この日になるとどうしても書きたくなります。
七年前仙台の実家でその週に4人のオペラ歌手と私のピアノでアナリーゼコンサートするため、確かその時は「魔笛」を勉強をしてピアノを弾いていたら突然すごい揺れが来ました。外に出たら立つことができませんでした。家の瓦が落ちるのを見ながら目の前の電信柱がぐにゃぐにゃになっているのを見ているしかありませんでした。
折れて自分に当たったら死ぬだろうと思いました。
電気もガスも水道も止まり、本当に灯りひとつない真っ暗な中避難所へ行きました。
段差が分からずアイスバーンの道で転び車が来ました。そのままひかれていたら死んでいたでしょう。
避難所には全てが埋まっており、1畳分だけのスペースがありました。
凍えそうで本当に寒かったです。
何も持ってこなかったのでコートにくるまり敷いて、その時その週にあるモーツァルトの三大オペラの楽譜だけ勉強しようと持参したのでそれを枕に寝ました。
どんなに不謹慎と思われようとそれしかありませんでした。
やはり不謹慎なのでしょうか。
夜通しそれの勉強のために三大オペラをずっと聴いて横になってました。
ラジオもなく、電話は電池がなくなるので極力少なく使用するようにしました。
怖いのと、する事がないので夜通しアイポッドに入れたモーツァルトの三大オペラを聴き続けました。
寝ようと思っても震度5くらいの余震もよくきたので落ち着いて寝ることができませんでした。
避難所ではアルファ米の支給がありました。
お湯で戻すと食べることができるお米が中学校には沢山備蓄していたのです。
支給の時は何言っていないのに、最初はお年寄り、女性、子供を優先させ、あとに男性が並んでいたのが印象的でした。私は本当に最後に並びました。
避難所で横になっているとふと見上げるとグランドピアノがありました。
「ここにいる人のために音楽家として是非ピアノを弾いて何か役に立てれば」
と思いピアノのところに行こうと思いました。
しかしすぐその考えはやめました。
不明、連絡が取れない、親戚家族などに連絡を取ろうと必死に電話をしている人、ラジオ、携帯テレビなどで情報を取っている方、沢山の方が必死に「音」で連絡情報を取っていました。
そんな時に私がピアノを弾くことはもしかしたら連絡情報を取る邪魔になるのではないか。
その時音楽家としての無念さ無力さを感じました。
その1ヶ月後に仙台フィルの神谷未穂さんが、仙台で復興コンサートを仙台のヤマハの前で、ストリートで行うということを知りました。
「ピアノは必要ないの?」
と聞くと、あったらとても助かるというお返事でした。
すぐに家を出て仙台行きの深夜バスに乗りました。
そしてその日の午前には仙台のヤマハの前で神谷さんと、午後は旦那様のエマニュエル・ジラールさんと三人で名取市文化会館のロビーで演奏しました。
名取では演奏前に海岸沿いを車で走りました。
その凄惨な光景は一生忘れません。
それを見たあと、家をなくした沢山の方がいらっしゃる名取市文化会館のロビーで避難している方に、一曲演奏して、何を言えば良いか全くわかりませんでした。
「いま我々にできることは音楽で祈ることしかできませんが、よろしければ皆さんと音楽で祈ることができれば幸いです」
話しました。
その時音楽の力を強く感じました。
それからおそらく回数にして60回以上避難所を中心に演奏に参りました。
今ももしかしたら音楽でできることを出来るだけ行なって行きたいと思います。
黙祷。
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福岡空港から新千歳空港に。
ほぼ2時間のフライト。
空港周りは雪です。
流石に気温差あり。
電車乗り換えあるので食べました。
カルビーの作りたてポテトチップスは香りが半端ないです。
普通のポテトチップスとは全く比べ物にならない美味しさ。
新千歳空港に行ったら皆さん是非!
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7年前のこの日は忘れることができません。
また、ある意味私の人生を変えたという言っても良いかと思います。
また音楽、演奏とは何かということも大きく考え方が変わった時でした。
写真はその後沢山行った慰問演奏の写真です。
まだまだ復興ができていないところが沢山あると思います。
復興へ向けて私にできることは微々たるものだと思いますが、少しでもできればと思っております。
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最高な久留米滞在でした。
心に残るアウトリーチ、ワークショップでした。
年齢差101歳。
今回はなんといっても久留米シティプラザスタッフのMさんの真摯なご対応、ホスピタリティでとっても全てがスムーズに行ったのではないかと思いました。
また、沢山資料、動画を事前に見ていただき、わざわざ打ち合わせで東京は我が家までおいでいただいたおかげで、お互い行き違い誤解なく、全て納得した上で、綿密な計画を組むことができたからこそ今回の素敵な四つのアクテビティができたのではないかと思います。
綿密な丁寧な作業は必ずや成功を生むと思いました。
Mさんブラボー!
あと同じくホールスタッフのKさんには前いらっしゃったホールで公演に携わらせて以来、久留米にいらっしゃってからも色々私の公演を観に来ていただき、とうとう現場でまたご一緒できて嬉しかったです。同じく細かいサポート本当に感謝致します!
カメラワークなど細かいご指示は毎回リハーサル、本番でバージョンアップしていったのが本当に嬉しかったです。
前のホール時代からの長い流れを本当に思い出し感激です!是非つぎは焼きそばを食べたいです。。
また、重ね重ね申し上げてしまいますが、舞台スタッフの凄い働き、また予想以上のアイディア、即座の機転の利かせ方に本当にそのあつい想いと相まって本当に最高な舞台を作ることができたと思います。
わざわざドデカスクリーン、音響ブース、調律師Iさんスポット、などお造りいただいて、嬉しい驚きばかりでした。
この舞台を見たら沢山の面白いことが出来そうなイマジネーションが湧いてきました。
久留米の皆さんが参加型のものがとてもお好き(応募もあっという間に定員越えで満席で感激!)なのもとってもよくわかったので、そのようなイベントなどもどんどんできそうです!
打ち上げには舞台の皆さんもご参加頂き、本当に楽しかったね!!と余韻を楽しみました。
また久留米フード最高!!
重ね重ね久留米シティプラザの皆様ほか関わっていただいた皆様ありがとうございました!!
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