自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

道志の「富士の介」を朝食で

2025年01月22日 | なかま道志ベース
最近は良いかどうかは自己判断ですが、1日2食になっています。

ジムのトレーナーはマッチョの大会に出場するために、特別の食事で1日に5食で筋力づくりをしているとのことです。 

道志の養魚場からいただいたキングサーモン×ニジマスの「富士の介」という魚を、日干しにして作ったモノを焼いていただいています。

美味しい川魚ですよ。

イワシは脂が乗って美味しいですよね。

ヒジキです。

大根の葉を炒めたもの。

昨夜のうどんすきの残りを温めていただいています。

後日に京急蒲田駅近く(家から1時間半かけて)のジンギスカン料理店に伺います。

勤めていた会社の人が、北海道に転勤する(地元が北海道)ので、会いたいと誘いがあったからです。

いつも昼飲み会ばかりですが、現職の方ですので夕刻6時半からです。往復3時間・・・。

何時に帰宅できるかは分かりませんが、終電にならないようにいたします。

どうなりますことやら?

 

Hiro


やっと見つけた床屋(理容院)

2025年01月21日 | なかま道志ベース
そう、やっと見つけた床屋は私が中学から高校生時代かと思います。家の近くの床屋で60年くらい前からです。

私の世代ですと、理容院は床屋さん。美容院は髪結いさん。保育士さんは保母(保父)さん。客室乗務員はスチュワーデスさん。と呼んでしまいます。したがって床屋さんでお許し願います。

最近、今まで行っていた床屋さんも店主が86歳と高齢で仕事を辞めました。まさに職人とも言うべき腕のあるオヤジさんでした。この寡黙な方で私は好んで通ったものです。

息子が店主になり、雰囲気も現代風?に変わり、私には合わないと感じたのです。

まさに職人技と言える店主でした。いつも肩を叩かれて目が覚めるくらいです。

ご卒業する最終日前に予約を入れて、その時に感謝の電報が届くようにしていたくらいです。

その後、知り合いの美容院にも行っていましたが、シャンプーしますか?と聞かれます。そうか美容院でカットだけで、シャンプーは追加料金だったんだぁ~。カットは上手なんでしょうが、ひげを剃ってもらわないとスッキリしないのが男性なのでしょう。

この美容院でもヒゲも剃りません。刃物を扱うには保健所の管轄になるそうです。(しかし値段は床屋と一緒です)シャンプーも眉毛を整えるのもオプション価格になるが美容院でした。

次に、ある理容院に伺いました。シャンプーはカット後に一回で全てが30分で終了しました。(値段はほぼ一緒です)この店は私には合いません。(なんか簡単に済ませて終わった感じです)

ふと思いついて、60年くらい前に行っていた床屋(理容院)を思い出し、店の場所は変わっていましたが電話してみました。

予約ではなく入店された方からのことで、1時間半くらいは待ってもらうとのことです。

9時半ごろに伺いました。自転車を止めている時に一歩先に入られた方います。(残念!)

この一歩で終わるのが1時間遅れます。

すでに散髪している方と待ち席に座られている方も数人いました。

これで覚悟は決めて、1時間半を待つことにしました。

スマホの音楽を聴きながら、雑誌をパラパラめくります。

ある週刊誌には長谷川町子さんの「サザエさん」特集なのか?懐かし場面が紹介されています。

私も昭和人間ですのであるある、あったあったです。

はやり、奥深くて面白いマンガです。

押さえておきたい最新アプリ?これってなに?です。

私には不必要で興味もありません。

私も自宅、本家、道志と3つの家を管理?していますが、落ち着ける家ってどれかな?と思ってしまいます。

梅沢富美男さんの連載になっていました。

梅沢さんは正月番組は豪華で、お笑い芸人がバカ騒ぎをしている・・・。ほとんど観ないと。(同感です)

浜ちゃんのことは、褒めちぎっていましたね。

やはり大谷さんの活躍は気になるようです。

これは自宅の新聞ですが、初任給最大41万円とありました。

私が就職したころは、4万6900円が初任給でしたよ。その後バブルで年に何回も給与改定がありどこまで上がるんだろうと思っていましたが、その後バブルは崩壊し月給の上りも鈍化して役職手当も実力給になったり、上限を設定されていました。

約11時過ぎたころに、私の番が回って来ました。

どんな風にカットするか?などを聞かれました。カットはこんな風にと伝えました。

また、いろいろなコースがあるので、プレミアム(一番良いもの)をお願いしました(それでも以前の床屋さんと同じくらいの価格です)

当然、昔話をしました。中学から高校生(学生になっても)くらいまで、違う場にあった店に通っていたと・・・。あぁ~祖父の時代ですね。

そうか、今経営しているのはお孫さんの代になっているんだと・・・。

シャンプーも3回で、眉毛も整えてくれてパックやフェイスマッサージもしてくれます。

実に優しくカットしてくれます。ドライヤーも整え方もソフトですが気持ちが入っているのが分かります。

大変気に入りました!あちこち探しましたが、この店に落ち着きそうです。

問題は常に混んでいるので、待ち時間ですね。

久し振りに(60年前に通っていた床屋さん)、気持ちの良い散髪でした。

次回も行くつもりです。

 

Hiro


道志では簡単に作れる氷中花

2025年01月20日 | なかま道志ベース
道志ではまだまだ氷点下の日があるかと思いますが、先日 東京都心でも最低気温が零度と予報されていましたので、2回目の氷中花を作ってみました。すでにこのことはご紹介しています。

住んでいる場所は区部に隣接している多摩東部ですが、そのまま洗面器に入れて置きました。

翌日は裏返して入れ込んで置きました。取り出すと薄氷の結晶がきれいに出来上がっていました。

まるで氷で作ったティアラのように見えます。

これが薄氷の結晶です。不思議な形で自然が成せる技?なのでしょう。

コンデジで接写してパチリです。見ているだけで飽きません。

この氷のティアラは「椿姫」と名付けました。姫の冠りに似合うかと思います。

まるで、宝石を散りばめたようにも見えるのが不思議です。

こうして、労せずして(自然の技で?)出来た氷のティアラです。しばし見とれていました。

儚い薄氷の結晶なので、もう融け始めてきました。シンデレラ姫のガラスの靴のように終演が迫っています。

もう今年は作ることが出来ないのでしょう。季節はこれから春の陽気になるようです。

束の間の時間ですが、あまり冷え込む(氷の出来る)になるような地域では無いのですが、こんな風に楽しめるのも面白いですね。(自己満足の世界でした)

この中からプリントして、飾っています。

 

Hiro


微睡む

2025年01月19日 | なかま道志ベース

一時(完全退職後)は寝不足状態が続いていましたが、最近は寝付きが良く7時間半くらいは寝ています。

主治医に言わせると、年齢的に6時間寝れれば十分だとか・・・。

眠れない時にはレコード聞いたり、雑誌に目を通しては眠りを誘っていますが・・・。

眠りにつけませんでした。気持ちが安定していなかったのでしょうね。

退職後の3年間は仕事の夢を見たり、いろいろなことが有りました。

やはり神経が高ぶっているのか、その頃はうたた寝や昼寝もできません。

時間とともにそれらも片付き(落ち着き)、気持ちも安定してきたのでしょう。

時には、カメラを持ち出してはパチリもしています。

気持ちを静めるたに書道も良いですね。気持ちと時間の余裕が必要なのでしょう。

もう、50年くらい前に作った置時計です。

お互いのネームも消えかかっています。歳月を感じます。

一番の睡眠導入剤はこれなのかな?それも適度な量が良いのです。

女房はどこでも微睡む(居眠り)ことが出来るようです。

先日も都心に出かけ、帰りの電車は特快を利用して数分後にはウトウトと・・・。

気が付けば、特快電車は降りる駅を通過して次の駅まで行って、戻って来たそうです。

私には絶対にありえない場面です。どこでも眠れる方が羨ましい・・・。

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微睡むとは、「少しの間うとうと眠ること」を意味する言葉で、睡魔に勝てず、気づいたら眠ってしまっていた場合や、寝る気がなかったにもかかわらず浅く眠ってしまった場合に、この表現を用いているそうです。

なお、実際に眠ってしまった時だけではなく、眠くてぼんやりとしている様子を表すこともあるよです。

微睡と言う響きはなんとなく良い言葉ですね。

今現在では、睡眠も十分に取れるようになりました。これも退職後などの気持ちが安定してきたのでしょう。

 

Hiro

 


昔の写真と比べて

2025年01月18日 | なかま道志ベース

一昨日の夜に長男坊がひょっこり顔を出しました。仕事で忙しい中お母さん(女房)の誕生日で手土産を持って来たのです。

その時はあいにく、女房は岩盤浴ヨガへ出かけていました。"もう、帰って来るよ!”と言っている矢先にドアーが開きました。

女房は"仕事いそがしいの~?"と聞いています。理事長のお付きでマレーシアやフィリピンに行って来たようです。理事長はファーストクラスで、大柄の長男坊はエコノミーだとか。それは当然なのでしょう。

宿泊は各国の要人が宿泊するようなホテルのようです。

食事はミシュランだったそうです。私からは体を気遣って"仕事も適当にやれよ!”と言って置きましたが、親心なのでしょう。(私のやってきたこととは反対の言葉です)

私も女房への手土産を少しご相伴に預かりました。味わいも深く美味しいテリーヌでした。

ほんと、美味しかったですよ!

長男坊が中学一年生の時にパチリした画像です。

子どもは黙っていても成長するもんです。

そして40年経って、私と同じボーズでパチリです。私はパジャマ姿で失礼!

これからまた仕事先に戻ると言っていました。ある病院のお偉いさん?になっているようです。

背も いつの間にか追い越されていました。185cm近くあるようです。

子育てに夢中だったころです。この頃が一番大変でしたが、楽しかったような気もいたします。年月が流れました・・・。

私はまだ仕事中心のころでした。古希の祝いでした。(古希はまだ若いと思います)

今では懐かしく思える家族写真です。

こんなデカい車で今から職場に戻ると言っています。

仕事の途中に立ち寄って、また仕事先に帰る息子を見送ると丸いお月さんが出ていました。

子どもたちもそれなりに成長し、私たちも歳も取る訳です。

今後のことは成り行きに任せる主義ですが、まだ老いては子どもに従ってはいません。

旧・新の対象画像でした。

 

Hiro


ふぐは大分も美味い!

2025年01月17日 | なかま道志ベース

新春恒例のフグの初競りが山口県下関市で行われ、最高価格は1キロ当たり1万8000円と去年より2000円高くなったとのことです。

どうしても、フグの取り扱い量が全国で最も多い下関市です。

競りは、仲買人と競り人が筒状の袋の中で指を握って価格を決める「袋競り」と呼ばれる独特な方法で行われ、次々と競り落とされました。この袋の中で何をやっているんですかね?

これは仕事で大分に出張したときの話です。本社の方々ですと仕事を終えると東京(羽田)の最終便でも帰るのですが、私はそこまで働く?ことは課せられていませんので、いつも翌朝に帰宅の途につきます。

駅近くのビジネスホテルに荷物を置いて、ロビーに支店長が待っていますので街中に出ました。

仕事も成功裏に終えて、夕食はふぐ料理で反省会?です。私と、九州の支店長と二人ですが、是非お連れしたい店だと案内されました。

ふぐと言えば下関だと思っていましたが、豈図らんや(あにはからんや)大分のふぐも有名なところとのことです。*現在ここのお店は閉店しているようです。

お店は「ふぐ良茶屋」さんでした。

ところで、私は良く使いますが、豈図らんや(あにはからんや)とはの意味です。全く思いがけないことが起こった気持ちのことで、「意外にも」と使います。若い方は使わないかも知れません。

まさに、ふぐは下関と言われますが、大分のふぐが意外にも美味しいんですよ!と支店長は言われました。

ふぐと聞くと、高価なイメージになってしまいます。日常的には私の口には入りません。

予約して置いてくださったのでしょう。奥の個室に案内されました。

説明はありましたが、ふぐの小鉢です。最初に出て来るものでお店の味が想像できます。

想像していたふぐは、皿が透き通るように薄く円形状に並べているかと思いましたが、身厚です。

コリコリとして食べ応えがあります。私に食べさせたいと言うだけあって、美味しかったですね。

大分のここしか食べられない、ふぐの肝です。なんとまぁ~クリーミーなこと!上手いの一言です。

私の好きなふぐヒレ酒です。これが置いてある店では必ず注文します。

仲居さんが熱いヒレ酒に火を入れてくれました。アルコールを飛ばすためです。

青い火がぼっと出ます。すぐに蓋をして焦がしたヒレの香りを閉じ込めます。いつも一杯では足りなく、中(熱した酒だけ)をお替りします。

何だろう?記憶にございません。

支店長も仕事が上手く行ったので、ご満悦の表情です。上手く行かせることが私(アドバイザー)の責務だと思っています。いろいろな経験から良い方向に行くようには考えますけどね。

ふぐ鍋です。やはり食べてみないと分からない味です。

その後は雑炊になります。いろいろな味(出汁)が染み込んでいて実に美味しい~!

美味しくてお替りもいたしました。

出張の際は社員同士ですので、いつも割り勘になります。しかし この時ばかりは支店長におごっていただきました。

行ったのは7年前でありまだ新型コロナの発生前でした。

テレビを付けて天気予報を見ますが、寒暖の差が大きいですね。

地方色豊かな番組が面白い!

飛行場の会員制待合室です。ラウンジでなく、ゆっくりとコーヒーなどもいただけます。

60才定年、65才までセカンドステージで、そして72才までサードステージでした。今は完全無職で年金暮らしになっています。

8時55分発の東京(羽田)に搭乗します。私は本社には帰らず、羽田からリムジンバスで最寄りの駅に向かい、昼ごろには帰宅しました。

この時は気力も体力もあり、今の自分と比較して懐かしく思えます。

 

Hiro


もう1月も半ば

2025年01月16日 | なかま道志ベース

2025年もスタートし1月半ばになりました。しかし、インフルエンザが猛威をふるっています。

今年はどんな年になるのでしょうかね。ここまで来る(この年齢になると)何故か他人事のように思えてしまいます。

派手好きの母がいたころは、松飾(門松やしめ飾り)も自作で立派に?作り上げ飾っていました。今ではこのご時世ですので簡素なものにしています。

松の内も明けて、正月がざりも片付けました。

今年はこの柿木の当たり年だったのでしょうか?鈴なりに実っています。

三角ハシゴに登って、柿取りをしました。夜なべして(飲みながら)渋柿の皮を剥き、消毒用にヘタの部分を焼酎に付けます。

それを荒縄に挟んで、軒先に吊るしました。

暮れから作っていた干し柿も、収穫の時期を迎えています。

東京の自宅で干し柿が作れるのも贅沢かも知れません。

干し柿によっては、甘い蜜が滴っています。これが自然の甘味なのでしょう。

触った感触で収穫する干し柿を選びます。この干し柿はまだいくらか硬いので、あと5日ほど干します。

食べごろの干し柿をたくさん収穫しました。

直ぐにいただく分は別にして、あとは真空パックで冷凍保存いたします。

やはり、小鳥さんにもおすそ分けです。有るだけの食べ放題です。

なんと言う野鳥だか分かりませんが10数羽が柿の実を吐いています。
*調べたら「ムクドリ」でした。

これはメジロなのでしょう。この物価高の中ですので、あるだけでご自由にどうぞ!

今どきこんな人いませんよね。

春になれば、シジュウカラも巣作りすのでしょう。食と住接近の好条件でワンルームですが、日当たり良好、敷金や権利金、礼金なし、最後の掃除も不要です。大家さんも親切で良い物件かと思いますがね。

道志の庭からも落ち返ったカラスウリです。山芋のような根をいただいて赤い実を付けるまで3年かかりました。

これは自宅で育てた沖縄スズメウリです。模様が手書きのようで面白い。

ご紹介するほどではありませんが、コキア(ほうき草)で箒を作りました。軽くて便利で、使い切れば自然に戻ります。まさにエコ箒ですね。

意味もなく、出窓(洗濯場)の南天をパチリしました。

朝めしのおじやです。昨晩の汁ものにご飯を入れただけです。

脂が乗って安くて美味しイワシです。

正月が終わって、こんな生活をしています。

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氷中花の続きです。

昨夕、さらに水を入れて厚くなった氷中花です。

ただ入れるだけで自然が作ってくれるオブジェです。

*どうもgooブログの接続障害が出ているようです。なかなかつながりませんでした。

 

Hiro


東京の自宅でも出来た氷中花

2025年01月15日 | なかま道志ベース
先日の天気予報では、最低気温が零度と予報していました。

私の住まいは多摩東部と言うところですが、都心で零度であれば我が家辺りは零下になることを予測しました。

道志では冷え込みが強いので、外に置いて置けば簡単に凍結します。

夕刻に洗面器を用意して、メキシカンセージやツバキ・南天など庭に咲いているモノを並べました。

薄い氷ですが、出来ていましたよ!

裏面はこんな感じです。

いかがでしょうか?私にしてはデザインも良く、思いどおりに出来ましたよ!

今朝は更に冷え込むとのことですので、水を入れてもう少し厚い氷を考えています。

出来ましたら、またご紹介いたします。

 

午後7時ごろのお月さんは東の空でした。

再度作ってみました。

今回は昨日より氷は厚く出来ていました。

これをプリントして、部屋に飾ります!

氷の器で出来た豪華料理にも見えますね。自画自賛です。

今日はかかりつけ医で健康診断があります。問題は採血です。血管が隠れているので(細いので)、血管にあたるまで何回も挿されます。ふぅ~!

かかりつけ医から、今帰宅しました。疲れました!


真実?言いたがらない女性(年齢)

2025年01月14日 | なかま道志ベース

以前は本家ですので親戚一同(10家族くらい)が集まり、大賑わで行いましたが、時代の流れでしょうか?それぞれの家庭での正月になりました。

当時は嫁や家の女性陣たちは、料理屋のお手伝いさんのように動き回っていましたね。

主導する母も一昨年102歳で他界し、一昨年は喪中で過ごし、昨年は夫婦二人でクリスマスもお節も作らない正月(普段の質素な)にしました。これはこれで良いかな?と思っています。

1月10日は女房の7〇(まる)歳?の誕生日です。(女性は60歳から歳は止まっているようです。

年齢は知っていますが、どなたかに聞かれると70歳代とか、そのくらい歳とあいまいに答えています。

前期高齢者は間違いないのですが・・・。女性は年齢になると真実は言いたがらないようです。

行きつけの園芸店でも、仕入れはまだなのか?気に入った花はありません。

長く持つシクラメンにしました。(4月~5月くらいまでは咲いていると・・・)

花芽もたくさんありますし、葉がこんもりとしているのでこれにしました。

珍しい新しい品種のブルーシクラメンも買い求めました。

ときどきは、花を開いて新芽に陽を入れると良いと聞きました。

女房はまだ働いてます(自営ですが)。先日も友だちとある地域のダンスパーティーに出かけたり、ジムで岩盤浴ヨガに行っりしていますが、ダンスでもっと運動したいと言っています。

私は近所のジムで2時間半ほど過ごしました。

シクラメンを買い求めた日は、女房ダンスパーティーに行っていましたので、私は遅い(早い)夕食なので、近所の「かつや」に行ってテイクアウトで簡単に食事を済ませます。

この店が、こんな時間に何故混んでいるんだろう?と思うくらいです。

自宅で黙っていただく一人飯も良いものです。

なんだか、やることなすことが段々面倒になって来ました。

スマートウォッチのベルトの輪も切れるし、適度な穴に差し込むのも面倒なのでマジックタイプのベルトにしました。アマゾンで探したら1,000円くらいのものがあり注文したら翌日には届きました。

ダンスパーティーとかジムの話しが出ていますが、学生時代の親友の奥さんから喪中のはがきが届いたり、寝込んでいる友人もいます。

女房の友だちも認知症になり、最近 近くの大きな病院に入院したとのことです。

奥さんの様子が気になり電話したら、ご主人が出て泣き声だったそうです。部屋の番号も聞いたので、行って見ると言っていました。

ダンスも夫婦で25年以上続けています。また私ももうすぐ喜寿になりますが、歩幅が小さくなり年寄り体型から脱皮したいのです。これもお互いに少しでも長く、元気で・健康でいたいからです。

 

Hiro


関西弁や文化は関東人には分からない!(長文)

2025年01月13日 | なかま道志ベース
いま、ジムに通っていますが、関西出身のパーソナルトレーナーが東京に来てまだ1年経っていませんが、関西とはだいぶ生活感が異なるようで、途惑った話をしていました。

関西出身の吉本トレーナーです。(本来ですと顔や名前は伏せますが、そこは関西人で顔も名前も出してくださいと目立ちがり屋さんなのでしょう。)

そのトレーナーは気遣ってはしているのでしょうが、関西弁でしゃべっています。聞いていると面白いですね。よく笑うし、励まし方(ヨイショ!)も上手です。

ある時、吉本トレーナーが言うには、お好み焼きをピザのように放射状に切り分けるのはあり得ない。コテを使う場合は賽の目に切る。

そもそも「お好み焼き」は「1人1枚」が原則でシェアは絶対にしない。なので普通に箸で食べる。

そばが入っているのは「広島焼き」と思われがちだが、大阪でそばが入ったお好み焼きは「モダン焼き」という。と言っていました。本場は大阪で、広島は広島風と言うようです。

大阪のお好み焼きと広島のお好み焼きと、あえて区別しているのでしょう。

私は何処でも、なんでも同じように見えるんですがね?

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今回、ブログにアップするために、吉本トレーナーに下書きを見せたら、今年一番笑ったと言っていました。すべて載せてくださいと言っています。

それでも半分にしました。

 関東人(東京もん)の私が知っているはずはありません。

ほとんどがネットより拝借しています。お許しを!

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トレーナーの言葉から面白そうなので、関西の特徴を調べてみました。

結構ハードなトレーニング中です。

【先ずは、CMの歌です】

トレーナーは全部歌えると言っています。私にはさっぱり分かりません!

「♪関西電気保安協会」

「♪奈良健康ランド」           *もう大笑いが始まっています。

「♪ホテルニュー淡路」

「♪北極のアイスキャンデー」

「♪有馬兵衛の向陽閣へ」

「♪あられはやっぱり、とよす」

「♪はなてん中古車センター」

「♪たこーまさーのやこやき」

「♪ジョ、ジョ、ジョ、ジョーシーン」

「♪いいもの大切にマツヤデンキ~」  *いろいろな歌を口ずさんで(歌って)います。

「♪お仏壇の浜屋~」

「♪ま~ちと住まいの高橋かいは~つ」

「♪ABCハーウジーング」

「♪勉強しま~っせ引っ越しの~サカイ~」

「♪暮ら~し安心、クラシアン」

「♪箕面温泉スパ~ガ~デン」

「♪あ~ほんま、あ~まんま、あのでっかい夕焼け見てみいな~」

「♪とんかつとんかつK・Y・K」

「♪いちにぃサンガリアっ、にぃにぃサンガリアっ」

「♪あさひ美容外科~」

「♪来て見て便利な梅旧院~」

「♪越~前屋~」

「♪オリバぁーソぉースッ!」

「♪ピアノ売ってちょ~だ~い」

「みんなまぁ~るくタケモトピアノ~」 *分かる!わかる!と大笑いしています。

「♪琵琶湖わんわん王国~」

「♪フルフル フルフル フル 装備」

「♪泉北、ホ~ム!」

「♪近江住宅黒沢さん、いっしょに踊り~ましょ~(あ、それ!)」

「♪ヒガシマル うどんうどんうどんス~プ!」 *これ関東もんはしらんの~?と。

「♪ひ~らぱ~」

「♪ビーックビックビックビックカメラ」は昔は「♪カンカンカメラのナッニッワ」やったのにな

「おててのシワとっシワをっ合わせてっしあわせ」

「太平建設工業は、とことんサービスとことん安い!」

「ながーーーーーーーーーーーーーーーいおつきあい、京都銀行」

「うまいもんはうまい」           *これ知らんの~ 超有名やで~

「えらい詳しいですね~」

「わたしらそこのもんですねん」

「先斗町のいづも~やへ」

「京阪電車乗る人おけいはん」

パルナスの歌をフルコーラス歌うと賞賛される。パルナスがどこの味か知っている。

「六甲おろし」は普通にフルコーラス歌える。 *これを歌えなきゃ関西人じゃない。

*さすが吉本トレーナーです。すべて分かると、トレーニングそっちのけで大笑いしています。

「吉本 湯婆婆」で「末成由美」。    *全部分かるわ~

「吉本 アスパラ」で「中條健一」。

「吉本 ギター」で「松浦真也」。

「吉本 新幹線」で「伊賀健二」がヒットする。

さらに「おじゃましまんにゃわ」だけで井上竜夫。

「ドリルすんのかーい」だけで吉田裕。

「インガスンガスン」だけで末成由美。

「見下げてごらん」だけで池乃めだか。  *どうやら節は「見上げてごらん」らしい~

*トレーニングに身が入りません。

「行けたら行くわ」って言うたらほぼ確実に「行かない」。

相手に「考えとくわ」って言われたらはそれは「お断り」の意味。

「最近、どないや?」というぼやっとした質問にはとりあえず「ぼちぼちやね」と答えとく。

「せやな」って言う生返事はたぶん話を聞いてない。

何も違わないのに話始めが「ちゃうねん、」 で、文章の最後に「知らんけど」ってつける。

「絶対」と「多分」を一緒に使っても違和感がない。

例「ちゃうねん、絶対やって、絶対そうやって、多分!知らんけど」。

ほとんどの関西人は撃つと死んでくれる。切っても死んでくれる。

しゃべるときの身振り手振りが異常に多い。  *ここでまた大笑い!

説明にやたら「擬音」を使う。説明に擬音を入れてくる。

「この道をガーッと行って、右へシュッと曲がって、左の細い道にキュッって入ったとこにあるわ」

救急車やパトカーのサイレンが聴こえると 「お前、迎えにきたで」*言ういうと言っています。

「唐揚げ遅いなぁ」っていえば「今、ニワトリ捕まえにいってんのちゃうか」

「今から標準語で喋ろうや!」「ええよー」

「今日…はめ…すごく…暑いデスネ」「そう…だね」「なんでそんなカタコトなん…ですか?w」

「自分もやんwwあ、ミスった」 と、まぁ1分ももたへん。

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京セラドームには「地下鉄で行く派」と「JRで行く派」がいる。

甲子園球場が近いから高校野球をつい見に行ってしまう。

*吉本トレーナーは高校生まで野球どっぷりで甲子園出場経験あり。

特に関西のチームどっか入ってたら関西いうだけでそのチームを応援する。

PASMOとSuicaの違いがわかるのが関東人 

*道志には頻繁に走るバスが無いので、Suicaが使えるかどうかは分かりません。(痛勤・通学が主で、その時間帯しか運行していません。

PiTaPaとICOCAの違いがわかるのが関西人(知り合いのブログ友にもICOCAと言う方がいました!)

「自分、自分のこと自分自分いうてるけど、自分のこと自分ていうのやめて自分」の意味がわかる。 だから『ちょ、自分なんなん?』は、自問自答ではない。

関西で「ウチ」=標準語で「自分」のこと(「自分の家」ではない)

「ちょー!ちょー!!ちょー!!!」(訳:ちょっと、なにしてるのよ!)???

大阪のおばちゃんに「松坂慶子か思たわ」っていっても「そやろ!」といって否定しない。

おばちゃんは「ホンマはあかんねんで」といいながらおこづかいをくれる。???

買うかどうか迷っていると大阪のおばちゃんは「それ、おいしないからやめとき」と聞いてもないのに自分目線で勝手にアドバイス。

おばちゃんをほめると「いややわもう~」っていいながらたたかれる。

関西のおばちゃんの「さすべえ」の浸透度がハンパない。???

「さすべぇ」と「サンバイザー」がおばちゃんがチャリ乗るときの標準装備。???なにこれ?

おばちゃんの「自分、シュッとしているな~」は「あなた、イケてますね」の意味。

 「シュッとしてる」の反対語は「もっちゃりしてる」(もっさりしてる)。

関西人の一家にはなんかしらの「おかんエピソード」がある。*母親のことは特に話さない関東人

おかんは「ええかげんにせなしばくで」というが実際しばく気はあまりない。

おかんの「おこらへんからいうてみ」は怒られるやつ。

おかんの「先寝るで」という謎の報告。

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関西人A「大阪って一家に1台たこ焼き器あるやんな?ウチはあるけど」

関西人B「なんぼなんでも全部の家にはないんちゃう?ウチはあるけど」

関西人C「せやせや一家に1台はないって。ウチはあるけど」

関西人D「ホットプレートにたこ焼きプレートついてんのやったらあるで」

結局、一家に1台たこ焼き器はある!!! 東京人の我が家には無い。

たこやきは家で作れるから外でたこ焼きは基本買わない。外でたこやき買うてるんは観光客。

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【関西人の大間違え】思い込み強し!

「おにぎりせんべい」は全国区じゃない  *これ何処にもあるとちゃう?

「三角座り」は全国区じゃない      *じゃぁ~どうやって座るの?

「紅しょうが天」は全国区じゃない

「ポールウィンナー」は全国区じゃない

「しんどい」は全国区じゃない

「他人丼」は全国区じゃない       *卵入れて・・・と説明あり。

「冷やしあめ」は全国区じゃない

カールの「うすあじ」は全国区じゃない

エースコックのワンタンメンは全国区じゃない  *えっ!これ知らんの?

路線バスって後ろから乗るモンやろ? *ダメだこりゃ!でまた大笑い!

結局、トレーニングそっちのけで終了!でした。

 

Hiro


人生まだ途中 山坂転んで起きて

2025年01月12日 | なかま道志ベース
「人生まだ途中 山坂転んで起きて」
77歳なんて、まだまだ駆け出し!

「還暦(六十才) まだまだ三役 突き落とし」

長寿祝いは賀寿とも言い、中国の風習を取り入れて、日本では奈良時代から始まった日本特有の風習だったようです。

長寿のお祝いは還暦から始まり、本来は数え年の誕生日に祝うものでしたが、最近は満年齢で祝う人が多くなっています。長寿を祝う節目の年齢にはそれぞれ名前が付けられていて由来があります。

現代の満60歳は、働き盛りで高齢者でもありません。あまり年寄り扱いせず、感謝の気持ちといつまでも長生きしてほしいことを願ってのお祝いと思えばよいのでしょう。

ちなみに、60年で十巻十二支(じっかんじゅうにし)が一巡して〝もとの暦に還る〟誕生年に60を加えた年、つまり数えで61歳。赤いちゃんちゃんこは赤子に戻り、もう一度生まれ変わって出直すという意味。長寿祝いの色は赤・朱。

還暦以降はこんなにお祝い事が待っています。

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前期高齢者(65歳~74歳) 高齢者とは何歳からを指すのかは、法律や制度によって定義が異なるのが現状です。

世界保健機関(WHO)の定義では、65歳以上が高齢者とされています。1956年の国連の報告書において、65歳以上の人口の比率を「高齢化率」と記載されたことから一般化されたとしています。

例えば、道路交通法では70歳以上が高齢者と定義されていますが、「高齢者の居住の安定確保に関する法律」では、60歳以上が高齢者と定められています。

あの枯れ葉(初心者若葉マークは義務)は努力義務なのです。付けた方が安全かも?

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「古稀(七十才) そんな誘いにや 耳かさぬ」

もともとは「古稀」と書き、奈良時代は初老といわれた40歳の祝いに始まる10年ごとの年寿祝いが行われていたとしています。

その理由は、古稀が中国唐代の詩人、杜甫(とほ)が詠んだ『曲江詩(きょっこう)』の中にある「酒債尋常行処有 人生七十古来稀」の一節に強い影響を受けているからだといわれています。

その意味は「酒代のつけなら私が行くところ至るところにある。しかし人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なことだ」というものからのようです。当時は「人生50年」という感覚にぴったりだったのでしょう。色は濃紫または紺。

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後期高齢者(75歳) 誰が付けたのか実に不快な言葉です。もっと違う言葉があったのでは?苦労が足りない若いお役人が付けたんじゃないのと思ってしまいます。健康保険は2割負担になりますが、そのうち3割負担になるのでしょう。

しかし、後期高齢者になると後期だなぁ~と実感している毎日です。

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「喜寿(七十七才)  この山越えれば 花畑」

喜寿(きじゅ):77歳(満76歳)ですが、私もあと数か月で花畑になるよう。しかし 花畑のような生活(暮らし)は実感として無理かと思います。

この山さえ越えれば、考えるとまだまだ駆け出しです。

喜の草書を楷書にすると「㐂」と書き、字を分解すると「十七」の上に「七」が付いたような文字となることに由来で、長寿祝いの色は紫。

厚生労働省によると、平均寿命(2024年)が男性81.09年、女性87.14年に! 3年ぶりに延びる と発表していました。

問題は平均寿命でなく、【健康寿命】だと思います。誰の世話にもならいで過ごせること。2024年12月24 日では、女性が75.45歳と、前回2019年と比べて0.07歳延びた一方で、 ▽ ; 男性は72.57歳と前回より0.11歳短くなり、全体的には前回からほぼ変化はありませんでした。

男性の健康寿命は72.47歳ですので、すでに過ぎましたので少し儲けた感があります。

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「傘寿(八十才) まだまだこれでも 役に立つ」

「80」の漢数字「八十」を縦書きにすると、「傘」の略字「仐」に見えることが名の由来とされています。また「傘」の字形は末広がりで縁起がよいのも、この漢字が使われる理由のひとつだとしています。

「寿」は「長寿・長命」を表すので、「傘寿」=「80歳の長寿」という意味で、別名は「八十寿(やそじゅ)」と言います。

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「米寿(八十八才)  もう少し楽しみ 米と酒」

気持は理解できます。もう少し楽しみ 米と「酒」ですね。米寿(べいじゅ):88歳(満87歳)米の字を分解すると八十八となることに由来で、長寿祝いの色は金茶。

この時代(戦争は経験していますが、コロナウィルス・運動不足・便利過ぎる生活など無い)ですから、今後は平均寿命も段々短くなるような気もいたします

また、地球変動(地球が壊れ始めました)で、夏のあの暑さが証明しています。寿命が縮まる思いとはこのことなのでしょう。

個人的には健康で人の世話にならずに過ごせれば最高の人生だと思います。色は傘寿と米寿は濃黄色(山吹色から黄金色)です。

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「卒寿(九十才) 人生大学 卒業なしさ」

90歳のお祝いが卒寿と呼ばれる理由は、「卒」という漢字が由来とのことです。卒の旧字である「卆(そつ)」が「九十」と分解できるため、これにちなんで卒寿と呼ばれるようになりました。

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「白寿(九十九才)  この世は三色(みいろ) 黒白グレイ(私は禿げるタイプ)」

私は今でも薄くなってきましたので、この年齢では髪の毛が無いかと思います。もう一色の光る金色(肌色)を追加してほしいですね。

昔は、99歳まで長生きすることが珍しかったため、お祝いされることはほとんどありませんでしたが、平均寿命が伸びた現代の社会では、白寿のお祝いの機会も増えました。

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「百寿(百歳) 100年暮らすにゃ穏やかが一番 ここまで来ればみな下界」

 100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。

ちなみに、母は享年(数え)102歳で、行年(満)100歳と6カ月でした。

この100歳の祝いに際して、総理大臣・東京都知事・市長からも祝賀状と記念品をいただいています。こうなると毎年、長寿のお祝いをしているようになりますが、認知症など進行し自分の年齢も分からなくなるのでしょう。(母がそうでした・・・)

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「茶寿(百八才)  茶柱立ったよ まだまだ元気」

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「皇寿(百十一才) ここらでゆずろう 長寿日本一」

私の独り言でした。何かのご参考に・・・。

*画像は時期外れですが、庭の草花をパチリしました。

 

Hiro


サラリーマン時代のグッズを処分

2025年01月11日 | なかま道志ベース
今や初任給が30万円越えする時代になりました。その分入社して、責任ある仕事が求められるのでしょう。
 
先日、サラリーマン時代のグッズを処分していました。

一つひとつ思い出に残るモノばかりです。

凍てつく中、1時間半もかけて良く通勤したものです。その時は70歳を超えていました。

いくつかのステージはありましたが、最終的には72歳まで働き50年間勤めたことになります。

最後のステージでしたが、品川港南口を出て7~8分の本社に向かっています。

スイカの定期です。

私は以前からリーガルシューズが好きで、いつも通勤にはそれを履いていました。

もう履かないと思い処分しました。

背広も同じく礼服だけあれば十分で、あとはカジュアルなジャケットを着ています。

Yシャツ襟や袖がピンとしている糊強(のりきょう)でお願いしていました。

ある方に20枚近くクリーニングの出したものを、野良作業にでも使ってくれと差し上げました。

ネクタイも同じく、数本残して処分です。

通勤カバンも、いくつも変えました。これは最後のものかな?いつもはスリーウエイ(手提げ・肩掛け・背負う)ものでした。

いろいろなグッズをバッグに入れていましたね。軽いパソコンも持ち歩いていました。

パソコンなどは社内情報が入っていますので、すべて返却します。そう、USBなども使用できる社のものを申請して使うくらいです。個人のものは使えません。もちろん社のスマホも返却します。

重い訳です。個人用のiPadやスマホもバッグに入れます。あと品川時代は弁当も持って行きました。

長年使っていた手帳です。パソコン時代になっても、手帳は手放せません。予定が書ききれないくらい入っていました。

このケースは出張用です。ハードな入れ物で1~2泊には十分でした。

飛行機の棚にも乗るサイズです。(これは処分せずに、今も道志に持って行くパソコンなどを入れています)

いつもお見せする画像です。これだけで社内規定で執務室はパチリ出来ません。

説明かご意見か?何かを発言している時ですね。

ここは天王洲アイル駅近くで、右手にはレインボーブリッジがある場所です。

浜松町からモノレールでも通期したステージもありました。

処分した背広なども少なくなった分。軽くて機能的なワークマンプラスが増えました。

私には合っています。

先日も買い求めに行って来ました。ユニクロより、ワークマンの方が好きですね。

道志の野良作業に向いているからです。道志にはピッタリですよ!

シューズも靴ベラのいらないものになっています。

まだまだ、処分すべきものがたくさん有りますが、これには時間を要するのでしょう。

会社は多くの社員は単身赴任が多いのですが、特に営業部門は長い方ですと、20年近くも家族と離れて暮らしています。これも企業ならではの宿命なのでしょう。

昨夜も、一緒に働いていた社員から電話が入りました。5年間の本社勤めから北海道へ転勤になると・・・。(彼は出身は北海道者です)

北海道全域と東北方面(青森や岩手)も、範疇に入ります。でも家から通勤できると喜んでいました。

私は何も世話をしていませんが、印象が強かったのでしょう。お会いして挨拶したいと言っていました。その時は私に会いたいと言っている仲間もいるので、呼び出すと言っています。退職して5年近く経っているのにです。

サラリーマン時代のグッズは処分できても、思い出と人のつながりは残っています。

声をかけてくれるだけでも嬉しいものです。

 

Hiro


道志の寒さを楽しむと 帰り道

2025年01月10日 | なかま道志ベース

二日に女房と道志に入り、四日に帰宅しました。今回の目的は二人でゆっくりすることでなく、片付けや掃除などで終始しました。

私は早朝より残材を燃やしています。乾燥していますので見守りながらの作業ですが、何故か見とれてしまいます。

やっと、あたりは明るくなってきましたが、もう8時近くになってです。

それまでの時間はネット障害(ブログ)で、翌日にいつも伺っている方々への訪問です。

みなさん、冒頭に接続障害(NTTへのウイルス攻撃被害)のことを話題にしていました。

そして、朝9時ちょっと前になりました。

冷え込むことを予想して「氷中花」を作る準備をしていたのです。

こうして、洗面器に水を張り自宅から持って来た草花などを浮かべました。

山の向こうから陽が射して来ました。

洗面器を裏返して見ると、氷中花が出来ていました。

青い空に掲げて見ると、こんな感じにです。

これも道志での冬の風物詩になりました。

しかし、水と草花を入れ過ぎたので、完全氷結していませんでした。

直ぐに崩れるように、見るも無残な崩壊です。

これも経験だと思います。

道志の朝はマイナス5度でしたので、ホースからの水も凍って出てきます。

ブログで知り合ったの地域(旭川)は、零下14度とお聞きしました。

日本は広いなぁ~と思う一瞬です。

帰宅の準備をしていますので、簡単な朝食です。

これといつもの白菜サラダでした。

女房は掃除機をかけて、私は持ち帰るものを車に積んでです。

普段は上げて置くフロントワイパーもそのままでした。エンジンをかけて解凍します。

道志街道を通って山道に入り、相模湖インターから中央道のコースでの帰宅です。

これらの内容は前回ご説明したとおりです・・・・。

渋滞の原因である車は、カーブの手前からブレーキランプが点いたり消えたりしてかなり低速運転です。後ろの車もイラついているのか?あおっているようにも感じます。特にバイクは追い越すチャンスを狙っているようです。その先頭車両がのんびりゆっくり運転だったのです。

この車とは途中で相模原方面に行きました。ここでお別れで、あとはスムーズな運転になりました。結局、普段より少し遅くなった到着時間でした。

いつものカップで、コーヒーを飲んで、ちょっと遅い昼食です。

それから、ちょっと出かけました。「さかな屋さん」に刺身を買い求めに行ったのですが、魚河岸がまだ開いていませんね。店は閉じられていました。

そして、コンビニへ向かいます。レジで買い物をすまし、袋に入れてバイクに戻りました。

あれ?無い!

ちょっと高価な片方の補聴器がありません。ポケットを探ってもありません。

急いでコンビニのレジへ向かいました。

店員さんもモノを退けて探してくれましたが・・・。

結局、袋を出す時に絡まって落ちてレジの反対側に落ちているのを店員さんが見つけてくれました。(私には欠かせない必需品で高価なものですから、安堵しましたよ!)

今年初の落とし物です。これから増えるのでしょうね。

さて、今日から私はジムへ。

女房は友だちとダンスパーティーに行って来ると言っていました。

それぞの趣味(楽しむのも)も良いのでしょう!

 

Hiro


コーヒー一杯から始まる道志

2025年01月09日 | なかま道志ベース
この内容は1月4日のことでした。道志に入って2日目の朝・・・。

かなり早朝に目が覚めました。その時は覚えていた初夢も直ぐに忘れています。

先ずは洗面後にコーヒーを飲むのが習慣になっていす。

道志に通い生活して、10数年が経過しました。それまでは作る・育てる楽しみでしたが、今や作ったモノの改修や大きくなった木の剪定になって来ました。

自然相手ですので、朽ちたり育ったりします。

やはり、お正月なのか?切り落とした枝も紅白になっています。赤い枝は梅かも知れません。

女房が起きる前から(6時半ごろの日の出前)から防寒対策して動き始めました。

切り落とした枝木などを処分です。これを終えるまでに、3000歩になっています。

歩いたのではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

やっと、朝食にありつけました。普段は一人暮らしですので、お茶漬けやトーストなどあるのもで済ませています。

その後は、こちらの枝木の処分です。

蔦のかっらまった枝もオブジェになりそうです。自宅近くの園芸店に差し上げたら喜ばれました。

山のようにあった、枝木や落ち葉も片付けました。落ち葉は堆肥にします。

落ち葉やおが屑を花畑や畑に撒きました。やがては腐葉土と霜よけになるのでしょう。

その時期になれば、耕うん機(プチな)で耕します。

落ち葉は女房が履いてくれたり手伝ってくれて、思ったよりきれいに片付きました。

私は農機具小屋の剪定に入りました・・・。

女房は近くの温泉に行きたいと言っています。

近くの道志川温泉「紅椿の湯」に送り届けました。結構混んでいたようですが、温かいお湯に浸かってゆっくりとしたようで何よりです。

 

小屋に絡まる蔦も剪定しました。ガラス窓には家や山の景色が映っています。

このようにハシゴをかけて、覆っていたバラなども剪定しました。

この小屋も一人で作るには大変でした。家の全景と広いデッキが見えます。

屋根に登ると、景色も変わります。

女房から迎えに来てくれと連絡がありました。温泉も気持ち良かったと・・・。

湧き水も勢い良く出ています。この1か月以上雨が降らないので、水源も心配です。

せせらぎの渡り木ですが、だいぶ朽ちて来ました。あれもこれも作ったと思い出します。

このせせらぎも、掘ってはシートを張り砂利を入れて作りましたね。

ワサビの茎がシカに食べられた痕跡があります。

水草に隠れているワサビです。

水面に青い空が映っています。空気は美味しいし、清々しい気分になります。

この辺りは次回入った時に片付けます。体力的にも限度ですね。

簡単な夕食(温泉で買い求めた食材)で済ませました。

翌日は帰宅しましたが、いつも湧き水をポリタンに積んでいます。

この朝5時の外気音はマイナス5℃でした。

翌日の昼ごろの道志を出ましたが、道志みちは安全運転?(ノロノロ運転で渋滞しています)

みなさんイライラしている様子が分かります。これは安全運転とは言えません。約2時間で帰宅できました。この内容は次回ご紹介いたします。

 

Hiro


二日 珍しく女房と道志に入りました

2025年01月08日 | なかま道志ベース

そう、元旦のまで使えていたブログ機能でしたが、2日にアップしようとしたら、うんともすんとも開けませんでした。他のネット回線は使えたのですが・・・。

正月早々でしたので、なんで?どうして?と言う感じでいました。

(結局は、2025年1月2日(木曜)午前5時27分頃から、gooにはアクセスできない状況で、外部から、、サイバー攻撃?があったようです)

これだけパソコン(ブログ)生活に入り込んでいたのが分かりました。

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久し振りに、女房と道志に向かいました。

普段なら1時間30分はかからないところ、2時間以上かかりました。

中央道に入って直ぐに渋滞に巻き込まれました。

この富士山方向を目指します。

荷物を降ろし、早速動き始めました。風もなく日向ぼっこ出来るような感じです。

デッキで遅いランチです。やはり一緒にいると心強く感じます。

やはり、自然の中で外で日向ぼっこしながらのランチは更に美味しく感じさせます。

室内の窓越しから、ゆっくりしている女房が見えます。こんな姿を見ていると51年間も一緒にいただなぁ~と思ってしまします。

冬の道志とは思えないような、気温で青い空と澄んだ空気が時を一寸止めたような感じです。

私は前回やり残した屋根に被る枝木の切り落としです。梯子を固定して落ちないように(ケガしないように)細心の注意を払ってです。

見ずづらいかと思いますが、かなり切り落としました。

切り落とした大量の枝です。いかに処分するかです。

陽も落ちてきました。やはり寒くなって来ましたね。普段なら、ここから一人飯づくりですが、今回は女房が夕食づくりしてくれました。

食べながら、飲みながらいろいろな話になりました。たとえば、今後の生活やダンスをどうするの?とかです。

やはり、コロナ禍と退職後のハシゴを外されたような生活(気持ち)、その間にも諸々のことがありました。ここ最近になってジムにも通い出し、前向きになって来たところです。

お互いにそれなりに元気ですが、10日の健康診断の結果でなんと言われるかです。

道志の家も、作ることから補修することが多くなって来ました。

手放すこともそろそろかと考えています。まぁ~10数年たくさん楽しませてくれましたからね。

今朝の気温はマイナス2度でした。

冬の時期は7時半過ぎてもお日さまは上がって来ません。

今日も天気は良さそうですね。

霜も降りて、白い道志になっています。

朝のうちに(8時前)には枝木も半分処分して、すでに3500歩になっています。

正月も平日も変わりない作業があります。

永住していれば、ゆっくりといろいろなことが出来るのでしょうね。

 

Hiro