9.5㎝×17.5㎝、半分に切り取り線の入った小さなぬりえです。
ホッチキスが一つ止めてあります。
裏です。
絵のサイズから見て、クレヨンで塗るのには技術がいる。
色鉛筆だといいのだけど、小さい子にはどうかしら?
9.5㎝×17.5㎝、半分に切り取り線の入った小さなぬりえです。
ホッチキスが一つ止めてあります。
裏です。
絵のサイズから見て、クレヨンで塗るのには技術がいる。
色鉛筆だといいのだけど、小さい子にはどうかしら?
大正天皇が12月25日未明崩御されました。
大阪毎日新聞は大正16年元旦の付録として、吉田初三郎の「日本鳥瞰 近畿東海大圖繪」を予定していたようです。
当然大正16年は存在しませんから、この大量の印刷物がどのように扱われたのかわかりません。
関東大震災発生の翌年(大正13年)9月15日には、吉田初三郎の震災の日の鳥瞰図を新聞の付録に付けられていたことは鳥瞰図2に書きました。
双方とも長さ106㎝の紙です。
関東震災全地域鳥瞰図繪として、裏面には震災後の一年間として報じられています。
近畿東海圖の方は宣伝を囲んで遊覧案内が、びっしり書いてあります。
大正15年12月25日(土)、大阪朝日新聞。「先帝を偲び奉るの」特集分だけです。
幼かった頃の陛下の御影が載せてあります。
よって、昭和元年は短かった。
ながと ではなく ちょうもんと読むらしいです。
表と裏の表紙も初三郎です。大正14年製作です。
初三郎の鳥瞰図に必ずといってよいほど描かれている富士山。
山口県から見えるはずもないけど、こちらの方向にあると分かるのがいい。
敦賀、青森、北海道、シベリアの位置まで描かれています。
そして「繪に添えて一筆」文章も上手な初三郎。
豊川・鳳来寺鉄道沿線名所絵図です。
大正12年発行です。
絵の部分だけで18㎝×75㎝あります。
普通の画家と違って依頼を受けて描くのですが、画家の名前の入っていないものもあります。
この作家の印は私が読めない上に、色あせています。
1860年(万延元年)12月24日、芝赤坂のプロイセン国王行使邸で、来日中のドイツの伯爵が、アメリカの将軍やイギリスの行使を招いてクリスマスパーティーを行ないました。
3部屋の大広間の柱を杉の葉で覆って、色とりどりの砂糖菓子と50個あまりの提灯をぶら下げたツリーでした。
雉料理であったといいます。
1873年(明治6年)キリシタン放還令によってクリスマスが解禁されたと読んだ記憶があります。
ツリーに飾るオーナメントに提灯が使われていたのを記憶していた人が、大正時代になってオーナメントとイルミネーションが合体したものを作ったのでしょか。
3コ足りません。
宗教に関係なく次第に庶民的になっていったクリスマス。
こちらの箱の絵は前の時代のイルミネーションを描いてあり、電球には色が塗ってあります。
やはり着色した丸い電球です。
電球の形が変わりました。
こちらは高島屋3000円のシールが貼ったままです。
息子に買ったのは1980年頃でしょうか?
ツリーとオーナメントとこのイルミネーションのセットでした。
当時は京都に住んでいて、リビングはいっぱいだったので、仏壇の横に飾っていました。
仏教も他所から来たんだし、お互い様ということに。
まだ光ります。
そして、足繁く縁日に通ううちに足りない分を発見しました。
ソケットとコードは無いかと尋ねました。
翌月の縁日に持参して「全部買ってや」と言いました。
光らなくてもいいんだからと、完成させました。
コンセントの型やベークライトなどの材質、熱で溶けたもの、これはこれでおもしろい。
サンタの顔は付けるところが足りませんが、入手しない手はありません。
全員集合。
インスタントラーメンのために3分の砂時計を買ったのは、30年以上前だったでしょうか?
露店で、大き目だったので「5分?」と尋ねると、5分計だと言うので買って来た。
鳥取砂丘の砂と書いてあり、3分計だった。
それどころか、同時に計ると今まで使っていたものは3分に満たなかった。
先日馴染みの兄さんが4分のを持っていた。
近年は4分のラーメンもあるので買った。
私が最初から持っていたのと同じ物も転がっていたので、手に取ってみると「およそ、3分」と書いたシールが貼ってある。
「3分無いじゃないか」と言われる可能性があるからナ。
「ボ~っと生きてんじゃねぇよ」か。ボ~っと信用していた。