レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

逓信省発行「万国郵便連合加盟25周年紀念絵はがき

2018年08月31日 10時45分01秒 | 記念(紀念)絵はがき

絵はがき収集を始めたころ手にした古い絵葉書です。

表面。

1902年(明治35年)逓信省発行の万国郵便連合加盟25周年記念絵葉書、6枚組定価5銭で発行されたの中の一枚でした。

 6枚組で封筒に入っています。贈呈用にはデザインの違う封筒というのも発行されました。

1900年(明治33年)私製葉書の発行が許可されていました。
自治体や官民合わせて絵葉書が発行されて、空前の絵葉書ブームが到来しました。

逓信省発行記念絵はがきは、郵便局に長蛇の列ができて、男児が圧死する事件にもなりました。
戦後の、記念切手ブームがその再来だったようです。


京都市電(路面電車)絵葉書と回数券とレール

2018年08月26日 16時56分07秒 | 京都 滋賀の絵はがき

大正10年、京都四条大橋の路面電車の絵はがきです。

明治村にある電車に似ています。

この復刻版の絵はがきは、電車が走る前の四条通です。
電車を走らせるため、立ち退きもあったと思われます。

京都市発行の市電開通記念絵葉書です。

大正3年御大典記念、京都市電気軌道事務所発行の絵葉書です。
左端に乗車券が付いていたそうですが、乗車されたのかありません。

2枚の絵はがきの宛名面です。

私が京都に来た頃市電は15円でした。回数券の残りです。

裏です。

その後20円になりました。

まだ女性ドライバーが少なかった昭和45年、高度成長で多忙を極め、男手が足りなく困っていました。
そこで、社長も頭の上がらない御意見番のお客様に実情を相談しました。
そのおばさまの「よっしゃ」の一言で、自動車学校長が出勤時に車で迎えてくださって、午前中は自動車学校へ行きました。
自動車学校ではハンドルにチェンジギアのついたセドリック、路上講習に出ると、トラックの運ちゃんが窓から「よ~ねーちゃん、がんばれよ」と冷やかす。
あがってしまって、指導員が急ブレーキを踏み「わしが怖いわ、もうお前とは道路へ出ん」と怒る。
免許取得。

電車道は軌道敷内通行可能だったのですが、雨の日はスリップに注意しながらこわごわ走った。
赤信号で停車していると、後ろに電車が止まっているというのもイヤな気分でした。

祇園祭の山鉾巡行の為には電線を撤去され、祭りが終わるとまた取り付けるためか、先の祭りと後の祭りが7月17日に同時に行われました。

昭和53年9月30日、全線廃止となりました。

その後、順次軌道の撤去がなされた由。

京都ではマイカー通勤だった夫が「会社の前を取り外していた。『これ欲しい』と言ったらくれた」とレールと留め具をもらってきた。
今日、物置から出して磨いてみました。


官製 通常はがきの歴史 10 軍事封緘はがき

2018年08月17日 15時46分02秒 |  通常はがきの歴史

明治37年、逓信省から発行された「恤兵(じゅっぺい)シリーズ」の一つに絵入りの封緘ハガキがありました。

常用の封緘ハガキが発売されてまだ4年、日露戦争中に軍事用の封緘ハガキが、発行されています。

これは昭和になってからの物と思われます。

陸軍大臣官房発行と記されています。

こちらは関東軍酒保選定と記されています。
酒保とは食堂とか売店とか兵士をバックアップしてくれる場所です。

びっしり書いて尚且つ、別のメモの紙も入っています。
昭和14年1月2日と日付が書いてあります。

目打ちで破って開封するのですが、破らずに開いたものもあります。
「殿」となっているので妻か妹宛だろうと見ると、妹です。
若者は開封の仕方を心得ています。前出の友人あてのものも、きれいに開かれています。

こちらは未使用のモノです。
裏面に、野戦局と部隊名のスタンプが押してあります。

兵士は無料ですが、内容を読まれて検閲印を押されて発送されます。
野戦局という郵便局から、各部隊同士の郵便も扱います。

内地(日本)から兵士への郵便はもちろん有料です。

 


官製 通常はがきの歴史 9 封緘はがき・郵便書簡

2018年08月13日 12時34分51秒 |  通常はがきの歴史

封緘はがき(ふうかんはがき)とはハガキと手紙のハーフです。
封緘ハガキから、簡易書簡、郵便書簡と名前が変わりました。

1900年(明治33年)10月1日3銭で発行されました。
当時、ハガキは1銭5厘、手紙は3銭でした。
手紙と同じジャンと思うなかれ。
切手、便箋、封筒がセットで買えるのですから。
最初の封緘ハガキの料額印面です。

次いで1912年(大正元年)9月11日発行の物は切り取り目打ちなしでした。
1917年(大正6年)9月10日、大正元年と同型の目打ちのある物が発行されました。

4枚折です。

翌大正7年5月15日、3つ折りになりました。

大正10年には3面にも封緘のりしろ、切り目打ちを付加されました。
大正14年5月1日発行です。下の文字が消えています。

1930年(昭和5年)8月1日、経費軽減のため紙色を淡黄色としました。

こちらについては、記録が不明です。

1937年(昭和12年)4月1日発行。

昭和12、15、17年、紙色の変更が行われ、1943年(昭和18年)5銭となりました。
そして昭和19年、7銭になりました。

1946年(昭和21年)30銭、昭和22年橙朱色で1円20銭。

1949年(昭和24年)簡易書簡と名が変わる。  濃青緑、炭鉱夫、8円

紙色、淡黄色で9円となる。

1954年(昭和29年)11月1日、10円(売価11円)

1958年(昭和33年)11月20日、10円郵便切手付き(売価12円)簡易手紙料額印面菊花、カットせきれい、濃紫灰味赤紫、緑模様、濃味赤紫の線。

1966年(昭和41年)7月1日、郵便書簡と名前変更、15円。

昭和43年郵便番号入りとなる。

 昭和46年までの記録がこの本に載っていました。

明治時代に私製で作られ、製造所の名前らしき印字がありますが、目打ちと重なって読めません。

昭和46年以後は、どのように変化したのでしょうか?

このあたりから、分かった範囲で追加していく事にします。



昭和50年5月15日のスタンプがあります。SLのシリーズらしいです。

はがきが50円で、郵便書簡は60円でした。

切手と便箋付き封筒で便利です。

 

 民営化されて数年後、はがきが10円値上げされましたが、郵便書簡はそのままで、消費税8%では62円で、はがきと同じ値段です。

令和元年(2019年)10月1日から消費税10%に伴い63円となりました。