自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

またちょいと一杯

2024年10月23日 | 日記
*スミマセン!タイトルの誤記入です。
 
昨日は友人と二人で、お互いに中間点の駅で待ち合わせ、午後2時からの昼飲み会でした。

まぁ~お互いの状況など安否確認のようなものです。

駅から徒歩1分の、とあるビル5階の安い飲み屋さんです。昼食時はサラリーマンがランチで利用しているのでしょう。この時間ですと空いています。

先ずはで乾杯です。外国の方は日本人が席に着くなり「先ずは生(なま)と言いますので、そう言う銘柄があるかと思っているようです。

くぅ~! 喉に染みる~です。

先ずは席を決めて、着座すると 関東では小さく料理が盛られた「お通し」、関西では「突き出し」と呼ばれているようです。料金にプラス400~500円追加されます。

料理ができ上がるまでの時間をつなぐ酒のつまみとしての役割です。

以前はカロリーの高いものを注文していましたが、最近はキャベツやシラスのサラダを注文するようになりました。

喉を潤し、雑談(近況報告)です。それぞれ後期高齢者となっていますので、やはり健康ですとか、今後の生活をどうするか、どうなるか?です。

好きな焼き鳥盛り合わせ1人前です。

彼は愛知県岡崎出身の長男ですが、東京生活に慣れて実家には戻らない決意をして、その処理?が大変だと言っていました。また、最近は入院してある手術を受けて、今は完治してると言っていました。

軟骨揚げも話しながらですと、ちょうど良いつまみです。

私も72歳で退職後はいろいろと重なり、ネガティブな状況が続いていましたが、今は吹っ切れてポジティブになっています。

美味しそうに見えたサンマですが、脂が乗っていなくイマイチでした。(残念!)

男性は仕事時代は多くの会話する場面がありましたが、退職すると会話する相手が急激的に減ります。

これら会話不足が老後の問題(不安)材料の一つにもなるのでしょう。別にプライドなんかはありませんが、急に地域に溶け込むことも出来ません。早くから(現職時代から)行動していれば、地域の仲間も増えたかと思います。

そうか?刺身の盛り合わせも頼んでいました。テーブルの見た目は豪華ですが、大したものは並んでいません。いつもこんなモノです。

つい先日も同じ年の俳優さんが虚血性心疾患で他界しました。その前は車椅子生活を送り、心筋梗塞も患ったとのことです。と言うことは70歳台になる前から体調はすぐれなかったのでしょう。

私は冷酒にしました。彼は芋焼酎のお湯割りです。

お互いの会話の中で、年齢と比較するものは65歳までで、その後は大きく個人差があり、早いとか遅いなどは人それぞれだとの結論になりました。

この画像の雰囲気で、この場の気分がお分かりになるかと思います。

そして、私はレモンサワーです。

まだ、3時頃ですが、同じジヤージ姿の女性二人が入店してきました。

やはり、生ビールを注文して一気飲みしています。

方や商談なのか?一杯やりながら話し込んでいるお客さんもいます。人間ウォッチングも面白いものです。これもそれぞれの人生?なのでしょう。

これからの年齢になると、当然「認知症」とか「病」「ケガ」などがあるかと思いますが、もう年齢の責任では無いような気もいたします。その人が持って生まれた何かがあるのでしょう。

彼も奥さんと、老人専用マンションに引っ越すか?などと話しているようです。

彼は福祉の専門家ですので、年寄りに囲まれての生活は、年寄りになるのが早いと言っていました。

割り勘の会計を済ませ、駅前で「じゃぁ~またな!」で別れました。

私はバスを一台遅れさせて、パルコの地下で買い物です。自分だけ美味しものを食べてはと思って、女房の夕食用にと京樽のちらし鯖ずしを買い求めました。また、大根やキャベツ、脂の乗っているサバの開きも買い求めてしまいました。(ほろ酔いで、買い物した荷物も重たく感じます)

バスに乗り込み5時ちょっと過ぎに帰宅です。

女房からの置手紙がありました。咳が出るので近所の耳鼻咽喉科へ行って来ると・・・。

そのうち、ラインが入り順番で診察を終えるのは8時過ぎで(3時間半待ちで)9時ごろに帰宅するとのことです。

私は普段なら、とっくに寝ているところですが、帰宅して来るまで待っていました。

症状は季節の変わり目(温度差)病とのことです。検査もしてもらい、薬も処方してくれたそうです。

美味しそうに、ちらしと鯖ずしを少し食べていました。なんか長い一日でしたね。

今朝も姉さまと電話していましたが、遠いい親戚方が83歳で他界したとのことです。

早くから、施設のお世話になっていました。

 

Hiro


何でもできる内は・・・

2024年09月11日 | 日記
社交ダンス(競技)は始めてから25年経ちます。パートナーは女房です。
道志での通い生活も12年経ちました。
年金暮らしでやめるのは簡単ですが、何でもできる内は続けたいものです。

いわゆる社交ダンスを始めて25年くらいになります。先日、庭の日除けにぶら下っていた「ふうせんカズラ」を切り取って、スタジオにお持ちしました。

さすが、ダンススタジオです。きれいな花が飾られています。

カップルレッスンの時は木下聡明先生に受けています。最初の踊りで上手にシンプルに踊っているとの評価(お褒め?)です。

その後、ハードで具体的に体幹の使い方などの指導に入ります。

ダンスを始めて25年になりますが、何でも最初は夢中になりますね。出場するからには「勝!」が目標でしたが、歳を重ね体力も落ち、さらにコロナ禍により試合は2年近く中止になりました。

当然、今ではそんな気持ちも無くなり女房のお付き合い感覚です。

まぁ~生涯スポーツとしてのダンスです。

スタジオの受付にダンスの冊子が置かれていました。

先生はご自由にお持ちくださいと言っています。そこには習っている木下砂穂の名がありました。そう、この先生たちとはダンスを始めたころに出会ったのすが25年前になります。

自宅近くにダンス教室が出来ましたので、近くていいな?と思ってドアーを開けてみました。

先生ご夫妻から、”あらyukiさん!”と声をかけられました。以前はあるスタジオでスタッフだったのですが、独立されて近所に独自のスタジオ(教室)を開設されたのです。

それが今回ご紹介する先生です。(とは言っても息子たちと変わりない年齢です)

女性先生(木下砂穂さん)とも、幾度なくデモンストレーションを行っています。

それまでは、試合に出ても勝てないのは先生(教室)の責任と思い、なんどか先生も代えました。この先生方に教わり始めて、ランクも上がって行きました。きっと先生との相性?があっていたのでしょう。

最初は、バレーダンスからはじまり、ニューヨークに何度か行ったようです。

また、劇団四季のオーディションも受けた期間もあったとか・・・。

劇団四季では社交ダンスの講師をしていたと書かれていました。

大学のダンス部でライバルだった同期の木下聡明先生と組んで優勝経験もあり、その後、結婚してプロのダンサーになり現在に至ったとしています。

ダンスのメッカ、イギリスのブラックプールでも毎年のように出場していました。

先生というより、息子や娘のような感覚です。

先生もパーティーが開催できるようになりました。

場所は恵比寿のウエスティンホテル東京です(ディナーの美味しいホテルです)

第1回サマーパーティーが開催され大成功でした。これも両先生のお人柄からなのでしょう。

エンディングも豪華メンバーです。

木下砂穂先生も多くの方々に支援を受け、成功裡に終演した時に笑顔から大粒の涙が流れていたことを思い出しました。

この冊子を読んで、ラインを送りました。「この25年の間、いろいろとご苦労が有ったかと思います。よく頑張りましたね!」と・・・。

先生からも返信で、「涙が出そうです・・・」とありました。

出会い、人さまとの付き合いは不思議なものです。昨日も道志の別荘の森〇さんが奥さまと訪ねて来ました。

削る(減る)付き合いもあれば、増える方もおります。

そんなことを感じた昨日でした。

今日の道志は快晴で陽射しも強いので、外作業はでません。

道志もあと2年くらいかな?と思います。その時は家具類含めてお譲りいたします。

 

Hiro


大の里が優勝した翌日(やること多し)

2024年06月01日 | 日記

最速で大の里が優勝した翌日でした。

スーパーの屋上駐車場から(道志に入る食材を買い求めに)

大雨が降るらしい・・・。被害が出ないうちに、庭の草花を摘み取り飾る。

そして、大相撲の千秋楽を観戦したかたが、女房の店に土産と土産話をしに来ました。

女房の知り合い(店のお客さま)から土産をいただく品々です。

94歳の方が千秋楽後に「八角部屋に招かれる」とは・・・。

有名な代議士も同席。お孫さんに連れて行ってもらったと言っていました。

こんなことが出来るお孫さんも力がある方なのでしょう。

雲っていても紫外線は強い。季節は初夏。

一坪農園から小松菜収穫。

東京都より冷蔵庫を買い求めたらエコ商品券が(11000円分)届きました。

何に使うか迷っている。(きっと、ある方へのお中元になるだろう)

女房の店(ブティック)に飾ってある木鉢が置いてあります。

我が家の飲料水は道志の湧き水。

やはり、雨も止み今日は道志に行くことにしました。

+++++++

そして、今朝大雨後の草花をパチリ。

なんとか、すべてが元気でした。

 

Hiro


先ずはお詫び(約束の日を忘れる!)そして朝食

2023年11月10日 | 日記

そう、特に予定も入っていない日と思っていました。

最初に、安〇さんにお詫びを申し上げなければ・・・!

特に予定も入っていないかと思っていましたが、今朝起きて見ると一通のラインが・・・。

”今、待ち合わせの駅にいるのですが”と。完全に一杯やる日だったことを失念していました。

スマホは充電中で、ライン通知には気が付かなかったのです。

今朝起きてその通知に気が付いたのです。あじぃ~!飲み会の約束していた日だったのです。

完全にボケがスタートしました。安〇さんスマン!

割り勘でなく、今度は私が負担しますのでお許しを願います!!!

+++++++

さて、気を取り戻して・・・。

朝起きて朝飯前にやることがありました。

コーヒーを淹れます。

専門店でガテマラの豆を焙煎していただいています。

500円玉くらいの大きさでお湯をかけて行きます。この時、ぷっくらと豆が泡のように膨らみます。良い香りがします。

岡山で買い求めた備前の茶わんを使用しています。

ここから、一日が始まるのです。

女房が起きて来ました。

朝飯の準備をしてくれています。

”お腹の調子はどう?”と声をかけてくれました。

まだ、本調子ではありません。

アサリの味噌汁です。

タマネギとキュウリのサラダ。

大根を煮たモノ。

ヒジキ・・・。

油揚げ(好きなんです)。全部は食べません。

柔らかいご飯にしてもらいました。シラスを乗せています。

最後は必ず、塩昆布茶をいただきます。

これだけの朝飯です。

みなさん、絵になるような料理や飲食などをご紹介されていますが、我が家の朝飯(こんなモノ)をご紹介してよろしいのでしょうか?

 

Hiro


久しぶりに練習会に参加&今の気持ち

2023年06月01日 | 日記
49日忌も終え、それなりに普段の生活に戻ってきました。先日の夜は60日ぶり?のダンスの練習会に参加しました。

下駄箱は昔の言葉で今では靴入れと言うようです。これすら、ネットで「下駄箱今はなんていう」で調べるくらいです。ハンガーのことは衣紋かけ(えもんかけ)とまだ言っています。それだけの年齢になったのでしょう。

ベストだって、チョッキなどと・・・。言い始めたらきりがありません。

この靴入れまたはシューズ入れもたくさん入っています。

みなさん、ほぼ同年配ですが体を動かし練習しています。多くの組は近々 試合があるようです。

当然、運動をしていませんので、体が思うように動きません!ちょっとショックを感じました。

中には、ほとんど毎日のようにダンスの練習をしている方もいます。私はすべてが消極的になった自分が情けなくもなります。

いろいろと感じながら練習会場を後にしました。普段ですと5時頃から飲み始めて9時にはうたた寝状態ですが、昨夜は12時近くまで起きていて、NHKのベトナム戦争に関する内容を見ていました。若き米国の大統領 ジョン・F・ケネディーにもある種のあこがれがあって、射殺されたダラス市の現場まで行ったくらいです。

暗殺されたのはダラスで金曜日でした。

また、ベルリンの壁が崩壊した時も、単身で現地の様子や現状が見たくて、その場所に行ったこともあります。

この壁が崩壊した事実を自分の目で見たかったのです。

そう、18歳の時は返還前の沖縄にも行きました。

21歳の時は単身で渡米し、アパート借りて学校に行き、アルバイトもしていました。

日本食レストランでバイトです。昼食と夕食が出るからです。皿洗いから天ぷら揚げ係に昇進しました。

書道は準師範まででしたが、都合で筆を休めています。

コロナ禍もあって、居酒屋や鮨屋で一杯もほとんどありません。

ラインやメールでやりましょうと連絡は頻繁?に入ります。

65歳過ぎて72歳まで、ある企業にお世話になっていました。先日もラインが入り、今週金曜日に有楽町で一杯予定しています。

何が言いたいかです。あれだけ行動派だった私が消極的になり動かなくなっちゃいました。

勝ち負けは勝負の世界ですので、いろいろとありました。燕尾服やラテン用衣装も着ています。特に女性は衣装が楽しみなのでしょう。(ちょっとお高いと思いますけどね)

若き日から、女房と競技ダンスを楽しんで来たのに・・・。

何故だか分かりません。急に(段々と・・・)行動力が少なくなったのは事実です。

久しぶりのダンスの練習会に参加して、改めて年齢のせいにしてはダメだ!と感じた自分がいます。

まぁ~いろいろなことが重なり、そのような心境になっていたのでしょう。断捨離も良いのですが、先ずは居酒屋で一杯から始めることも良いのかと思います。

土曜日には友人と一杯の予定が入りました。

 

Hiro


葬儀の手順と用語

2023年05月24日 | 日記

御霊前と御仏前の違い そして葬儀の流れ

2023年05月21日 | 自分のブログ

私ごとで大変失礼ですが、先日、母100歳(行年102歳)の四十九日忌(しじゅうくにちき)法要を菩提寺にて執り行うこないました。

みなさまは当然ご存じかと思いますが、先ずは御霊前と御仏前の違いは、葬儀に参列するからには必ず知っておきたいところです。四十九日の前か後か、また宗派の違いによっても異るようです。

また、弔問や会葬に際し、香を持参し、個人の冥福を祈ったことから「香典」と呼ばれるようになったとしています。

お若い方は意外に知らないこともあるかも知れません。

御霊前…死者を敬って霊前を丁寧にいう語。

霊前に供える金品に書き記す語。御仏前…仏前を丁寧にいう語。仏前に供える金品に書き記す語。

その前に、葬儀の流れです。

危篤:

私の場合ですが、施設(病院)から数日前より電話があり、母の状況説明がありました。血圧や他の症状もです。酸素マスクを付けた母の姿がありました。先生は経験的にそろそろと・・・。

あと数日間と聞きました。今では家族葬が中心となっていますので、子どもや孫には連絡し、母の姉妹も高齢なので、この時は連絡しませんでした。

逝去(臨終)

そんな状況を察知して、翌日また病院に行くと医師が立会い臨終を告げられました。

その時に、ご安置はどうしますか?と尋ねられ、知り合いの葬儀社に電話を入れ、1時間後には遺体を引き取りに来ました。私としては一度は自宅に戻したいとお願いし、自宅で過ごしてもらいました。

形では末期の水を含ませることもありますが、一般的には最初の儀式だと思います。

死亡診断書を医師から受け取り、あとは葬儀社さんに届け出などを任せます。

姉のすすめもあって、最期にふさわしい姿にするために遺体に施す身繕いや死化粧ですが、体が硬直しなく優しいお顔になるエンバーミングをお願いしました。20歳は若返った姿になりました。

親族への連絡

家族葬ですので、姉妹や遠方の親族には連絡しましたが、みなさんのご負担が無いようにあくまでも家族葬で身内だけです。それでも20数名はご参集いただけました。

葬儀日程の調整・決定です

菩提寺は私が直接やり取りしました。合わせて葬儀屋さんには火葬場の空き具合を調べてもらい(今は凄く混んでいて、分刻みの状態のようです)住職と日程調整です。

その後、葬儀日程が決まってから、姉妹や親族に状況を説明し、母が亡くなり○○で○○日に葬儀を行う旨を伝えました。姉妹は高齢ですので、代理で出席していただいた方がほとんどです。

その時に献花についてもお話ししました。孫や関係者も合わせて20基くらいになりました。

死亡届の提出など

葬儀社さんがすべて行ってくれます。(逝去してから7日以内です)

その後が大変です。自分で行わなけれなならないことがたくさんあります。金融機関への連絡や年金庁への連絡、健康保険など市への手続きもあります。

遺体搬送・安置

葬儀までの間、故人のご遺体は斎場もしくは自宅で安置します。搬送先を決め、葬儀社に希望を伝えれば、寝台車で安置所まで搬送してくれます。

母の場合は一度は自宅に戻りましたが、エンバーミングをお願いしていましたので、すぐにその施設にお送りしました。その後は葬儀社さんの安置所でお願いしました。いつでも会いに行けます。

葬儀の打ち合わせ

遺体の安置が終わったら、葬儀の打ち合わせに入ります。可能であれば、葬儀社より先に家族だけでどんなお葬式にしたいか話し合っておくのです。

宗派の確認や喪主の決定、遺影写真の選別、会葬御礼の品々もです。

  • 葬儀の形式や規模
  • 予算に沿った葬儀プラン
  • 棺や祭壇、供花などの葬祭用品 *故人の趣味や性格から華やかなものにお願いしました。
  • 通夜ぶるまいや精進落としなどの接待料理 *これが参加される人数の想定や価格を含めてどんなふるまいをするかです。
  • 当日返しや香典返しなどの返礼品 *結構大変な作業になります。

など、葬儀を執り行うために必要な項目を1つ1つ決めていきます。

お坊さん

仏式の葬儀では、読経や戒名付与をしてもらうために、お坊さんの手配が必要です。私は菩提寺の筆頭総代を仰せつかっていますので、住職もそれなりのことを考えていたかと思います。

菩提寺住職と有縁(うえん)の各聖(つながりの濃い聖人お二人で計3人の読経の中で執り行うことになりました。

母は生前戒名をいただいていますので、その辺は問題はありませんでした。先代を含めて最高位の院殿号が付いています。

通夜・葬儀(告別式)

葬儀社さんの施設で執り行いました。

湯灌(ゆかん)・納棺

お葬式で最期のお別れをするために、故人をお風呂に入れてキレイにすることを湯灌(ゆかん)の儀もありますがこれはエンバーミングをお願いしましたので行いません。(父の時は行いました)

副葬品とともに棺に納めることを納棺

故人を納棺する棺には、旅支度の品以外に、生前の愛用品や好きな食べ物など、さまざまな副葬品を収められます。ただし棺に入れられるものには決まりがあるので、事前に副葬品の範囲を確認しました。

通夜

一般的な葬儀は2日間あり、1日目にお通夜を行います
お通夜では、家族や親戚、故人に縁のあった人たちが集まって、故人と一緒に最後の夜を過ごします。開始時間は18時ごろで、仏式であれば僧侶の入場、読経、焼香と続き、最後に喪主の挨拶があるようですが、家族葬のために簡単にしました。私はお手紙の用に母のこれまでのこと書いてみなさんにお配りしました。

通夜振る舞い

通夜の閉式後、参列した弔問客や手伝ってくださった方々に食事や酒をふるまいます。これは通夜ぶるまいと呼ばれ、弔問客へ感謝を伝えること、思い出を語り合って故人を偲ぶことが目的です。また、「故人と最後の食事を共にしてもらう」といった意味合いもあります。

葬儀・告別式

通夜の翌日に、葬儀・告別式が行われます。火葬の時間によって開始時刻は変わりますが、開式の約1時間前から参列者を受け付けるのが一般的です。

参列者が着席すると、僧侶が入場して読経します。宗派によって異なりますが、読経時間は30分〜60分ほど。読経とともに故人に戒名が授けられ「引導渡し」が行われます。焼香のやり方や回数は宗派によって異なるため、事前に司会者と相談して置くのも良いのでしょう。

この時に弔電も読まれます。順番なども事前に司会者と相談しておくことも必要です。

そう、献花いただいた方の配列も重要です。失礼が無いように配置やバランスを考えます。

読経が終わると僧侶が退場。司会者が閉会の辞を述べ、葬儀・告別式は閉式します。

出棺・火葬・収骨

出棺

葬儀・告別式の閉式後は、「お別れの儀」と呼ばれる出棺の準備に入ります。喪主や遺族、参列者で棺に花を入れ、故人と最後のお別れをします。

お別れの花入れが終わったら、棺にふたをして、火葬場に向けて出棺。出棺する前に、喪主が弔問客へ挨拶を行います。(私は前日の通夜式でご挨拶しましたので行いませんでした)火葬場に向かう人以外は、出棺のタイミングで解散します。

火葬

出棺が終わったら、そのまま火葬場へ移動。火葬場にはご遺族や近親者、ごく親しい間柄のご友人のみが同行します。故人と喪主、葬儀社の担当者を乗せた霊柩車を先頭にして、遺族はマイクロバスや自家用車に乗って火葬場へ向かうことが多いです。

火葬場に到着したら、火葬炉の前で「納めの儀」を行います。お坊さんが読経したあと、最初に喪主、続いて遺族、親族、友人の順に焼香と合掌をします。それこそ最後のお別れです。

納めの儀が終わったら、そのまま棺は火葬炉へ。火葬が終わるまで1時間ほどかかるため、火葬場の待合室で、静かに火葬が終わるのを待ちます。

収骨( お骨上げ)

火葬が終わると火葬炉の前に戻り、骨壺に遺骨を入れる「収骨( お骨上げ)」を行います。

故人の遺骨を拾い上げるときは、まず歯を納め、次に足から頭へと順番に拾い上げていきます。最後は、故人と繋がりのある人が喉仏を納め、収骨は完了です。

初七日法要

初七日法要は、残された遺族が故人を追悼し、故人を供養するために行われる法事で初七日として初七日法要を行うケースが増えています。

火葬の前後、どちらで行うかによって変わりますが、初七日法要の所要時間は15分~30分ほど。僧侶の読経後、親族や家族による焼香があり、最後に喪主が挨拶をして終わります。

今回は通夜式と初七日を合わせて(続けて)行い、お焼香は二度行いました。

精進落とし

火葬場から戻ったあと、初七日法要後として、精進落としと呼ばれる会食の席を設けます。精進落としは、葬儀の参列者や宗教者に料理をふるまい、感謝を伝える儀式。食事の前に喪主が献杯の挨拶をし、食事の最中は遺族や喪主がお酌をして回ります。

とくに決まりはありませんが、精進落としは1~2時間で行うのが一般的です。食事のメニューは、お祝い事に使われる食材を避け、和食を中心に予算や規模にあわせて選べば問題ありません。葬儀後・散会後です。

関係者への御礼

葬儀が終わり、落ち着いてきたら、関係者へ改めてご挨拶に伺います。親族だけでなく、ご近所や会社など、お世話になった方々へお礼を伝えます。

諸手続き

葬儀後は、葬儀費用の支払いだけでなく、行政・相続手続きを行わなければなりません

期限の決まっている手続きもあるため、葬儀後は速やかに対応するのがベター。喪主が行うのが一般的ですが、家族や親族、専門家の手を借りるのもひとつの選択肢です。ほとんど女房が行ってくれました。

四十九日法要(忌明け法要

四十九日法要は、故人が亡くなってから49日目に行われる儀式です。49日までを「忌中(きちゅう)」、49日以降を「忌明け(きあけ)」ということから、「忌明け法要」とも呼ばれています。

四十九日法要では、会式の挨拶のあと、僧侶の読経と焼香を行い、お斎(御斎・おとき)と呼ばれる会食をするのが一般的。また法要後に納骨式がある場合は、仏壇やお墓、本位牌を用意して置きます。当然納骨しますので、石屋さんも寺から連絡してもらいました。

 
納骨式

納骨式とは、故人の遺骨をお墓に埋葬したり、納骨堂に納めたりする儀式。時期に明確な決まりはありませんが、四十九日法要とあわせて行うケースが多いです。

ちなみに最近は、お墓だけでなく、納骨場所が多様化しています。樹木を墓碑として遺骨を埋葬する樹木葬や、焼骨を海に散布する海洋葬(散骨)、遺骨の一部を自宅で保管する手元供養などもありますが、これらはそれぞれのお考えなのでしょう。私は菩提寺のお墓に納骨させていただきます。

香典返し

香典返しとは、通夜や葬儀・告別式、法要の参列者からいただいた香典に対して、お礼の品物をお返しすること。香典返しには、「無事に四十九日法要が終わりました」と関係者へ報告する意味が含まれています。四十九日法要の翌日から、遅くとも1か月以内に香典返しをしますが、これもどうするかが大変です。最近は雑誌スタイルで選べるものが多くなりましたが、これと言った気に入ったものが少なく、心に残りません。

香典返しの相場は、受け取った金額の半分程度を返す「半返し(半分返し)」。地域によっては3分の1が通例だったり、高額な香典をいただいた方は4分の1にしたりと、臨機応変に対応が必要だとしていますが、女房はかなり真剣にその方に合ったものを選んでいました。

葬儀・葬式を行う意味

葬儀の流れを確認したところで、最後に葬儀・葬式を行う意味について触れておきます

日々の暮らしの中で、常に葬儀について考えている人はあまりいません。身内の方、または親しい方が亡くなってはじめて葬儀の準備をするのが一般的です。葬儀は故人を葬り供養するための儀式ですが、お葬式を行う意味はほかにもあります。

遺族の心の整理

身近な人が亡くなるのは非常に辛いため、事実を受け入れられない人も少なくありません。葬儀を行うことで、少しずつ現実を受け入れる方がほとんどでしょう。

故人の死を完全に受け入れるには時間がかかります。葬儀だけでなく、初七日や四十九日をはじめとした法要は、遺族が故人の死を受け入れ、心の整理をするための大切な仕組みです。

家族や親族のつながり

葬儀は、親せき同士で集まる数少ない機会のひとつです。近くに住んでいれば頻繁に会うかもしれませんが、遠方に住んでいる親せきと会う機会はほとんどないでしょう。

長期間会う機会がないと、関係が希薄になってしまいがちですが、葬儀や法要があることで結びつきを深められます

宗教的な観点

葬儀には、死者を供養し、あの世へ送り出すという宗教的な意味があります。最近では、地域性や遺族の考え方によって、宗教的な意味合いがやや薄れているようです。

霊前とご仏前の違いです。

文字通り、霊と仏の違いです。仏教での「御霊前」と「御仏前」の使い分けです。

一般的に仏教では、亡くなってから四十九日を中陰と呼び、死者が六道輪廻をさまよう期間(今までお世話になった方々へのお礼とご挨拶する期間)としています。それを過ぎると中陰を満たして(満中陰)、仏になります。

このため、四十九日法要までは御霊前を、五十日目以降の百日忌法要や年忌法要などでは御仏前の表書きにします。

ただし、真宗(浄土真宗や真宗各派)では既得往生の教えから、霊という考え方がないため御霊前は使わず御仏前を使います。

仏教以外でも使えるのかです。

神道の場合、御玉串料や御神前などを使いますが、御霊前でも問題ないとされています。またキリスト教の場合、一般的には御花料を使いますが、こちらも御霊前でも問題ないとされています。

「「四十九日(しじゅうくにち)」は、「七七日(しちしちにち・なななぬか)」とも呼ばれ、故人様のご命日から数えて四十九日目を指します。 仏教ではこの日を「忌明け(きあけ)」と呼び、遺族はこの日を境として、故人様のご冥福を祈って喪に服していた期間を終えます(しじゅうくにち)」は、「七七日(しちしちにち・なななぬか)」とも呼ばれ、故人の命日から数えて四十九日目を指します。 この日を「忌明け(きあけ)」と呼び、遺族はこの日を境として、故人のご冥福を祈って喪に服していた期間を終えます。

母の冥福を祈って喪に服していましたが、これからがモノや心の整理するために動き出す必要があるのでしょう。

今朝、収穫した絹さやです。仏壇にお食事をお供えしました。

そう、良く頂くと言う言葉がありますが、神棚などは高い位置にお飾りしている家もあるかと思います。その高い場所が頂きであって、そこからおすそ分けでいただくので、頂きものと言われる所以です。

 

Hiro


歩いたのではなく 手を動かして10000歩以上

2022年09月14日 | 日記

一昨日は良く動きました!10000歩を越えています。(歩いたのではなく、手を動かしていたせいでしょう)

ダンス仲間からご自宅で収穫したミョウガをいただきました。駅に近い一等地の住宅街です。よくフキなどもいただきますが、そんな地域でたくさんのミョウガなどが収穫できるのは広い敷地なのでしょう。

いただいたミョウガを今朝酢漬けにしました。

4分の1に切り、酢が早く漬かるようにです。

どんな酢にしようかと思って、女房に相談したら”すし酢が昆布だしなども入っているので簡単でいいんじゃないの”とのことです。

昨日は絵にならない作業(労働)をしていました。したがって画像を撮る時がありません。

先日もご照会した一坪農園の改修です。

老朽化して朽ち、竹の根も蔓延んていました。庭に竹を植えるもんじゃないですね。鉢に入れた黒竹でしたが、普通の竹になってしまいました。

これらの枕木(洋モノ)を撤去して、丸ノコで細かく切り落とし処分しまします。

まだ4分1も終わっていません。何かの方法で処分しようかと思っています。

自分でもよく動けるものだと、関心しています。今日はここに枠をはめ込みます。

一昨日の午前中、女房はダンス仲間と吉祥寺のユザワヤへ行っていました。ドレスの生地を買い求めるとか・・・。

帰りに駅中で昼用にと美登利寿司店で、美味しい寿司を買ってきてくれました。もう1時過ぎています。私は冷凍食品を電子レンジに入れていたところです。

腹が減っていましたので、パックから皿に移し替えることなくそのままいただきました。いつもはパックのまま出されるのを嫌う私です。早く食べたいことから背に腹は代えられない状態です。美味しくいただきました!

自室が雨漏りするものですから、屋根屋さんを入れています。こうしてブログを打っていても、トンカチの音が響きます。音の送れる画像でしたらこの騒音?をお伝えしたいくらいです。

昨日も一坪農園の改修です。夕方の5時近くになりました。”もうやめたら~”と女房から停止命令がでました。この後、ダンスの練習会があるからです。約2時間動き回りました。もう~ヘトヘト状態です。来週は山梨(甲斐路ダンス大会)に出場しようかと思っています。練習だけは続けていましたが、もう試合などには出ないと考えていたのですがね。まぁ~遊びと思って道志に泊まって行ってきますよ。

練習会も終えて帰宅です。

今朝もスズムシの音が聴こえます。

朝から、ダンス関係の書類(更新)を作成していました。高齢者割引を使うために身分証明に関するものが必要です。目的は「社交ダンスを通じて愛好するものが相互の親睦と健康維持と増進のため」としました。

その後、市のダンス連盟が主催する競技の音響を仰せつかっていますが、一部修正がありパソコンに向かって、タイムスケジュールに合わせた曲を作り直していました。1分30秒を1分20秒にするため、専門の編集ソフトを使ってフェードアウトの編集です。

何もないと思っている一日ですが、結構忙しく動き回っている私です。

 

Hiro