名古屋北部青年ユニオン  2012/8/13~

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トヨタ自動車工場で男性死亡 倒れてきた機械に挟まれる 愛知県豊田市

2018-09-17 | 労働ニュース
トヨタ自動車工場で男性死亡 倒れてきた機械に挟まれる 愛知県豊田市
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高齢者の労災問題 敬老の日に考える

2018-09-17 | 労働ニュース
70~74歳の男性の34.2%、女性20.9%が就業者
 今や、「65歳定年」の時代になったのだから、高齢者人口が増えることは当たり前だと思われるかもしれない。
 だが、高齢者雇用の広がりは、定年延長だけには問題はとどまらず、70歳を超えた老人にまで幅広く及んでいる。
 『平成30年板高齢者白書』によれば、男性の場合、就業者の割合は、65~69歳でも54.8%、70~74歳の男性の就業者の割合は34.2%、同じく女性の場合、65~69歳で34.4%、70~74歳20.9%となっている。
 
 従業員31人以上の企業約16万社のうち、希望者全員が65歳以上まで働ける企業の割合は75.6%だという。
高齢労働者の半数以上が非正規雇用
 高齢者の労働人口が増えている背景には、年金の受給開始年齢の引き上げや、医療費の負担率の増加が挙げられる。
 また、非正規雇用率が高まっている「子⇒続きはコチラ・・・・
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景気改善、でも非正規減らず 派遣切り後、パート5年

2018-09-17 | 労働ニュース
 「今年いっぱいで仕事は終わりです」。2008年12月。京都市内の自動車部品工場で働いていた派遣社員の大木昭(48)=仮名=は、派遣会社の担当者から突然告げられた。契約は翌年3月末まであるはず。「補償はあるのですか」。そう尋ねたが、「ありません」と素っ気ない返答。目の前が真っ暗になった。
 工場で働き始めたのは3年前。金属塊を機械に設置し、加工する役割を担当した。膝を痛めるなど身体への負担は大きかったが、派遣先の正社員から「3年頑張れば良いことがあるよ」と聞き、正社員化への淡い期待を抱きながら仕事に励んできた。
 その願いは、08年9月に起きたリーマン・ショックで打ち砕かれた。世界的な景気後退で、自動車需要は激減。工場でも景気の変動に対応すべく、男性ら約10人が雇い止めにされた。
 勤務最終日。居並ぶ正社員を前にあいさつする機会があったが、何もいえなかった。「現場の人間関係は悪くなかった。悔しかったが、向こうの気持ちも分かったから」と振り返る。
 同じ頃、東京では大木と同様に派遣契約を切られた労働者らを支援する「年越し派遣村」が日比谷公園に設けられ、世間の注目を集めた。年末年始の厳しい寒さの中、仕事や住居を失った人ら約500人がボランティアの炊き出しに並び、宿泊場所の提供を受けた。
 「雇用の調整弁」としての非正規労働者。90年代初頭のバブル崩壊で、企業は人件費を抑えるために正社員を減らし、契約社員や派遣社員への置き換えを進めた。国も呼応して1999年に派遣労働を原則自由化した。「派遣切り」は、必然的な成り行きだった。
 大木はその後、労働組合に相談し、09年10月、契約を打ち切られた仲間とともに派遣先工場の経営会社を相手取り、直接雇用を求める訴訟を京都地裁で起こした。だが、会社側は応じず、やむを得ず12年に和解した。
 年越し派遣村以降、国会で非正規労働の問題は重要テーマとなった。⇒続きはコチラ・・・・
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バブルを機に変わった労働市場 非正規・高プロの流れ続く

2018-09-17 | 労働ニュース
日本の労働市場や雇用慣行は、1991年のバブル崩壊を機に大きく変わった。企業はコストを減らすために多様な雇用形態を取り入れ、国も軌を一にして労働規制の緩和を進めた。2008年のリーマン・ショック後の「派遣切り」などの社会問題を受け、労働者保護の機運も一時高まったが、経済界は制約の少ない雇用形態を求め続けている。労使双方が納得できる雇用の実現は今なお遠い。
 近年の労働政策の底流には、バブル崩壊による長期不況のさなかの1995年、日本経済団体連合会(現在の経団連)が発表した報告書「新時代の『日本的経営』」がある。雇用形態を、正社員らの「長期蓄積能力活用型」、専門プログラマーなど必要な時に契約する「高度専門能力活用型」、パートや派遣社員などの「雇用柔軟型」の3タイプに分類し、効果的に組み合わせる経営を提言した。
 報告書の流れに沿って、派遣労働は99年に「原則自由化」された。本来、派遣は賃金が中間搾取される問題点などから原則禁止され、86年に労働者派遣法が施行されても業種が限定されていたが、方向性を180度転換した。04年には製造業派遣が認められるなど、対象が拡大した。⇒続きはコチラ・・・・
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リーマンショックから10年、 NHK が40代の不遇を特集 年収大幅減も「受け入れるか飲み込むかして、なんとか生きていくしかない」 

2018-09-17 | 労働ニュース
リストラされ、「生まれた時代が悪かった」と嘆く男性
一方、働く側には一層過酷な状況がある。リーマンショックがきっかけで広告代理店をリストラされた40代の男性は、自身のブログに「生まれてきた時代が悪かったと言うしかない」と書いている。
「悔しいといえば悔しいですね。なんとか社会人になって芽が出てきたところで、それなりに頑張っていたけれども……」
と肩を落とす。転職した先の給与は23万円あまりで年収は390万円。結婚して子供が生まれたばかりの頃だった。その後塗料メーカーに転職し給料は5万円ほどアップしたが、"自分達は報われない世代だ"という思いが拭えない。
この10年、男性は度々転職を余儀なくされ、給料も上がらなかったという。思いを、こう語る。
「辛い時ももちろんありますし、もう少し時代が変わっていればと思うこともありますけど、受け入れるか飲み込むかして、何とかしていかないといけない……なんとか生きていくしかない」
これを見ていた視聴者からは共感の声が上がり、ネットでは「大学卒業するときには就職氷河期だったし、社会人として脂が乗ってきた頃にリーマンショックだし、踏んだり蹴ったり」といった嘆きも見られた。
ちなみに、40代前半の大卒男子正規雇用の年代別平均月収(日本総研まとめ)は、15年前が49万円、10年前で50万円、5年前はガクンと下がり46万円で、現在は43万円。10年20年先輩が40代前半のころにもらっていた給料よりも、大幅に落ち込んでいる。⇒続きはコチラ・・・・
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リーマンショック後は、殆どの人が何度か転職を余儀なくされているのが現実です。
そして収入は平均に全く届かなく、会社にはチープに扱われる働き方をされます。
まだ、この人は結婚できているから、普通の幸せがあるからいいほうです。
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