大正15年、(株)大湖 後のびわこ汽船発注です。
初三郎らしく、遠景、敦賀の日本海も見えます。
英文の説明も。
大正15年、(株)大湖 後のびわこ汽船発注です。
初三郎らしく、遠景、敦賀の日本海も見えます。
英文の説明も。
趣味人の集まりですから、面白いことしようと作った絵はがきです。
右の隅田川の屋形船、上下に開けます。
開きます。→
開きます。→
開きます、→
引き出します。
小判を引き出します。
開くと、下の短冊が読めます。
開くと幽霊が出ます。
開くと三日月が満月になります。
号外の貼り付け。
切手以外の物を貼ることは許可されていませんでしたので、宛名を書いてポストへ投函できませんが、頒布会を通じて趣味人の手に渡ったのでしょう。
表面がはがき仕様になっているものとして。
はがきの料金が1銭5厘から2銭になったのは昭和12年4月でした。
曽我廼家五郎が、贔屓先の若林宅宛に送っています。
この絵葉書会で「のむらや」として印刷を手掛けた若林寿之助(丸印)
彼の暑中見舞いです。これは、大阪の貿易会社から海外赴任中の息子 理三郎に宛てたものです。
理三郎さんは、親はもとより、友人知人から海外で受けっとった膨大なハガキを持ち帰っています。
私の元絵はがきの絵はがきの元の持ち主は誰なのか。
京都の天神さんの縁日の露店で刀や鉄砲を商う業者が「東福寺のお宅から出た」と言いました。
次回は郵便法では送れない仕様のものを紹介します。
数年前、京都北野天満宮の天神さんの縁日で発見しました。
元の持ち主も絵葉書収集家でもあったようです。
絵葉書を入手してから調べるうちに、滋賀県大津市歴史博物館がコレクターからの寄贈を受けて平成21年3~4月企画展をしていたことを知りました。県立図書館で借りた図録です。
曽我廼家五郎のファンクラブ趣味人たちが、彼を巻き込んで作った絵葉書を頒布したものらしいのです。
曽我廼家五郎(1877-9-6~1948-11-1)本名 和田久一。
1948年12月大阪中座で松竹新喜劇が結成されました。松竹芸能の役者だったようです。
ソノシートにサインがあります。
ブロマイドも絵葉書です。
この2枚の絵ハガキは昭和7年以前です。
表面の「はかき」の文字が「はがき」に代わるのは昭和8年からなのです。