レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

だいこくワインとえびすワインのびん

2017年12月29日 10時44分40秒 | ビン

出雲大社近くの島根ワイナリーに、白ワイン入りの「だいこく」が売られて久しい。
ビン欲しさに買い、大黒様のみの年月が続きました。
9月下旬久しぶりに訪れたら、赤の「えびす」が出ていました。
だいこくの箱と並べてみます。

だいこくはとっくに飲んでしまった。えびすは飲む前に撮っておこう。

大国主命と事代主命なのですが、渡来した大黒と恵比寿がごちゃまぜとなっているのです。

同じ島根県に、大国命の出雲大社と事代主命の美保関神社。

出雲大社の絵馬です。

美保関神社の絵馬はお祭りと稲穂をくわえた鯛。

他府県人には鯛の方が人気らしくたくさん吊ってあり、社務所で売り切れていたこともありました。

 

 


ウランガラス 

2017年12月26日 10時33分47秒 | ガラス

金、銀、、銅、鉄、マンガン、クロム、コバルト、ニッケル、硫黄、セレンなどの発色剤によって、赤、青、黄、ピンク、朱、緑などの色ガラスが生まれます。
他にウランも使われていたそうです。

ブラックライトを当ててみますと、緑色に光ります。

図書館の本によると、アメリカが昭和16年にウランを日本に「売らん」ようになったそうです。
輸入がなくなりました。
戦後、製造元も庶民も原爆の材料と知りましたが、体に影響はありません。

見た目は同じ緑色の、この二つそれぞれにライトを当ててみます。

カップの方はウランガラスではありません。

こちらはウランガラスです。

小ぶりのグラスです。

ペン立てです。

インクボトルです。

氷カップのスプーンです。

青いガラスなのでわかりにくいですが、黄緑に光る部分があります。
このカップは、蓋は取れますが下のお皿がくっついたままというデザインです。

ウランのモルトケースです。

日本でも各地でウラン鉱石はとれますが、工業用になるほどではありません。
岡山県と鳥取県の県境に人形峠というのが有ります。
ウランが出ると聞いています。ウランガラス作ってると聞いたことがあります。

 

 


松本かつぢさんデザインの子供の食器

2017年12月19日 10時18分07秒 | 民具、雑貨

図書館で借りた松本かつぢさんの本に見覚えあるベビー食器セットが載っていました。

え、松本かつぢさんのデザインなの?

押入れの奥にしまっている。
息子が生まれた時、お祝いとしていただいたのと同じです。


昭和30~40年代メーカーがコンビです。
息子は50年12月生まれだったけど。
4年後に生まれた娘にも使用、子供は歯が生えるころ噛むから、フォークやスプーンは汚くなって捨てたました。

うちのは縁の色の部分がが青でした。


謎のビン

2017年12月12日 09時20分10秒 | ビン

ずーーっと前のことですが、通りすがった大きな団地の山側の道で山野草を観察していた時です。
ゴミが捨ててあります。

足元の土から出ているこのビンを手に取ってみました。
見たことも無いビンでした。
高さ13㎝、底の直径5㎝、口径3.5㎝。
底のエンボス、中央◇形に読み取り不可状態ですが S ?
そして 57  88-III  Aが底の半周に刻印されています。

肩の傾斜と、底近くの周囲にビー玉で押したような窪みが均等に6個あります。

 

一体どんな目的で作られてのでしょうか。たくさん作られたのでしょうか?
有名なビン博士やコレクターの方にお尋ねしましたが「わかりません」とのことでした。


繊維の変遷

2017年12月11日 11時16分42秒 | 裁縫用具・布・仕立雛形

いったい、織と編みはどちらが先だったのかと思った事がありました。
遺跡の出土品にこんなものがあったと、本に載っていました。

イラクサやアカソ、楮(こうぞ)や藤の皮をはいで繊維にしたそうです。

イラクサです。

アカソです。

苧麻(ちょま、からむし)の皮です。
茎のことを軽(から)といい、茎の皮をはいで蒸したので、植物の名がカラムシになったそうです。

楮(こうぞ)です。

葛です。

大麻です。

麻糸つむぎが上手だった慶応生まれの曾祖母の元に、町から業者がたびたび訪ねて来ていたと祖母が話してくれました。
これは曾祖母の残したものです。

歴史的には綿より絹が先だそうです。

絹を紡いだ蚕の繭です。

山で見かける山繭と比較です。

私が子供のころ、母が婦人会で講習を受けたのか農閑期に絣を織っていました。
大工さんに作ってもらった織機。付随する筬など諸々の道具が揃っていました。

畑で綿を栽培して糸にして、自らデザインした絣。
池で腐らせて乾燥した植物繊維で防染して紺屋に依頼します。

綿です。

綿には種が入っています。

綿を「綿繰り機」に挟んでハンドルを回すと、綿が向こうへ押し出されると同時に種が手前に落ちます。

綿を挟んでハンドルを回すと、種が押し出されてポロポロ落ちます。
当時は潤滑油に鯨の油を塗っていました。キーコキーコと音がしました。
祖母が母を手伝って、嫁姑が仲良く冬を過ごしました。

綿は糸車で糸にします。

綿畑はダムの底に沈み、高度経済成長期、とっくにやめていた機織りでした。
祖父母も両親も逝った後、たった一つ土蔵に残るこの糸車を遺品としてもらいました。

ハンドル部分がこんなのがあるとしりました。借りてきて写真撮らせていただきました。

腕を大きく回すのは疲れるでしょう。
こちらは外輪は大きく、ハンドルは手元で小さく回し効率が良い。

そして作られた縦糸です。一本づつ広げて筬(おさ)に通し反物の形に並べます
実際は反物の長さ13mです。懐かしさで古物として入手しました。
これにデザインした種糸を一本添わせ、墨印の部分を防染し、機にかける前に種糸を抜きます。

小学生のころ、糸を筬(おさ)に通していく作業の手伝いをしました。
雪明りの縁側でかじかむ手で糸を一本づつ、一本でも順番が間違っていると母がその場所までガサッと全部抜いてしまい、また後戻りでした。

茎の皮を細く裂いてつなぎ縒り合わせて糸にすることを「績む(うむ)」と言う。
綿や繭から繊維を引き出し糸を縒ることを「紡ぐ(つむぐ)」と言う。
紡績という言葉が生まれました。

綿の種を入手したので懐かしく、花壇に蒔いてみました。
つぼみです。

開花。

酔芙蓉のように紅くなります。

そして、

綿畑には一度も行ったことがありませんでしたが、最近になって知りました。
母が栽培していたのは伯耆綿だったようです。



弓ヶ浜絣は今でも故郷で作られています。

 


小さな小抽斗

2017年12月07日 14時19分05秒 | 民具、雑貨

小さい小さい小抽斗(こひきだし)たちです。

表面は寄木細工です。

漆塗りです。
滝に生える松や木々や散る水しぶきの蒔絵が前面に、天と裏と両側面に花唐草模様が施されています。

各段の棚板も奥まであり、引き出し物としては最上の仕事です。

引き手が象牙です。
棚板が奥まではありません。

もっと小さいものです。

お裁縫箱のミニ版ですが、引き出しの中の仕様が本物同様の作りになっています。

針が少しでも浮き上がっていると、引く時引っかかり、曲がったり折れたりするのを防ぐ目的で、柔らかい桐材で中蓋をはめ込んであります。
この中蓋は、無い物や最上段の引き出しのみの物が大半で、次の段にもあるコレは上等な作りです。

ステンドグラス製です。100円玉との比較です。

娘が小学生の時にビーズを入れていました。

両側面に棒状の引き出し受けが付けられて、棚がありません。この形は外見の見栄えだけ重視の木製でも見かけます。

100均の売り場で発見、150円でした。
タレびん入れています。

ステンドグラスの物が手前にあるので大きく見えています。お子様ランチの日の丸の旗入れています。

 

 


小物入れ

2017年12月06日 09時35分45秒 | 民具、雑貨

昔の人は小物入れがお好き?

使用目的は不明だけど生家に残されて誰もいらない。

使用目的は不明です。

この箱は生家の土蔵で発見した高校生の時、祖父にもらった。

大正15年陰6月6日は曽祖父の文字だそうです。

中に刀の目貫が一個入っていた。先祖の物で黄色い部分は「金」と祖父は言った。

刀の柄に使われている目貫は一対です。
刀は錆び鞘の割れた脇差しが数本束ねてあったのを見たことがあるから、外れたのだろうか。

昔は家で結婚式をするのが当たり前で、下級武士といえども新郎は裃を着て脇差しを差した。
現在でも新婦は懐剣を差すでしょう。

この小箱は、見かけによらず高価だった。
骨董市で老店主が「刀の拵えの細工職人が仕事を無くし、糊口をしのぐために造ったのかもしれない」と言っていた。

アメ色の方は針箱から祖母がくれた。釣り針の小さいのが数本入っていた。曽祖父のものだと言った。
じんたんと万葉仮名で彫ってあるけど曽祖父が彫ったのかしら?
同型で少し大きめの右の白木の物を見つけたが、何に使うものなのでしょう。

小さい印籠です。
朝顔らしき三輪の花は螺鈿で他は金泥で描いてあり、中は砂子です。