集まってきます。ほうきで集めるより面倒でも1枚1枚拾った方が早いのですが、街路樹を見るとまだまだ葉が残っていて、拾っても拾っても飛んできるので・・・もう少しの我慢ですネ。
引き続き、被災地視察パート3。今日は、山田町~大槌町~釜石市の実態について書き込みます。
視察日程が11/10ということで震災後8ヶ月目でした。宮古市を午前9 時にスタートし、一路岩手県で生産量1位の“殻付きカキ”のまち“山田町”に。津波に よって綺麗な海岸沿いに建設されていた介護施設の跡地を視察しました。その近くで“復興カキ小屋”のノボリが見えました。車窓からは“瓦れき”の山積み、津波で海岸沿いの住宅が消えているところがたくさんありました。(添付写真)
貸し切りバスは1時間後に“大槌町”に到着。町長さんをはじめ多くの町役場の職員が津波で犠牲になったところです。添乗員は、 「庁舎が耐震化されていないため、地震発生後、町長が管理職を含め全員を外に出し、役 場前の空き地にテントで緊急災害対策本部を立ち上げたそうです。その結果が・・・・」と説明してくれました。海岸には防潮堤があり、「まさかここまで“津波”が襲ってくるとは誰もが考えていなかった」と思います。津波の破壊力は残骸となって残された役場内を見ると一目瞭然です。(添付写真)役場の正面玄関の壁に時計が残っていましたが、3時29分に津波が襲ったことが判ります。
その日、最後の視察地である“釜石市”に着いたのは午前11時過 ぎでした。街並みは宮古市とは違って、“瓦れき”対策が遅れていました。戸建てや事務所などの建物には、黄色、緑などの旗が建てられ、全壊は撤去などの 目印でした。釜石市内では、まだ交差点の信号機が作動していないところがあり、幹線道路が復旧後にも人身事故などが起きているそうです。私たちは、釜石港付近にバスを止め、現状を見てきました。港周辺の商店街は壊滅的で修復されていません。高台にある家は助かったものの、港の防潮堤近くの民家は津波が襲った時の 状況がそのままに残されていました。(添付写真)
被災地視察を終えたのはお昼時でした。その足で“いわて花巻空港”から神戸に移動。神戸のホテルに着いたのは午後7時頃でした。(疲れましたが実りある視察!でした)
神戸市では、11日の午前中に県立「人と防災未来センター」を視察。年間50万人が来場している施設で、修学旅行や女性団体など会場は混雑していました。震災後に来場者が増えているそうです。
今回の視察の成果は、市議会(特別委員会)の半分の議員が直接被災地を見て、その教訓などを苫小牧市の安全・安心なまちづくりをすすめて行く上で共通の認識にたったことだと思います。国は直ちに被災地復興の手だてを具体的に支援することです。思いやりの気持ちは米国ではありません。日本国民の暮らしを守ることが強く求められています。