これは、どこだろうとweb検索すると、同じ絵はがきがあります。屋上ですって。
他にも、
その後再びこんなのも発行されています。
同じ浮世絵師で、住所はどちらも江戸、店の反対側を描いたのでしょうか。
これは、どこだろうとweb検索すると、同じ絵はがきがあります。屋上ですって。
他にも、
その後再びこんなのも発行されています。
同じ浮世絵師で、住所はどちらも江戸、店の反対側を描いたのでしょうか。
奨学金制度も無かった時代。
こちらは、第二次大戦中、女学生が疎開先のお友達に宛てた絵はがきです。
切手収集で、はがしたらしく消印が残っていて、通常はがきの料額印面の絵が描いてあります。
表も裏も落書きだらけ。
「郵便はかき」の「か」が「が」になったのは昭和8年です。
それ以前に製造されたはがきなので、濁点までが書き足してあります。
大正末期から昭和の初め頃の、絵はがきです。
最後に飯澤天羊文案並筆 と書かれていたので飯澤天羊という人をweb検索してみました。
生年は不明で1948年(昭和23年)没の絵本画家でもありました。
よその女中「アラお腰の洗濯ですか奥さんご病気ですか
「イイエあなたは妙な事をおっしゃる 妻の腰巻を夫が洗濯するのがあたりまえじゃありませんか 由来日本人は男尊女卑の幣風があっていけません 世界的デモクラシーの今日 吾輩の如く妻の驥尾に附するの文明的能力が無ければ 時代の廃残者となりますぞ。
土台、婦唱夫 和いなって居らんのが日本人の通融性です」
「アラ日本人じゃ無いでしせう「何がです「日本人ぢや無くて二本棒の事でせう「ハハッ何ちらでも好いですなア フッフッフッ
何のことやら、もっとおもしろい会話かと思ったけど・・・・。
向こうで奥さんがお手玉してるのがおもしろい。
この次には、夫がパンティ洗っていて、向こうで奥さんが足を組んで煙草ふかしてる時代が来るのを、飯澤天羊さんは知らない。
こちらは年賀状に使用されています。画家の印があります。
大正9年は、10月1日、国勢調査元年です。
絵はがきがメディアの役目もしていたとはいえ、未曾有の発行数があった関東大震災の絵はがきの一部です。
書物で見たものはリアルなものでした。
今でも時々見かけますが手に取ろうとは思いません。
消息を書いて貼った紙。
摂政の宮であられた東宮様(後の昭和天皇)のご視察。
孤児院を慰問有らせ給う皇后陛下と説明書き。
この子たちは成人して第二次大戦に会うのでしょうか。
明治時代の絵はがき。歌舞伎の舞台の絵です。
明治の終わりか大正の初めに東京の歌舞伎座発行の絵はがきです。
市川羽左衛門(いちかわうざえもん)
市川高麗蔵(いちかわこまぞう)
尾上梅幸(おのえばいこう)
澤村訥升(さわむらとっしょう)
市川八百蔵(いちかわやおぞう)二枚。
絵はがきをファイルしたアルバムをいただきました。
昔の人の工夫がわかります。
経本のようになっています。
表から挿す穴。
裏から挿す穴。
裏表で二枚の絵はがきはピッタリ重なる。
息子が高校生の頃、友人と部品を買い集めてパソコンを完成させた。
その後すぐにWindows95が出て、搭載した。
ISDNの工事をして、パソコン中は家の電話が使えなかったり。
その後ADSL、そして光になりました。
息子のマウス。パソコンからつながった有線でした
私の買ったパソコン、日立のパソコンWindowsXP、処分前日。
日立がパソコンから手を引いて、Sonyに、Windows7。
動作がのろまになったころSonyもパソコンから撤退した。
日立とソニーのマウスは残さなかった。ソニーの頃からは無線のマウスです。
現在はNEC、Windows10、赤いマウスです。
吉田初三郎の人気で、鳥瞰図画家が多く輩出した時代に「初三郎」、「常光」と一般から呼ばれていた金子常光の十和田湖の鳥瞰図です。
依頼主は「日本名所図絵社」で、初版は大正14年8月10日。
これは昭和4年1月28日第4版です。
鳥瞰図ブームの凄さがわかります。
鳥瞰図は図書館の本でもwebでも、画像のサイズに限りがあり、臨場感に欠けるきらいがあります。