明治天皇の大喪の日、夫人とともに殉死なされた乃木大将、殉死については賛否両論あった由。
民間では絵はがきブームの真っ最中でした。
葬儀の絵はがきの一枚です。
故乃木将軍記念絵はがき 甲種 3枚。
表面には「乃木会」の印があります。
故乃木将軍記念絵はがき 乙種 3枚。
袋の文字のみ切り取られています。
故乃木将軍記念絵はがき 丙種 3枚
故乃木将軍記念絵はがき 丁種
甲乙丙ともこのような封筒に入っていたようです。
貼付の切手には1920年(大正9年)11月1日発行、明治神宮鎮座、とあります。
故乃木将軍記念絵はがき 戊種
日露戦争で長男次男戦死。
乃木家は二人の兄夭折、三男ながら家督を継いでいるなか、子供をすべて失われ絶家となる武門の家の無念もおありだったのでしょうと拝察した私です。
自身の息子を二人とも前戦に送られる、国民に示された心意気。
現在の国会議員の大臣は、子息をこのようになさる心意気は有りや無しや。
他にも。
ここからは、ハガキ制度上の古い順に。
上の写真と同じ場所で乃木大将が帽子を手に持っている。
これは絵はがき仕様にはなっていませんが、絵はがきのサイズです。
京都伏見桃山の乃木神社資料館のスタンプのようです。
乃木大将の少年時代のお話です。
資料館の遺品でしょうか。
ご自宅に明治天皇の遺影が祭られています。
乃木大将絵巻、明治20年夫人を残してドイツに留学、各国から勲章を受けるまで。
水師営の会見の唱歌の最初が載っています。
旅順要塞司令部許可済 昭和13年1月20日の印字があります。
旅順開城 約成りて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処 水死営。
祖母が歌ってくれて幼い私は覚えて、今でも歌えます。
この水師営の会見の歌は長いです。昔の歌の特徴ですが。
二番に出てくる
庭に一本(ひともと)棗(なつめ)の木 弾丸のあとも いちじるく
くずれ残る民屋(みんおく)に 今ぞ相見る2将軍。
これが当時で、
こちらが修復された民屋でしょうか。