市町村合併で、現在は滋賀県米原市です。
琵琶湖の隣によく似た形の内湖というのがあります。
昭和30年代に干拓事業で現在は水田です。
県内や福井など近県からも来て、干拓した土地を所有できたそうです。
商工会の皆さんの広告の電話番号は局番がありません。
名所案内です。
左から2番目の筑摩神社の奇祭「鍋釜祭り」に行ったことがあります。
5月3日数え年8歳の女児が鍋をかぶって、介添えは父親でした。
市町村合併で、現在は滋賀県米原市です。
琵琶湖の隣によく似た形の内湖というのがあります。
昭和30年代に干拓事業で現在は水田です。
県内や福井など近県からも来て、干拓した土地を所有できたそうです。
商工会の皆さんの広告の電話番号は局番がありません。
名所案内です。
左から2番目の筑摩神社の奇祭「鍋釜祭り」に行ったことがあります。
5月3日数え年8歳の女児が鍋をかぶって、介添えは父親でした。
徳島の旅でのパンフレットでしょう。
昭和10年2月27日 由良要塞司令部検閲済。
戦前は、略図たりとも敵のスパイからの注意を要した為、旅行案内といえども軍の許可が必要だった。
裏面です。
滋賀県の旅案内は遊覧船運航会社発行のほか大津市観光課も発行していました。
作者は鳥瞰図作家で知られる吉田義人画伯です。
裏面
交通機関の所要時間です。運賃によって戦前の物と分かります。
大津市がメインです。
長浜から竹生島への平安丸の運行が点線で航路を記入してあります。
こちらは近年の発行ですが、浮御堂のご案内です。
当勧業博覧会は、1927年(昭和2年)3月から5月、60日間福岡市で、開催され159万人の来場がありました。
博多織り元松井が発行した案内です。
裏面は会場までの案内図です。
1905年(明治38年)9月5日 日露戦争後ポーツマス条約締結。
樺太(サハリン)の北緯50度以南が、ロシアから割譲されて日本の領土となった。
日本郵船株式会社運航の千歳丸ほかの運賃表、並びに現地案内です。
移住者には割引があります。
移住した人から内地への絵はがき2通です。
地図の山脈が浮き出てロシア領は黒塗りです。
絵のある方が裏面で、空白に連絡文があります。
絵はがきが発行されても、普通はがきの規約と同じく宛名面に文章を書くことは許されていませんでした。
逓信省の規則の変更で、1907年(明治40年)3月28日から表面(宛名面)の3分の1に文章を書くことが認められました。
生活風景の絵はがきは、表面に文章が書かれています。
表紙が取れています。
欄外に赤い文字で「線路のそばに附けてある赤数字は時間表掲載頁です」と記載、列車の時刻表でした。
路線図は、樺太、北海道から始まり、沖縄へと広範囲です。
つづきは裏面に、
九州、台湾、朝鮮半島まで、全部日本が鉄道を敷設したのでしょうか。
歴史上最も勢力を拡大した時代でした。
蛍の光の最後の歌詞には♪~たいわぁんの、はーてまで・・・・(台湾の果てまで)というのがあります。
赤で目立つ製品や店舗名、現在も営業をしています。
広告料で時刻表を作ったのでしょうか。
デパートの高島屋京都店、香川のマルキン醤油、載っています。
マークって目立ちますね。
お伊勢参りのパンフはレットは無数にあったことでしょう。
二見館は旅館で、岩戸屋は土産物を売っている休憩所です。
下の物を上下反対に置き換えると、共に外宮が右に来て、地図が合います。
二見館はかって天皇や宮様もご利用になったと書かれています。
岩戸屋は生姜糖販売、団体様の休憩所として営業です。
ツアーで行く旅の昼食休憩とお土産を買う店のようです。
那智の滝で有名な那智山案内のパンフレットです。
発行年月は記載されていませんが、戦前の物でしょう。
画家の名も書いてありませんが、鳥瞰図が流行った時代のようです。
那智神社、青岸渡寺が描いてあります。
裏面の写真です。
説明文に那智四十八滝と書かれています。
滝から那智神社、青岸渡寺へ行きましたがそんなにたくさん滝があったのカと、今知りました。
ちなみに赤目四十八滝へは行きました。
戦前の江ノ島電鉄の旅の案内です。
団体旅行のお弁当も取り次偽ますと書いてあります。
20銭より相談に応じます。
人数、豪華さで価格が変わるらしい。
琵琶湖の観光船です。
1886年(明治19年)12月23日、紺屋関汽船と山田汽船が合併して湖南汽船となりました。
1929年(昭和4年)4月11日太湖汽船に社名変更し、1951年(昭和26年)琵琶湖汽船となりました。
みどり丸 1922年(大正11年)4月10日進水、1934年(昭和9年)室戸台風で破損1948年(昭和23年)改修しました。
金井利夫の鳥瞰図です。
こちらは見開きのブック式です。