物欲王

思い付くまま、気の向くまま、物欲を満そう

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セックスボランティア

2007-01-18 02:26:02 | 
誰かとセックスをするためにはどういう条件がそろえば良いのでしょうか。仮にAさんとBさんが性的な関係を持つとして、その行為の是非を決める判断軸を挙げてみると、

 (1) AさんとBさんの人間関係(夫婦、恋人、友人等)
 (2) Aさん(またはBさん)が未婚(あるいは既婚)である
 (3) Aさん(またはBさん)の年齢
 (4) Aさん(またはBさん)の性別
 (5) 行為に伴う金銭の授受

など、いくつかの項目が思い付きますね。僕の倫理観だと

 (1) AさんとBさんが親しい関係であれば婚姻関係や恋愛関係になくても良い
 (2) 二者間の親しさが一番重要なので結婚しているかどうかは問題にならない
 (3) 明らかに性行為が不可能な幼児と関係を持つことは許されない
 (4) 性指向の問題なので生物学的・社会的性別は特に問題にならない
 (5) まったく面識がない者同士が関係を持つために金銭授受が行われるのであれば許されない

という感じです。実生活の中でどう振る舞うかはさておき、倫理的感覚としては要はA-B間の親しさが最大の判断要素なので、所謂不倫関係とかであっても許してしまいますし、ホモ/ヘテロセクシュアルも特に問題視しないことになります。ただ逆にまったく交友関係のない者同士が金銭授受をトリガーにして性的な関係を持つのは許せないという、革新的なようで保守的な基準です。

しかし『セックスボランティア』を読んだ上であらためて冒頭の質問にどう答えるかと結構考えてしまいます。AさんやBさんに障害があって、そもそも性行為自体を一人で行えず介護が必要だとしたらどうでしょう。僕の基準では二者間の親しさが大きな問題なので障害者であっても性的関係を持つ相手が親友等であればすんなり許せるものの、相手がボランティアで日常生活に拘わる手助けをしてくれるだったとしたら、ボランティア行為に性行為も含めて良いのでしょうか。ボランティアで性処理をしてもらうくらいなら、むしろ金銭授受を伴うサービスとして提供を受けた方がすっきりするでしょうか。ボランティアという切り口が人と人との関係に入ってくると、上述の判断軸は俄に説得力を失ってしまうように感ぜられます。

著者の河合香織氏は『セックスボランティア』が初めての著作とのことで、不慣れなせいか短いコラムを立て続けに読まされているような感があります。また、著者と僕の倫理観がかなり異なるのか、取材を進める過程で著者が感じる戸惑いや驚きも僕にはすんなりと理解することができないものが多かったです。正直に言えば僕にとって『セックスボランティア』はわりと読みづらい部類に入ります。もっとも読み始める前にそのタイトルから丸山健二氏の『夏の流れ』のような読後感を期待してしまっていたので、単にギャップがあっただけかも知れません。

ただ、ぶつぶつ文句を言いながら読み進めたところ、行き着く結論は『セックスボランティア』とさして変わりませんでした。結局問われているのは「人が普通に生きるとはどういうことなのか」、「自分にとっての性的倫理基準は何なのか」ということなのですよね。障害者と性という組み合わせであれこれ考えることが今までなかったので示唆に富んだ経験になりました。


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