「浜辺のアインシュタイン」公演非常に感慨深く、盛り上がり終了しました!!
完売満席のザ・フェニックスホールにて。
素晴らしい企画、最高のメンバーと共に音楽を作ることができ、言葉では表せない本当に幸せな時間でした。
3月からこの公演のために全てを注いできたといっても過言ではないと思います。
譜面が届きざっとみた感じでは臨時記号もとても少なく「余裕余裕」と思っていたら音を出してみた時に二小節で止まってしまう・・・
これは大変な曲だ・・・
それからはどんなツアーにもパート譜を持参して練習してきました。難しいところを本当に何回も何回も練習、それでも凄く難しかったです。
私が真ん中に座って繰り返しの合図をするので規定の回数から次に変わるところを首をふる練習も毎日しました。
ここ1か月は毎日2時間通し練習をしていたと思います。
3月にWEB会議、演奏箇所決定の論議のメールの応酬、4月練習のためのデモ音源作り、5月キーボードパート練習、最初の希望メンバーのアンサンブルリハーサル、6月合唱メンバーの打ち合わせ、7月さまざまなパートごとの練習、8月ザ・フェニックスホールにて合唱と私のアンサンブル練習、我が家にキーボードパート集中練習、大阪からのメンバー含めての、希望メンバーの器楽アンサンブル練習、9月、10月管楽器パート練習、10月本番四日前からホールにて、本番と同じかセッティング、音響、エレクトロニクス、音響の有馬さんを入れての毎日のリハーサルと8か月かけて作り上げてまいりました。
あらゆる瞬間が本当に走馬灯のように頭に浮かび上がりました。
思えば3年前プロデューサーのMさんと新大阪のホテルのラウンジでお話をした時ミニマル音楽、グラスの音楽のことで意気投合して、是非「浜辺のアインシュタイン」をやりましょう!と盛り上がったのが今回の公演のきっかけでした。
しかしながらまだその時は言ってはみたものの夢物語のようなものだったと思います。
それが様々なきっかけがあり、2020年にザ・フェニックスホールでの「オールライヒコンサート」が実現でき、とうとうこの「浜辺のアインシュタイン」公演が実現できることができたのでした。
今回イメージをメンバーに固定するのは良いとは思わなかったのて申し上げませんでしたが、今回リハーサル、本番を演奏していて2011年私が実家仙台で体験した、またその後被災地で演奏してきた東日本大震災のことがずっと頭の中を駆け巡っておりました。あれから11年経ってもまだまだ本当の復興になかなかならないところもあったり色々なことを考えました。あの日自分の身に起きたこと、またその後被災地で車が積み重なりお墓の中まで逆さになっているのを見たり、瓦礫の渦のようなものも沢山目の前に浮かびました。
グラスが何を表したかは私は音楽でしか受け取れませんが、核、第三次世界大戦の恐怖、そうなった後の世界、核爆弾、アインシュタイン、アインシュタインが色々説明する時に使った列車=trainいう曲にはユダヤ人がアウシュビッツなどに運ばれるtrain、ある日あれよおれよとこのコロナ禍になってしまった今、考えればきりのない様々な連想が頭の中をよぎりました。
毎日ゲラゲラ笑いながらリハーサルをしてまいりましたが、間違いなくメンバーの皆さんは凄くこの曲のシリアスすぎる内容に各々の人生を最高度の集中力を投下して演奏していたのではないかと思いました。
もう素敵すぎる演奏メンバーの皆様、ご一緒できてこれ以上の幸せはありませんでした。
音響を担当していただいた有馬さんには我々の音の聞こえ方全て、命を預けましたが本当に素晴らしいお仕事(=演奏、共演)有難うございました。
またこの公演においでいただき、また温かい拍手をいただきましたご来場いただきました皆様に感謝致します。
改めてメンバーの皆様、お世話になった皆様
有難うございました!!!!!!!!!!!
早速ザ・フェニックスホールに入って「浜辺のアインシュタイン」シンセサイザーでオルガンパート自主練習!
« 前ページ |