共進会とは博覧会の小さなもので、展示会のような物です。
第9回関西府県連合共進会。 1907年(明治40)4月1日~5月30日三重県偕楽公園にて。
関西という名には静岡以西の北陸中国四国の各府県が参加しています。
名古屋市で開催された第10回関西府県連合共進会1910年(明治43)3月16日~6月13日では、東京府も参加しました。
共進会とは博覧会の小さなもので、展示会のような物です。
第9回関西府県連合共進会。 1907年(明治40)4月1日~5月30日三重県偕楽公園にて。
関西という名には静岡以西の北陸中国四国の各府県が参加しています。
名古屋市で開催された第10回関西府県連合共進会1910年(明治43)3月16日~6月13日では、東京府も参加しました。
内国勧業博覧会は第1回明治10年(1877)第2回明治14年(1881)第3回明治23年(1890)までは東京で、第4回明治28年(1895)は京都で開催されました。
明治36年(1903)大阪で第5回が開催されましたが、この時は外国からも参加がありました。
以後、内国とは言わず、勧業博覧会となりました。
大阪湾を描いた2枚つづりの絵はがきです。
鳥瞰図は大半が観光目的で発行されます。
依頼を受けた画家によって作成されます。
昭和7年6月1日 京都府与謝郡宮津町役場発行です。画家のサインはありません。
昭和4年11月11日 舞鶴要塞司令部検閲済 とあります。
焼夷弾を積んだ敵の戦闘機は、富士山や琵琶湖で大体の位置関係をつかんで飛来したとモノの本で読みました。
鳥瞰図を発行するにあたって、舞鶴の司令部に点検してもらったのでしょう。
観光バスで舞鶴を通った時「自衛隊の駐屯地の近辺ですから、撮影を控えてください」とバスガイドに言われたことがあった。
スパイだと思われてはいけない。ひ~怖こわと思ったものでした。
サイズが小さめで、枚数の多い絵はがきです。
比叡山は滋賀県ですが、滋賀からも京都からも登山口があります。
徒歩か駕籠で登っていた。
比叡山の絵はがきです。
京福電気鉄道が京都八瀬口からケーブルカーを設置しました。
KEIHAN比叡山鉄道が滋賀の坂本口からケーブルカーを設置しました。
坂元駅と終点四明駅です。
比叡山の山頂の四明嶽(しめいがたけ)からの琵琶湖の眺望です。
近江名勝です。
お話に出てくる場所とその絵巻の一部のようです。
竹生島など湖の景勝です。
滋賀県では琵琶湖を「うみ」と言います。
海がないもんね~と海のある県から来た私は笑っていましたが、琵琶湖は大きくて夫の親戚がいる湖北では対岸が見えません。
旅行先で有名なOO湖や××湖、池かと思ってしまうようになりました。
比良アルプスと浅井長政の居城のあった賤ケ岳、そして京都へのインクラインの琵琶湖側の入口です。
このように47枚も入っていました。
瀬田の唐橋が板張りだった時代の絵はがきです。
片方に大正6年10月10日と落書きがあります。
同じ写真が別々の発行所から出ています。
この形状から、作られたのは明治40年4月以前であると判断できます。
欄干にもたれて、夏姿の若い男性が二人います。
義務教育を終えて中学に進学したボンボンなのかも知れません。
夏は学帽に白いカバーを掛けます。
一人は紺色の絣、もう一人は白の蚊絣(カガスリ、白地に小さい点々を無数に配して織られた絣)を着ているのでしょう。
浴衣は、日中の外出には着ません。家での夕涼みか寝間着ですから。
2012年から塗り替えが行われ、2014年に完成当時の瀬田の唐橋です。
知ってるけど、読んだことは無かったので、露店で見かけ購入。
ネズミと共に流されてたどり着いた島、ネズミの知恵に助けられ王様になる。
言葉の不自由もなく、黒人たちが素直に従う。差別用語も気にもせず、ストリーは流れる。
数年前、大阪府下の古書店で買った少年倶楽部名作選3
執筆者もそうそうたる方々。
短編だから、読むのが簡単で感動もあります。
そのうち、感動する人がいなくなる時代が来るかもしれないと思いました。
昭和4年 吉田初三郎。
昭和14年、画家は不明です。
西條八十 作詞、山中晋平 作曲、振付 若柳吉兵衛、そうそうたるメンバー。
日本舞踊でしょうか。
英語の表記、説明もあります。
並べてみました。日光と日光塩原なので少しずれて居ますが。
訪れた時の印象は、写真で見ていたイメージより、小さく感じた。
日光見ずしてけっこうと言うなとは、う~んと考え込んだ。
明治45年4月竣工の京都市蹴上浄水場の絵はがきです。
袋でもなく、タトウでもなく包みというような物に入っています。
はがきの角のエンボスで京都市の発行とわかります。