レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

おみくじ

2025年01月07日 08時44分54秒 | エッセイ

お正月に初詣すると、占いのようにおみくじを引きます。

夫曰く、若い日叔父とお詣りしてクジを引いたら大凶だった。
そこで、別のところで再度引くとまたもや大凶。
それを知った叔父に、こっぴどく叱られた。

お詣りの作法を説いた神主。

お詣りの前日は、四つ足を食べるな。
肉食は控えなさい。鶏、卵、魚は食べても良いと言う意味です。
野菜果物、魚は神前に供えられています。

神様にお願いしたことのご返事として「お下がりを頂戴します」とおみくじを引くと、お答えがある。

大吉でも良いのと悪いのがあります。

母が、がんを患っていた時、病気平癒をお願いしておみくじを引きました、

古葉散って、春に花咲くと書いてありました。ああ助からないと思いました。

おみくじは神社に結びつけず、持ち帰って熟慮せよが、神主の教えでした。

若返るんじゃないし、もういいと言っていた母は、正月松の内に逝きました。
金翌年翌年で、死に顔は美しかった。

そして3月、弟の次男と私の長女が志望大学に合格しました。春に花咲くとはこれでした。

神主は、人の悩みを聞き解決ヘ導いておられました。

ある日、先祖の因縁と自身のそれまでの行いによって現在があるので、60歳過ぎたら助けることは出来ないとおっしゃった。

私は還暦を過ぎた頃から、おみくじが当たらなくなって、以後はおみくじ引こうとも思わなくなりました。
そして、お詣りしたら、住所氏名年齢(数え年)を言って、参拝できた事と日頃の感謝を申し上げています。

願掛けしたら、がんもどきが必要です。

祈願したら、結果報告するが、がんもどきです。


愛子さま

2024年11月13日 10時38分00秒 | エッセイ

愛子様が、皇后雅子様のお腹にいらっしゃった頃のことを思い出します。

テレビで「お答えします」で有名だった占い師の田中さわさん。
長らく噂は途絶えていましたが、そのお名前は忘れてはおりませんでした。

その頃、どこかで読んだ週刊誌が、彼女にお腹の赤ちゃんの事を質問した記事が載っていました。

「皇太子ご夫妻にはこの子以外、お子様は生まれません。
将来、国民にとっても信頼される立派な天皇になられます」

私は勝手に、親王様だと思い込みました。
お生まれになったのは内親王様。

田中さわさんは、性別はおっしゃらなかった事を思い出しました。

そして、国民が愛子天皇待望論、国連からの圧力。

しかし立太子礼で決まられている秋篠宮様。


白木みのるさん

2022年11月13日 06時10分44秒 | エッセイ

2年前に亡くなっていたとの訃報がありました。
白木みのるさんは島根県の出身だったと、この際知りました。

鳥取県の西部地方の田舎で私は生まれました。
村はずれの近隣の集落に近い側に小学校はありました。

集落の公民館は、明治大正時代は裏山に奉安殿(今上天皇の御影を安置)のある小学校だったとのこと。

公民館では青年団の演芸や、映画、神楽、ドサ回りが時々公演されました。
昼間は仕事があるから、公演は夜と決まっていた。

小学校の4.5年生だったでしょうか、初めて一人で見に行くことを許されました。
子供か大人かわからない小柄なスーツ姿の男性が舞台に立ちました。

「田端あきおちゃんです!」と紹介されました。

甲高い声で歌う彼を驚きを持って見入った。

まるでスターのように数曲歌った後、ブロマイドの販売が始まった。
握りしめていた10円玉で思わず買った。

帰って「ダラズがぁ(馬鹿が の方言)」と叱られた。

ガリ版印刷のようなハガキくらいの大きさのモノクロのブロマイド。

てなもんや三度笠が放映されると、え、あの人だと思った。
あれだそうなと大人達の間で語られた。
うちの家族は誰も見ていないから、自分の部屋でブロマイドをまじまじ見つめた。

私は高校を出て京都へ。
置いてきたブロマイドは教科書と共に処分されたのだろう。
今、あったらと思う。


縁遠くする家相

2022年02月17日 09時14分24秒 | エッセイ

当たるも八卦、当たらぬも八卦と言われ外れてもやっぱりと恨みもしなかった。
統計学だからね。

家相もやはりそのようです。
住んでる人の性別や生年月日によっても変化するとなれば、おさらのことです。
トイレ、風呂場、井戸(水道の流し台)、かまど(コンロ)など方角の家相を重視していました。
現代は、昔のようにボットンではなく、水洗で敷地内にとどまることは無くなりました。

家相は新時代を迎えています。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と妻あてに簡潔な手紙を送った本多作左衛門重次。

遅くなって授かった仙千代丸を慈しみ、馬にしっかりエサを与えよ なのでしょうか。
馬小屋は敷地内の何処にあったのでしょう。
家の裏の下座にあったでしょう、玄関脇の馬小屋など見たことないでしょう。


現代の馬小屋と言えるのはガレージでしょう。
どんなに高級車でも餌(燃料)を与えて排気する馬です。

太陽が東から昇る限り、家には自然に上座と下座が生まれます。

玄関が東向きの家は北側が上座。北向きの家は東側が上座。西向きは北と、東が上座。南向きは北と東が上座。

すなわち、北と東は上座です。
ガレージは西か南(下座)に設けると良い。

神社は南面北座(北に座って南に向く)が多い。
京都御所もそうです。
左京区は東側、左大臣が上。

家にマイカーの無かった時代は、一人では食べてゆけなくても二人だとなんとか暮らせる物だ、と周りから縁談を押しつけられて大半が結婚した。
ガレージが上座にある家は、縁遠い子が出る。

体験例を書いてみます。
高学歴で収入も多い一人息子が、結婚を拒むと悩んでいた人がいました。
そこは西向きの玄関で北側にガレージのある借家でした。
重役だった父親が定年退職して帰郷し、先祖の敷地に邸宅を構えました。
数年後、孫が小学校に上がったと聞いたのは良い家相だったことでしょう。

上の子供達はすでに家庭を持っている夫婦が、学生の下の子を連れて転居してきました。
南向きの玄関で、東側にガレージがある。
大学院を終えて仕事についてすでに四十代の下の子は同居はしていないが、独身である。

子供だけ別のアパートに住んでいても意味が無い。
結婚して戸籍を持つ事で、親の家の家相を離れるのです。

姉弟が数人いる中でたった一人だけ結婚する場合もある。
適齢は個人差があり、その適齢期に本縁の相手に巡り会えていた場合であり、これぞ統計学という所以です。

 

 

 

 


霊感

2020年08月21日 16時35分49秒 | エッセイ

 パート先で知り合った3歳年上の八重子さんは霊感のある人でした。
 子供は無かったがご主人とは仲良く暮らしていました。
 ご主人の姉が自殺して、成仏できない苦しみから弟であるご主人にとりつき病気にした。
 医者は治せなくご主人は亡くなった。

 自殺者の中には、憑依霊によってあの世へ取り込まれると霊能者の本で読んだことがある。
 理由が分からない自殺者がそれに当たるかもしれない。

 同じ会社でも部署の違う八重子さんの職場にはボスがいて「今度の休みにみんなで琵琶湖でバーべキューしよう。来ない人はバツとして2000円出して!」と言われたとか。
「行くの嫌やねん、湖で死んだ人がうじゃうじゃいるねん」

 所用があって我が家へ来て、道路に自転車停めて花壇の柵越しに話して別れた。
 夜、電話あり。
「その辺で交通事故無かった?」
「あった、去年の夏の深夜、正面衝突で若い女の子が死んだ。ハンドルにうつぶせて、クラクションが鳴りやまなかった。
 母親が、毎日お供え物持って道路端に来てたよ」

「まだそこにいるよ。帰ってからしんどくて3時まで寝たわ」

 死んだ場所にお供え物する風習はマスコミを通して世に根付いた。

 死後49日の間ははこの世で好きなところへ行ける。
 心(魂)だけで肉体が無いから、外国へでも不倫のベッドをのぞきにでも、瞬時に行ける。

 仏教で49日、神道で50日でお迎えが来てあの世へ旅立つ。

 死んだ場所は、皆さんがお供えを持ってきて下さって楽しい。
 行きたくないとお迎えを断ると、二度と迎えは来ないので成仏できないで地縛霊(その場所に縛られた幽霊)となる。
 
 死んだ場所にお供えして手を合わせると憑依されるおそれありと霊能者の本。
花を供えてあるところを通るとき私は、『こんなところにいるな!天国へ行け!』と心で叫んで通ります。
天国はキリスト教、仏教は極楽と言うそうですが。

 八重子さんは、会社の倉庫の男の霊にも助けを求められた。
 近所の方々と共に見舞に行った市民病院の駐車場で、死んだ患者の女性が薬指の間から入ってきて頭が割れるように痛い、脳の病で死んでるわと言う。

 冷たい思いをしている霊がついた時は、煮えたぎる鍋のお湯に手を突っ込んでもやけどしなかったと。
 酒好きや、甘党の霊の時は、多量の飲酒、饅頭食べたくなるが、供養を重ねて天界に送るとなおると言っていた。
 戦時中、上官にいじめられて、無念で死んだ叔父を送った時、七色の尾を引いて昇って行った。
 
 有縁無縁、八重子さんに憑依した霊を、自宅の仏壇で数か月かけて供養して成仏させた。
 大きな寺院の塔頭の庭で育ち、自然に仏教に帰依していた八重子さん。

 八重子さんは言う「そやけど、自殺者は成仏させられへんわ。主人の姉はまだ鴨居にいるよ」

 母の葬儀を済ませて帰った私に「お母さん、来てはるよ、私と話してる時、私にずっと話しかけてる女性がいた、あんたのお母さんや」と電話が来た。
 母はきっと方言でしゃべり、八重子さんには意味不明だったろうけど、と思ったけど母は私の家にいると思った。
 わが家は南無阿弥陀仏だが、実家は南無釈迦牟尼仏、幸い仏壇の隣にお釈迦様を祀っている。
 夫も私も得度している。
 毎日お釈迦様の前で母の戒名を言って経文を上げると10日くらいでロウソクの火がバチッとはぜた。
 頭から薄い絹がとれたような気がしたので、母が帰ったと思った。
 父に電話したら、近くに母がうろうろしてるように感じていたと言った。

 八重子さんのお母さんは彼女を連れて離婚して、再婚した。
 育ててくれた義父は優しく、実母は厳しく、生まれた弟や妹の子守ばかりさせられたが、母方の祖母が優しくしてくれたと感謝していた。

 実父の死を霊感で知って、青春18切符で旅費を持つからと同行を乞われた。
 外観を見るその生家は、豪農のたたずまいでした。

 正社員の上司が嫌だからやめると彼女が去って数年、疎遠だったある日「子宮がんで入院してるねん」と電話があった。
 「見舞いに・・・・・」
 「来んとき、いっぱいいよるねん(死者の霊がうようよしてるの意)」
 「あと一回抗がん剤したら帰る」
 「帰ったら家に行くわ」

 一年近く電話が来ず、彼女の2軒隣に同じ職場の先輩がいたので、電話して尋ねたら亡くなっていた。
 
 八重子さんは、動きやすいとモンペを常用し、顔も背格好も小芋の様な雰囲気の女性でした。
 隣人が、お母さんの写真を見せてもらった事があったけど、すごい美人だったと言った。

 八重子さんは母親のことを「あんたが股広げるから私が生まれて苦労する」と母親をなじったと言っていた。
 謎が解けた。美人でモテモテだったお母さん。
 できちゃった結婚、彼女は父親似だったようだ。
 父親違いの姉弟は仲良くしたそうだ。

 有名な霊感のある人を調べてみると、60代~70代半ばまでに逝き、長生きはしないようだ。

 心根の正しかった八重子さんは、あの世で美人だろう。
 肉体を捨て、天界に行くのは心だけ。
 肉体が亡いから、思っていること丸見えだからこの世でウソをつくくせのあった場合辛いだろう。
 お金も財産も置いていく、整形した美しい肉体でも捨てて行く。

 この世は100年、あの世は1000年以上。
 この世は心を磨くためにあるのでしょうか。

 ご冥福をお祈りいたします。ウソつけ!

 
 

 


おむすび伝説

2020年03月27日 08時47分34秒 | エッセイ

♪おむすびころりんすっとんとん と歌われる童謡があります。
俵の形、花の形など、有名弁当、幕の内弁当のご飯の形は縁起のいいおむすびです。

いつのころからか、巷では三角にぎりが主流の様になっています。

元々、三角にぎりはお通夜の席で出されるものでした。
死者や、葬列に加わる人が付けた天冠の形だったのです。

おむすびでは無く、おにぎりです。
特に子供が食べるのは良くありません。
子供の将来を思うなら、お弁当には俵型か丸く結んで持たせるのが良い。
どうしても三角を食べなけらばならない場合は、角に力を加えて丸く結び直して食べましょうと教わりました。