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たくさん集まりました!さよなら原発in苫小牧集会

2011年11月23日 16時37分40秒 | インポート

 外気温は7℃でしたが、「さよなら原発in苫小牧」集会の会場となった市民会館205号Cimg0280 室には、用意したイスが足りなくなるほどの市民が集まり(主催者発表では130人超)、逆に蒸し暑さを感じました。参加者全員が「原発に頼らない。自然再生エネルギーへの転換を」と確信できる集会となり大盛況でした。

集会では、大震災の時に福島原発から52㎞Cimg0282 (福島県伊達市)に暮らしていた被災者である宍戸隆子さんから切実な訴えを聞いて自然に涙が出てきました。

「私は、自主避難をして現在札幌市に住んでいます。いまは、泊原発廃炉訴訟の一員に加わりました」と自己紹介しながら、切々と訴えます。

生まれは、福島第2原発の近く(5㎞)の富岡町。高校時代に同原発の原子炉内で起きたトラブルから原発に対する不安を持ち続けでいました。今回の事故で自分自身が一番悔やむのは、「3.11大震災の時、自動車部品会社で勤務中でした。天井が落下し、『原発もただでは済まない』と直感。あの時(高校生時代)に考えた行動(原発を止めること)をしていたら・・・」と話しはじめました。私に出来ることは、二人の子どもを放射性物質から守るため、外出時にはマスクの着用、家中の窓にガムテープで目張り・・・周囲から変な目で見られたようです。春休みに避難しょうと思ったが、PTA活動などを担当していたので出来なかった。4月に「土壌の除染、避難をしては・・・」と提起しても「国は安全だと言っている」と誰も同調してくれなかったそうです。そうした経緯から、子どもを守るために6月に自主避難を決意したとのこと。「(避難して)普通に空気が吸えるようになった・・・」のひと言に(私は)胸が熱くなりました。

地域性や風土の違いは想像を超えるものがあります。ブログで自主避難の状況を書き込むと、「お前は責任を取れるのか」、「裏切り者!非国民・・・」と非難の書き込みが。そして友人から「貴女のやっていることは“福島”を壊すことになった!」と言われショックを受けたそうです。

自主避難者(持ち家も仕事も放り出し)は補償の対象となりません。宍戸さんは「自主避難者にも権利を認めてほしい」と原子力損害賠償紛争審査会で訴えています。

最後に、「福島を繰り返してほしくない。北海道には泊原発が1ヶ所だけ。苫小牧にも無関係ではない。ぜひ、泊原発を止めてほしい」との訴えに、(その通り)大きな拍手がありました。

集会では、誰でも講師になれる「原発にさよならを・脱原発Q&A」と題して横山先生が資料を元に講演してくれました。先生は、「・・・その場の雰囲気ではダメ。しっかりした視点(3点)を持つことの大切さ」の提起は、誤ったマスコミ情報や原発推進派などの言い分に反論出来ることを示唆してくれました。

休日の集会は人が集まらない、と言われますが大盛況で大変勉強になりました。