洋服に触発されたのでしょうか。
ちょっと気取ったおしゃれ着として、レースの長襦袢を作ったのでしょう。
この袖丈だと未婚の女性用です。
化繊だと見た目は涼やかでしわにならないけど、綿レースなので涼しいはずです。
裁縫上手というボンドがあるそうです。webから画像拝借しました。
昔もこんなのがありました。戦前のものでしょう。
特許とってあるので、特許庁のホームページからいつのものか調べられるのですが、今日はめんどくさい。
縫うのがめんどくさいから、作られたのでしょうが。
インクビンに混じらせて忘れていました。
ビンのカテゴリーより裁縫用具か、縫わないのに。
ビンのガラスが均等で無いのか薄くて穴が開きそうな部分があります。欠陥容器です。
もっと、容量の大きいのも見たことがあります。
ミシンの宣伝絵はがきなのようです。
ひっくり返してみると、アレアレ絵はがきではありません。
説明文を読むと、3個抽斗の家庭用ミシンで、使用しない時は頭部を唐木の台にしまい込める。
家庭へ無料出張教授すると書いてあります。
ミシンに座っているのは、袖丈から見て独身女性で、メーカーから来て使い方を説明している。
背中越しにこの家の主が見ている。
前から見ているのが主の妻と息子。
畳に座るのは主の母と娘だと想像します。
母も、農家なのでモンペとか、ワンピースとかゴム入りのスカート縫ってくれました。
ウェブで、図書館の本で見た記憶のある浮世絵を発見しました。
夫がお世話になった禅寺の和尚様が「一汁一菜あれば、子供を置いて働きに行くな」とおっしゃいました。
今の人が聞いたらびっくりするでしょう。
そうだなと、工業用の貸ミシンで内職を始めました。
慣れないうちは、一日12時間くらいも、背中を丸めて品物と格闘しても、1000円くらいしかできません。
仕事先からはダメ出し食らって、ほどいてやり直すのに3日かかりましたが、めげずに続けました。
和物から、ブラウスを縫えるようになり、子供の病気や学校行事も家庭の用事も、夜なべして納期を守り、他人より良い品物に仕上げました。
納期は守る、仕事がキレイだと優先的に仕事がとれることがわかりました。
貸ミシンを返して、より性能の良いオーバーロックとコンピューターミシンを買って独立しました。
仕事先を自分で選べます。
バブル期には、高級な仕事がたくさんありました。
バブル崩壊すると仕事は、工賃の安いアジア大陸へ行ってしまいました。
貰っていたブラウス一枚の工賃でスーパーでブラウスが売られているようになりました。
子供が大学生と高校生になっていたのでパートに出ました。
このあたりから成長の無い30年に突入しました。
ロックミシンの方は人に譲って、家庭で必要なことに使っていました。
ある日、ミシンが動かなくなりました。
家庭用ミシンは捨ててしまったし、あっても、工業用を踏んだ人は家庭用は物足りない。
最上級の物を買いました。
要らなくなったら、私が死んだら引き取ってあげるだって。
祖母が愛用していた頭の色が赤のゴム通し、耳かきによく借りていましたので、予備に買っていた紺色の頭のをくれました。
今では形見です。
裁縫箱の中には様々なものを入れてる物だと知りました。
色々な形のゴム通しです。
ガーゼのマスクのゴムを外して、靴下のゴムの補強にしたときは、こちらが便利でした。
プラスティックのもあります。
現在はコレばかり使っています。
和裁用のはさみです。
左の一番大きいのが裁ちばさみで19㎝あります。
刃の背側が丸い特徴があり、丸い肩を滑らせながら切り進みます。
和服の反物の幅はおよそ38㎝。
襟(えり)や衽(おくみ)を裁つ場合でも、直線裁ちですからこれで充分でした。
祖母が使っていました。
見つけた時、懐かしかった。
よく使い込んであります。
その隣のはさみは、裁ちばさみと糸切ばさみ兼用です。
刃の片側が、丸みを帯びています。
右の4本は糸切ばさみと言って縫い終わった糸をパチンと切るのです。
裁縫に不慣れな頃、はさみを握りしめすぎた経験はありませんか?
すると、ここで怪我しそうになります。
30年以上前からキャップを付けたものが作られていて、子供たちが小学校で使ったお道具箱に入っていました。
いいアイデアで、これなら安心です
曲線裁ちの洋服の裁ちばさみですが、前々から和服でもこちらを使用します。
いったい、織と編みはどちらが先だったのかと思った事がありました。
遺跡の出土品にこんなものがあったと、本に載っていました。
イラクサやアカソ、楮(こうぞ)や藤の皮をはいで繊維にしたそうです。
イラクサです。
アカソです。
苧麻(ちょま、からむし)の皮です。
茎のことを軽(から)といい、茎の皮をはいで蒸したので、植物の名がカラムシになったそうです。
楮(こうぞ)です。
葛です。
大麻です。
麻糸つむぎが上手だった慶応生まれの曾祖母の元に、町から業者がたびたび訪ねて来ていたと祖母が話してくれました。
これは曾祖母の残したものです。
歴史的には綿より絹が先だそうです。
絹を紡いだ蚕の繭です。
山で見かける山繭と比較です。
私が子供のころ、母が婦人会で講習を受けたのか農閑期に絣を織っていました。
大工さんに作ってもらった織機。付随する筬など諸々の道具が揃っていました。
畑で綿を栽培して糸にして、自らデザインした絣。
池で腐らせて乾燥した植物繊維で防染して紺屋に依頼します。
綿です。
綿には種が入っています。
綿を「綿繰り機」に挟んでハンドルを回すと、綿が向こうへ押し出されると同時に種が手前に落ちます。
綿を挟んでハンドルを回すと、種が押し出されてポロポロ落ちます。
当時は潤滑油に鯨の油を塗っていました。キーコキーコと音がしました。
祖母が母を手伝って、嫁姑が仲良く冬を過ごしました。
綿は糸車で糸にします。
綿畑はダムの底に沈み、高度経済成長期、とっくにやめていた機織りでした。
祖父母も両親も逝った後、たった一つ土蔵に残るこの糸車を遺品としてもらいました。
ハンドル部分がこんなのがあるとしりました。借りてきて写真撮らせていただきました。
腕を大きく回すのは疲れるでしょう。
こちらは外輪は大きく、ハンドルは手元で小さく回し効率が良い。
そして作られた縦糸です。一本づつ広げて筬(おさ)に通し反物の形に並べます
実際は反物の長さ13mです。懐かしさで古物として入手しました。
これにデザインした種糸を一本添わせ、墨印の部分を防染し、機にかける前に種糸を抜きます。
小学生のころ、糸を筬(おさ)に通していく作業の手伝いをしました。
雪明りの縁側でかじかむ手で糸を一本づつ、一本でも順番が間違っていると母がその場所までガサッと全部抜いてしまい、また後戻りでした。
茎の皮を細く裂いてつなぎ縒り合わせて糸にすることを「績む(うむ)」と言う。
綿や繭から繊維を引き出し糸を縒ることを「紡ぐ(つむぐ)」と言う。
紡績という言葉が生まれました。
綿の種を入手したので懐かしく、花壇に蒔いてみました。
つぼみです。
開花。
酔芙蓉のように紅くなります。
そして、
綿畑には一度も行ったことがありませんでしたが、最近になって知りました。
母が栽培していたのは伯耆綿だったようです。
弓ヶ浜絣は今でも故郷で作られています。
アイロンは露店で許可を得て写真を撮らせて頂きました。
中に炭火を入れて熱して使います。
内部です。
鉄全体が熱くなりますから、持ち手を握る指の熱さ予防に上部に付けられた舟形の鉄ですが、やがては熱が伝わるのではないかと心配します。
後部です。
内部です。
この形は戦後まで残っていました。
昭和のお初めには電気アイロンが出来ていましたが、天井から下がる電球を外して、丸いコンセントをねじ込んでアイロンをつないで使いました。
こちらはコテのように全体を火に入れて温めて使うモノらしいです。
古くから火でシワをのばすので「火のし」という、ひしゃく型の物がありました。
オモチャですが「火のし」と「コテ」です。
竹で作られています。袖の丸みの型取りに使ったのでしょう。
裏に「選科い組」と持ち主の名前があります。
昔の学校制度では本科に準じて、科を選んで学べたので選科と言ったのだそうです。
洋服を選んだ?
ポケットは大きく分けて貼りポケットと切りポケットがあります。
貼りポケットはカッターシャツの胸の様にぺたんと貼り付けます。
これは切りポケットの見本です。
生地を切って、上と下2枚のポケット布を縫い付け内側に入れ込みます。
内側です。
蚊帳のミニチュアです。
蚊帳を家庭で仕立てる事があったのかどうかは、わかりません。
日本家屋では蚊帳を吊って寝ました。
部屋の四隅に吊り手がぶら下がっていて、蚊帳も六畳用は長方形でした。
蛍を捕ってきて蚊帳の中に放して寝ました。
朝、学校に遅れる~と蚊帳をたたむ時は蛍のことはすっかり忘れていました。
女性の着物は日常着ですから普通に仕立てる事ができました。
女性との違いを把握するために、衽(おくみ)を省略した男性の着物です。
着物の上に道中着と呼ばれたコートを着て出かけます。
衿の縫い方が分かる様に片方は仕上げてありません。
11月から3月まではコートを着て出かけます。
その季節にコートを着ないで外出すると帯が見えるので「帯はだか」と嘲笑されました。
現代は暑いのと外国の方々の着物姿はコートを着ていません。
コートを着ている方は着物に精通した方です。
4月から10月までは透けて見える絽や紗の羽織、またはレースのショールを着用する場合もありました。
飾り結びした紐は、縫い付けてあります。
丈の短い半コートです。
女性の着物にはバチ衿と広衿があります。
バチ衿は普段着に用います。
広衿の縫い方です。
首のあたりは二つ折りにして着ます。
動いても着くずれしにくいです。
裾や袖は比翼仕立てになっています。
寒い冬、浮世絵に見られるように重ね着をしていました。
2月を如月(きさらぎ)というのは、着てさらに着るの意味があるのだとか。
動くと裾が開いて重ねて着ているように見える仕立てが比翼仕立てです。
絽の着物にも見られます。
図書館の和裁の本の1ページです。
袴の型見本です。
袴のミニチュアはたくさん存在しました。
男性の袴は大きく分けて2種類です。
スカート状のものを行燈袴と言って儀式用です。七五三、結婚式、卒業式、表彰式などがこの形です、
マチの深いものを高マチ袴といって乗馬用です。
マチとはマタガミのことで、深いもの浅いもの用途に合わせて作られました。
季節によって裏地の付いた袷物があります。
女性用の袴は行燈型のみです。
猿股は、マチの入れ方と足首のデザインに違いがあります。
現在の様に市販品が無かった時代ですから、下着は妻や母の手作りでしょう。
こちらはズポン型でボタンを付けるようになっています。
後ろです。