自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

どちらが先に逝くのか?(きっと私が先だろう?)

2025年03月07日 | なかま道志ベース

「男は妻に先立たれることを考えない → いざという時の狼狽 → しかし時間が経つと順応していく」 ものなんだなと痛感する場面もあります。

きっと、男というのは不思議な生き物で、妻に先立たれることをあまり考えないのでしょう。というより、考えたくないのかもしれません。

私の知り合いにもなかなかの高学歴で、いつも奥さんに命令口調だった人です。ところが、その奥さんが認知症になり入院すると、彼は泣きながら狼狽えていました。あれだけ威張っていたのに、今は「どうすればいいんだ…」と途方に暮れているのです。

また、ダンスの知り合いにもこんな人がいました。奥さんが突然、脳梗塞で他界しました。ショックでしばらくダンスから離れていたようですが、1年も経つと新しいパートナーを探して、また楽しそうに踊っているとのことです。それは寂しさから逃れたいのか?本当にダンスが好きなのか?本人しか分からないかと思います。

その他にもお一人で暮らしている方がいます。道志の別荘でも永住されている方です。

8年前に奥さまは乳がんから他の場所まで転移して他界したそうです。今までのお住いは娘さん夫婦に譲り、時折り(週末は)孫の世話を頼まれて帰っているようです。

器用な方で家の間取りを変えたり、畑仕事で日々を送っています。私より一つ若い方ですが、もうこの一人暮らしも慣れたと言っていました。どこかに奥さまの遺影などは飾ってあるかと思いますが…。

また、ジムでも…。ある時 ”yukiさん 以前 ダンスサークルで一緒だった○○です”と声をかけられました。毎日のように10時ごろにはジムに入り、マシンやランニングされて体を鍛えています。また、ズンバなどのレッスンも受けており、" 汗かいて楽しいよ!"と私も誘われました。

狭いスタジオですが40人くらい(ほとんどが女性)が音楽に合わせて汗をかいています。

“こんなグループレッスンも長くやっていると顔見知りになり、話かけているんですよ“ と...。そして、昼過ぎにはサウナに入ってロビー近くのラウンジで寛いでいました。

どう見ても、朝から昼過ぎまでジムで過ごしているのもですから、”失礼ですけど、奥さまは?” と聞いてみました。定年退職した時には入院されていて6~7年前に他界されたとのことです。

” 帰宅して総菜を買い求めたり、ラーメンに玉子でも落とせば十分ですよ!” と言っています。まさにジムにいることが生活の一部になっているのです。もう80歳近い方です。

私は女房を失えばうろたえるのかと思って失望感をいだくかと思いますが、しかしみなさんを見ていると、現実は悲しみながらも、どうにか適応していくものらしいのです。

もちろん、忘れるわけではない。ただ、時間とともに「それでも生きていくしかない」と思えるようになると感じました。

どうやら人間(男)というのは、意外とたくましく生きて行くのでしょう...。とはいえ、やっぱり考えたくはないものです。

よく分からないのですが、男性の心理とはそのようなものなんですかね?

この3月に結婚52周年を迎えます。今までは結婚記念日に両方の親に感謝の電報を毎年送っていました。(電報は安上がりで、気持ちも残ります)

もう、両方の親はいません。昨日も女房あてに「通過点として結婚52周年目を迎えました。これからも元気で暮らしましょう」と記念日に合わせて送ったところです。私は結婚記念日は祝ってもらうのではなく、感謝する日だと思っています。

文面はシンプル(値段が安いのと文面からいろいろと想像する)ですが、長い年月を共に過ごせたのは、お互いの努力や支え合いがあってこそで、派手にお祝いするよりも、「ありがとう」と伝えることが大切だと思っています。

男性の心理では多くの人は「自分が先に逝く」と無意識に思っているのでしょう。女房に先立たれることを深く考えないのかもしれません。

しかし、いざその時が来ると、想像以上に動揺してしまう。だからこそ、女房が健在なうちに感謝の気持ちを伝え、大切な時間を共有することが大事と思っているのですが、直接言うことはなんか苦手で電報で伝えるしか出来ません。電報の文面は短いほど、想像力が高まります。

一番短い言葉です。南極越冬隊は無線での会話しか出来ませんでした。

ある隊員が送った言葉と返って来た言葉です。「おまえ」「あなた」でお互いの気持ちが通じるのです。

早いなぁ~52年もの間、一緒に歩んできた夫婦なんだぁ~…。

 

Hiro