墨汁かと思うような、黒いカケラの残るビンです。
底面のガラスもゆがみ、首の付け根も少し胴体にひずみ込み、古いのですと言っているようです。
わずかにラベルが残っています。
墨汁かと思うような、黒いカケラの残るビンです。
底面のガラスもゆがみ、首の付け根も少し胴体にひずみ込み、古いのですと言っているようです。
わずかにラベルが残っています。
一世を風靡した中原淳一(1913.2.16~1983.4.19)
当時は偽物も多数出て、少女たちは「ホンじゅん」「ニセじゅん」と区別したとか。
昭和13年「少女の友」から。
こちらは単独で発行されています。
慰問絵はがきとして各社が発行しています。
昭和17年8月23日 日曜日
アメリカ大統領。
三面。
戦死者の年齢は記載されていないが、遺族の構成と年齢は記載されている。
その父(47)母(42)弟達(16.13.12.10.7.4)日清日露戦争に従軍した祖父(71)祖母(71)の10人家族とある。
左の写真の戦死した彼は長男で18だろうが、いずれも数え年である。
戦死者数は1人と数えないで1柱とするは靖国神社に祭られる神道式。
漫画はフクちゃん、3コマです。
昭和7年12月7日の朝日新聞京都版です。
在郷軍人関西大会。
桃山御陵に参拝。桃山御陵は明治天皇の御陵である。
現在の歳末助け合い募金の当時の記事です。
同情募金週間ですって。
小学生がお小遣いをカタカナの手紙を添えて募金したという記事と、義金の名目で発表された募金額が載っています。
南座では、年末恒例の顔見世興行が開催中で、その諸評を絵と共に植村松皇画伯が述べられている。
画伯は、かの植村松園さんの御子息で100歳の天寿を全うされた方です。
奇しくも昭和の晩年に、京都高島屋の美術品売り場に単身ふらりとお寄りになっているのを見かけた。
近くの夫人が連れの方に「松皇さんや」と話しておられるのを聞いた。
すらりと長身のお方でした。
年末で洋服のお誂えの広告多し。
そごう呉服店ですって。デパートは皆、元は呉服店ですね。
大阪から船で徳島県へ、乗船切符案内もかねて発行されたています。
昭和10年6月7日 由良要塞司令部検閲済。
欄外に書かれ、詳細を伏せた略図の様で、以前の様な細かさが無い鳥瞰図です。
どこにスパイがいるかわからない、世界的にそんな時代だったのでしょうか。
兵役はあるけど、除隊もあったこの時代、普段は旅を楽しめた。
口のガラスを広げて、紐が外れないように作ったような形、高さ5㎝のコルク栓のビン。
丸薬でも入っていたのでしょうか?
ビンの裾に、山と中のマークのエンボスがあります。
隣の露店に土で作ったタヌキがいました。
毬子・町子・洋子の三姉妹で町子さんの漫画を出版した姉妹社。
新やじきた道中記下巻は、昭和47年6月15日発行、定価280円。
サザエさん21巻は、昭和32年7月25日発行、定価100円。
ガスコンロで羽釜でご飯を炊いている。
御用聞きさんが、吹きこぼれてるのを見つけてガス栓を調節している。
黒足袋に草履履き。
まだ、ありますかと聞きに来て、醤油、米など重いものは届けてくれる、いい時代だ。
新幹線、東京オリンピックまでは、ゆっくり時代が流れていた。
長谷川町子さんは、1920(大正9)・1・30~1992(平成4)・5・27 今年で生誕100年。
ちなみに、私の伯母は1920・1・27~ 今年100歳です。