雛祭りの徳利です。
明治から昭和の初めくらいのものだろうと思います。
同じ絵付けで違った仕上がりは、数人で手書きしたのでしょう。
農家だった生家では、白酒も菱餅も祖父母と両親の手作りでした。
3月3日には御馳走のお膳をして、お雛様にお供えして、夕餉には「雛荒らし」と言ってお雛様の前で姉弟で頂きました。
こんな徳利があったとは知りませんでした。
この徳利の首の模様が擦り切れています。
おそらく毎年、白酒を盃に注ぎ合ううちに擦り切れてきたのではないでしょうか?
雛祭りの徳利です。
明治から昭和の初めくらいのものだろうと思います。
同じ絵付けで違った仕上がりは、数人で手書きしたのでしょう。
農家だった生家では、白酒も菱餅も祖父母と両親の手作りでした。
3月3日には御馳走のお膳をして、お雛様にお供えして、夕餉には「雛荒らし」と言ってお雛様の前で姉弟で頂きました。
こんな徳利があったとは知りませんでした。
この徳利の首の模様が擦り切れています。
おそらく毎年、白酒を盃に注ぎ合ううちに擦り切れてきたのではないでしょうか?
滋賀県と福井県、近江と若狭を結ぶ目的で、知事、延暦寺、地元有力者の出資で生まれたOとWのマークの江若鉄道です。
1918年(大正8年)建設許可が下り1921年(大正10年)三井寺下~叡山の6kmで開業し、1931年(昭和8年)浜大津~近江今津51km.が開通しました。
その、紀念絵はがきです。
季節の見どころと、観光地への下車駅の案内です。
裏表紙。
結局、若狭へは伸びないで、1969年(昭和44年)10月31日営業最終日となりました。
翌11月1日、事前配布の整理券所持者のみ無料で、お別れ列車が運行されました。
現在も残る、今津駅舎です。
玄関に、JAの車がが駐車してます。
車の間から。
絵はがきの表紙のイラストにある大屋根の2つの窓は現在はありません。
高島市が設置した案内板です。
こちら側に線路が引かれていました。現在は車が走っています。
こちら側も道路です。
古い画像を発見しました。
食器売り場をぶらついていた20年位前の事です。
なによ、バッグのブランドメーカーのくせにと近づくと「日本向けに和食器を出しています」と店員が言った。
茶碗を買う気は無く、物珍しさに湯飲みを買いました。
案の定、お茶は美味しくない。
それはこの絵を、紅茶用のティカップの柄だと思った私の心のせいでしょうか?
「ぐい呑み」集めてる人がいるけど、これは持っていまいからプレゼントすると言ってリボンを結んでもらいました。
直輸入店では箱は持っていないことは知っていました。
デパートでは、ブランドマーク入りの化粧箱を、日本文化に合わせて、日本で制作していることは他のブランド食器で知っていました。
今でもこの湯飲み売ってるの?売れないでしょう。
袋の下段に陸奥酒保発行と書かれています。
酒保(しゅほ)とは、旧日本軍の基地施設内や艦船内に設けられた売店に類するものです。
この絵はがきは、軍艦を見学許可時、艦内の酒保で購入し記念スタンプを押印したもののようです。
説明書共で5枚組。
説明書も、はがきになっています。
横須賀海軍工廠製造、1921年(大正10)10月24日竣工、製造費7000万円。
しかし、1943年(昭和18)6月8日、主砲火薬庫爆発にて沈没したそうです。
引き出しの奥にいた。
ピカチュウと言うものであることはわかる。
ヘルメットみたいなのをかぶせてみる。
下の白いでっぱりを押すと、ヘルメットが開き、
もう一回押すと、ピカチュウが飛び出す。
買い与えた記憶もないから、何かの景品だろう。
捨てようかと言うと夫が、あかんと棚に置いた。
可愛い顔してる。
明治の終わりごろの絵はがきです。
北海道の土人風俗と書かれています。番号が10となっていますから、セットだったのでしょう。
こちらは大正時代の絵はがきです。酋長と別の酋長夫妻です。
女性の正装と祝宴です。
少しヤラセっぽい決闘ですが。
袋付きの別のシリーズで昭和の絵はがきです。マリモのお祭りです。
袋の内側です。
カヌイ(神様)熊の頭蓋骨です。
こちらの2枚は別物です。
モノクロの方の熊の横にアイヌ風俗(舞踊)鶴の舞と書かれています。
使用された絵はがきで、切手の部分が切り取られています。
日常使っているのは手前の、手回しの鉛筆削り器です。
向こうの電動を小学生だった長男に与えたら、鉛筆をどんどん押し込んで無くなりそうになりました。
鉛筆吸い込み器だったので、押し入れの奥にしまってしまった。
学研の付録だったエビフライの鉛筆削りと卵焼きのステープラー(ホッチキス)です。
先日露店で、え、昔のお弁当箱?と。
開くと虫が足をヒョロヒョロ動かす、鉛筆削り器でした。
明治4年に郵便が創業し、明治5年鉄道事業が始まりました。
昨日、逓信(郵便)50年の絵はがきでした、一年遅れて大正11年が鉄道創業50年にあたります。
民間発行の絵はがきです。
逓信創業記念の記念切手を貼ってあるのでまちがえたのでしょうか?
左上の肖像には、侯爵大隈重信閣下、右上の肖像には故公爵伊藤博文閣下と書いてあり、その下の井上子爵銅像、井上勝という人らしいです。
バックには、すでに完成していた東京駅です。
切手に押されたスタンプは列車の車輪のようですから、記念スタンプのようで、大阪で押されています。
鉄道開始当時の広重の錦絵と説明してあります。
こちらのスタンプは意味不明です。
♪ 汽笛一声新橋を・・・で始まる鉄道唱歌が歌われていたかもしれません。
逓信省発行の記念絵葉書です。
タトウのスタンプは、後から押されたものでしょう。
説明書、はがき切手各二種、定価10銭他に贈呈用あり。
(株)東京印刷 石版多色刷り、発行枚数不詳。
4月20日は逓信記念日とされ、その後郵便記念日となっています。
明治4年、切手が発行されて以来50年。
説明書は無くなっています。
こちらは下段に4月18日、逓信省の許可を得たと書かれています。
郵便j業を提案した、故 前島密男爵(左)、現逓信大臣 野田卯太郎(右)の肖像です。
こちらは昭和9年、逓信記念日が制定されたことを伝える、創業当時を描いた民間発行の絵はがきです。
マッチ箱がピタッと収まっています。
側面に開けた細長い穴から、マッチをこするヤスリがのぞきます。
箱の裏の丸い穴から、指でマッチの引き出しを押す仕掛けのようですが、入っていたマッチ箱を出してみました。
マッチは未使用で、ラベルも箱もマッチも古物であることが一目瞭然でした。