母の日に、母を思い私の幼かったころがよみがえってきました。
戦後の厳しい時代、父母は生きることに精一杯だったと思います。
私達5人の子供とゆっくり接することなど無かったでしょう。
私の記憶の中で、私が母を独り占め出来たのは、一度かな・・
それ以外に覚えていないのです。
あれは小学校入学前のこと、一年生になる前、
手続きと学校を見て慣れるためだったでしょう、
母と二人で30分位の山間の道を手をつないで歩きました。
母が私のために編んでくれた上着を羽織って、
赤と白の毛糸のケープ、襟元で結ぶ紐の先に丸いボンボンが付いてた。
私どんなに嬉しかったでしょう!
その嬉しさの弾みで、学校で新一年生を集めて先生が
「何か出来る人~」と皆の顔を見てておっしゃいました。
なんと・・引っ込み思案で恥ずかしがりやの私が、
手を上げて「はーい」と言ったのです。
そして、でんでんむしの歌を歌いながら踊ったのです。
私の人生の中で唯、一度だけの勇気あることでした。
あの日、母と手をつないで歩き、
私だけの母であったことが勇気を出させたのでしょう。
母の日にこんなことを思い出しました。
戦後の厳しい時代、父母は生きることに精一杯だったと思います。
私達5人の子供とゆっくり接することなど無かったでしょう。
私の記憶の中で、私が母を独り占め出来たのは、一度かな・・
それ以外に覚えていないのです。
あれは小学校入学前のこと、一年生になる前、
手続きと学校を見て慣れるためだったでしょう、
母と二人で30分位の山間の道を手をつないで歩きました。
母が私のために編んでくれた上着を羽織って、
赤と白の毛糸のケープ、襟元で結ぶ紐の先に丸いボンボンが付いてた。
私どんなに嬉しかったでしょう!
その嬉しさの弾みで、学校で新一年生を集めて先生が
「何か出来る人~」と皆の顔を見てておっしゃいました。
なんと・・引っ込み思案で恥ずかしがりやの私が、
手を上げて「はーい」と言ったのです。
そして、でんでんむしの歌を歌いながら踊ったのです。
私の人生の中で唯、一度だけの勇気あることでした。
あの日、母と手をつないで歩き、
私だけの母であったことが勇気を出させたのでしょう。
母の日にこんなことを思い出しました。
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