ミシンの宣伝絵はがきなのようです。
ひっくり返してみると、アレアレ絵はがきではありません。
説明文を読むと、3個抽斗の家庭用ミシンで、使用しない時は頭部を唐木の台にしまい込める。
家庭へ無料出張教授すると書いてあります。
ミシンに座っているのは、袖丈から見て独身女性で、メーカーから来て使い方を説明している。
背中越しにこの家の主が見ている。
前から見ているのが主の妻と息子。
畳に座るのは主の母と娘だと想像します。
母も、農家なのでモンペとか、ワンピースとかゴム入りのスカート縫ってくれました。
ウェブで、図書館の本で見た記憶のある浮世絵を発見しました。
夫がお世話になった禅寺の和尚様が「一汁一菜あれば、子供を置いて働きに行くな」とおっしゃいました。
今の人が聞いたらびっくりするでしょう。
そうだなと、工業用の貸ミシンで内職を始めました。
慣れないうちは、一日12時間くらいも、背中を丸めて品物と格闘しても、1000円くらいしかできません。
仕事先からはダメ出し食らって、ほどいてやり直すのに3日かかりましたが、めげずに続けました。
和物から、ブラウスを縫えるようになり、子供の病気や学校行事も家庭の用事も、夜なべして納期を守り、他人より良い品物に仕上げました。
納期は守る、仕事がキレイだと優先的に仕事がとれることがわかりました。
貸ミシンを返して、より性能の良いオーバーロックとコンピューターミシンを買って独立しました。
仕事先を自分で選べます。
バブル期には、高級な仕事がたくさんありました。
バブル崩壊すると仕事は、工賃の安いアジア大陸へ行ってしまいました。
貰っていたブラウス一枚の工賃でスーパーでブラウスが売られているようになりました。
子供が大学生と高校生になっていたのでパートに出ました。
このあたりから成長の無い30年に突入しました。
ロックミシンの方は人に譲って、家庭で必要なことに使っていました。
ある日、ミシンが動かなくなりました。
家庭用ミシンは捨ててしまったし、あっても、工業用を踏んだ人は家庭用は物足りない。
最上級の物を買いました。
要らなくなったら、私が死んだら引き取ってあげるだって。