レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

日本國憲法公布記念絵はがき

2024年06月17日 02時40分05秒 | 記念(紀念)絵はがき

昭和21年(1946年)12月27日逓信省発行。

拾五銭と印字されています。

袋の右端に日本繪葉書第一集とあるように、二集以降も予定されていましたが、このセットの価格が定価3圓は高すぎると不評でこの一集のみで終了しました。

逓信省も昭和24年(1949年)には解体される。


帝國議會議事堂記念繪葉書

2024年06月16日 02時21分53秒 | 記念(紀念)絵はがき

国会議事堂。
初代二代とわずかな間に焼失しました。
東京絵はがきに残る二代目です。

現在の国会議事堂は三代目になります。
議院建設本館正面 昭和7年6月と書かれた絵はがきです。
玄関前はまだ未完成ですが、絵はがきです。
東京土産としたのでしょうか、表側にわずかなメモが書かれています。

昭和11年11月竣功記念の絵はがきが発行されました。


大阪商工祭記念絵はがき

2024年06月02日 04時54分28秒 | 記念(紀念)絵はがき

昭和8年の大阪商工祭記念絵はがきです。

タトウ形式の包装です。

切手が貼られスタンプが押されています。
昭和8年から「郵便はかき」が「郵便はかき」表示になりました。

大阪城主の豊臣秀吉です。
画家は鏑木清方です。

商工祭の記念絵はがきは、他の年にも発行されています。


印刷局創立五十年 記念絵はがき

2024年05月27日 13時46分29秒 | 記念(紀念)絵はがき

1871年(明治4年)7月27日 大倉省紙幣局として創設、8月に紙幣寮となる。

現在もある国立印刷局です。

創立五十年の記念絵はがきです。

茶 創業年度

紺 明治10年度

黄 明治20年度

紫 明治30年度

黄緑 明治40年度

青 大正元年度

赤 大正9年度

の棒グラフで各々の成長を表してあります。

スタンプは大正10年10月27日です。関東大震災の2年前です。

郵便はかき

郵便はがき となるのは1933年(昭和8年)です。

料額印面(切手の料金)

内地ニハ壹銭五厘切手 外國ニハ四銭切手。

印刷局著作 朝陽発行

 

 


国勢調査絵はがき等

2020年10月01日 14時47分42秒 | 記念(紀念)絵はがき

1920年(大正9年)10月1日第一回国勢調査が行われました。
今日はその100年目です。

国は臨時国勢調査局から紀念絵はがきが発行されました。

袋の表記に紀念と記念がありました。

神武天皇と八咫烏(やたがらす)
国勢調査ポスター
国勢調査申告書

記念記念切手の図案は国府役人が戸籍書類に署名するところです。
椅子・小机・衣服は考古学者の考証によるものです。

印刷の違いがあります。
依頼した印刷先がいくつかあったようです。

似たデザインで民間からも多数発売されました。

こちらは、タトウのみです。

京都写真師組合からは、

ここから先は所蔵品ではありませんが、

これは、ミステーク。
9月30日、10月1日。月の英語が間違っています。
これでは、10月30日、11月1日です。

この様に、ドタバタしながら、総人口5600万人。
第一回では、新潟県が一番人口が多かったと読んだ記憶があります。
理由は書いてありませんでしたが、佐渡の金山の採掘に家族で移住していたのではと想像しました。

伯母(父の姉)はこの年の1月生まれで満100歳です。

女優の沢村貞子さん(明治41年生まれ)のエッセイによりますと、大正9年11月、全国で30余の銀行がつぶれて、お父様も一夜にして5千円を失われて、当時1万円あれば、小金持ちと言われた時代だったそうです。

第2回は昭和5年でした。日本統計普及会発行です。
切手は当時の日本の領土を示すものです。

昭和5年の国勢調査員に配られたものです。

第2回の統計では6445万人です。ここから一位は東京となりました。

昭和15年です。

昭和25年国勢調査員に配布された万年筆です。

平成27年、インターネットで書き込めるようになりました。

そして、今年2020年令和2年です。