自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

実際にには使っていない「ごんす」という言葉

2024年11月30日 | なかま道志ベース

実際に大相撲の関取間では「ごんす」なって言う言葉は使っていないようです。

笑点の一部のメンバーが使って受けているようですが、「ごっつあんです!」は聞いたような言葉ですが、今では使っていないのでしょう?

昨日は庭隅にある、シイタケをたくさん収穫いたしました。

ほとんどは干しシイタケにしましたが、野菜炒めにも入っています。美味いでごんす!

朝食です。美味しい味の開き、卵入り味噌汁、道志で買い求めたカブのお新香、納豆などです。

夕食はうどん鍋でした。それこそ冷蔵庫にある食材が中心です。体が温まります。

ごま豆腐も、美味いでごんす!

朝食は残して置いた鍋の汁でオジヤです。味が出ていて、これまた美味いでごんす!

朝から、脂が乗ったサバ焼きです。美味いですねぇ~!

一昨日のスパゲティ(ボローニャ?)と餃子です。

道志の道の駅で買い求めた、白菜のお新香です。塩加減もヨシ!

これだけで、ご飯も美味しくいただけます。

今年最後の小さなゴーヤです。この夏の暑さでしたので、何でも不作でしたね。

春と秋の期間は短く四季の無い日本になってしまいました。

今日は「美味いでごんす」をご紹介いたしました。

追記:ネットでは、力士言葉ではなく、ただの方言とか?茨城言葉で「ごんす」は「ござんす」転訛で、「がんす」同じ使い方としていました。

また、京近辺でも「ごんす」を良く使うようです?もとは花町で使う言葉だったようですが、「さようでござんす」と言って艶っぽい言葉だったのでしょう。

 

Hiro


オープン前の道の駅もバイクや乗用車でいっぱい(道志)

2024年11月29日 | なかま道志ベース

先日は道志村の「道の駅」で、女房から土産物を頼まれて開店する9時前に行ったのですが、バイクや乗用車ですでに満車状態でした。

買物を済ませて道志の自宅に戻ると、何故か帰りたくなりました。(里心ですかね?)

着のみ着のままで、片付けもせずに帰宅です。

きっと、3時に目が覚めて早朝より「富士の介」を捌いたり、他にも重たい板などを運び入れ、さらに、朽ち果てた板の壁面を改修するために、大きな木槌で杭を地中深くに何本も打ち込んだりで動き過ぎたせいかも知れません。

70歳半ばも過ぎた、爺さんが杭打ちするのは大変な労働だったのでしょう。

道志生活も維持管理で大変な時期を迎えました。

山道は混んでいましたが、中央道の上下線は普段よりも空いていました。

私が家に着いたのは1時半ごろですが、家には誰もいません。

冷蔵庫を開けてあるものとシチューを温めて、遅い昼食です。

5時近くになって、女房は帰って来ました。

"あら?帰って来るのは明日じゃなかったの?"と言っています。

上野の埴輪展に行ってきたと言っていました。

帰宅後、ラインで送られて来た埴輪展の画像です。

その頃は缶酎ハイを飲み始めていて、朝3時から起きていましたので夕刻にはウトウト状態です。 

富士の介を捌いたり、デッキに板を張ったり、器用と言われれば、そのとおりかも知れません。これからは動くのも体力と相談しながらが良いのでしょう。

これがオバーワークと言うのですかね。

 

Hiro


早朝より「富士の」日干し作るる

2024年11月28日 | なかま道志ベース
先ず、富士の介とはです

「富士の介」は山梨県水産技術センターがマス類の中でも最高級とされる「キングサーモン」と山梨県で生産量ナンバーワンの養殖に適した「ニジマス」を交配し開発した、山梨オリジナルの「育てやすく美味しい」魚です。

全国各地に数多く存在するご当地サーモンの中でもキングサーモンの血を引く魚は「富士の介」が唯一です。とネットには書かれていました。

前日に道志の養魚場場長の霧〇さんから、冷凍保存して置いた「富士の介」を捌いて日干しにしてくれないかと、依頼がありました。

素人ですが魚を捌くのが好きなんで、3匹お受けしました。

一晩自然解凍して置いて、早朝より作業に入りました。

まだ、夜明け前の5時ごろからです。

順を追ってご紹介いたします。

先ずはぬめりを良く洗い流します。

頭を切り落します。ちなみに、この生板も自作です。溝を付けて流れるようにしています。

腹を裂いて、内臓を取り出し血合いも含めてきれいに取り除きます。

きれいになった状態ですが、後程骨も出来るだけ取り除きます。

先ずは二枚にします。

三枚にしました。背骨あたりは美味しいので、あえて厚めに残しています

美味しく出来るかは、塩降りですね。最初は粗塩で擦りこむように馴染ませ1時間寝かせます。

あまり塩を振ってから放置すると、身が塩っぱくなってしまいます。

1時間後には塩を洗い流し、キチンペーパーなどでよく拭き取ります。

食べやすいように切り身にしてから、私は今度は味塩を利用します。

表現は難しい?のですが、適度にふりかけます。今回の3匹で味塩瓶の半分くらい使いました。

量も多かったものですから、網かごに入り切れず他のものにも干しました。

風もあり陽も射して、日干しにはちょうど良い季節です。見ると程よく乾燥して行きます。

感覚では、ちょっとべた付くくらいが良いかと思います。

しばらく、頃合いを見ることにしました。

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出来るまで時間がありますので、他の作業開始です。

気になっていたデッキ下の配線などを目隠しすることにしました。

有る材料で施工することにしました。杉の端材です(皮の付いたままです)。

地元の方や本職はそんなことはしないのでしょう。でもこれで良いんです。

防腐剤を塗り、寸法に合わせてデッキ下に潜り込みます。あえて不揃いに張り付けました。

作業服は泥だらけです。それなりに満足感はあります。良いじゃないですかぁ~!

着替えて、一休みです・・・。

あの「富士の介」の干物が程よく出来ています。養魚場へお届けする電話を入れました。

落ち場に埋もれた駐車場です。お届けしました。

凄く喜んでいただき、今度は活魚で作ってくれないかとのことです。

プロではないのですが、時間があれば良いですよ!と伝えました。

カラスウリも風に揺れています。

陸ワサビです。

こちらは水耕(湧き水)ワサビです。

葉が無くなっています。これはシカが食べた痕跡だと思います。

敷地内を流れるせせらぎです。これも作ったものですが、どこへ行かなくてもこれで十分な生活空間なのでしょう。

そんな時、女房から電話がありました。いわゆる安否確認かと思います。

他愛無い話で、長電話?になりました。

道志の夕暮れです。外気も寒くなってきました。

薪ストーブに火を入れました。

暖を取りストーブで体を温め、いいちこで身を温めています。

話す相手もいません。静かな至福の時間が流れます。

いただいた「富士の介」の干物を真空パックして、冷凍庫に入れました。土産です。

早朝から動き過ぎたのか、夕刻にはウトウトしてきました。

一人生活ですので、簡単に夕食を作って、洗濯して(部屋干し)、大雑把に片付けて一日が終わりました。

人生も着陸態勢に入り、なだらかなタッチダウンとなれば良いかと思いますが、まだ機体は揺れるかどうかは分かりまん。いまの瞬間が大事だと思っています。

東京方面の夕暮れ時です。

 

Hiro


もう晩秋なのか?(道志)

2024年11月27日 | なかま道志ベース

道志に入るごとに、季節の変化が分かります。

生い茂っていた、農機具小屋のアイビーなども葉も落ち赤く染まって来ました。

色づくカエデと薪ストーブの煙突・・・。もうこんな季節になったのですね。

夏の暑い時期には、木陰を作ってくれこの下で作業していました。

小さな池も水草で覆われ、風情をかもし出しています。空気が美味しい静かな道志です。

BSで大谷翔平選手がナ・リーグでMVPを2年連続(3回目)という時は、各報道が大谷選手のことだけでした。今は岡山知事ですかね?

どのくらい凄いのか私には良く分かりませんが、米国プロ野球選手が何人いるのか分かりません。その中で満票で選ばれたのは、日本人として誇りが持てます。

中央道に入りました。何故か最近はいつも渋滞気味です。何故だか分かりません。目の前を多摩モノレールが通過していきました。

道志みちに入りました。かなり紅葉しています。この辺くらいまで来れば、あと15分くらいで到着です。

道志の自宅前の景色です。

駐車場も落ち葉で埋もれています。これを集めて堆肥にして自然に返すのです。

お昼過ぎです。女房がたくさんのお弁当のおかずを作っては、持たせてくれたものをいただきました。

まぁ~51年連れ添った夫婦ですので、一つひとつ私好みのものを美味しく作ってくれます。

女房は午後から、バイオリンのコンサートに友だちと出かけると言っていました。

夜は一人ダンスのレッスンに行くのでしょう。(私は道志ですから)

それぞれの生活がここにありました。

自宅(母屋)を片付けて、先代の物を少しずつお焚き上げしています。

モノによっては手を合わせて、感謝しながらです。

道志は電波がなかなか届かな、いつもバリ1~2で、電話するにしても外に出て電波の強くなる方向に向いて話していますが、途切れることもしばしばです。

ラインも遅くなって入ることもあります。それだけ秘境?なのでしょう。

ほとんど、何もせずに一日が終わりました。

いつもの東京方面です。

朝の気温は6度です。

メモには枝木の処理、杭を打ち込む、朽ちた壁面を直す・・・。やること多しです。

出来る・動ける健康に感謝です。

 

Hiro


昼から飲んでいます ここは何処?

2024年11月26日 | なかま道志ベース

場所につきましては、最後にご紹介いたします。

こんな焼酎があるんですね。鹿児島霧島町の芋焼酎です。

昼から飲んでいます。

ランチでしたが、美味しい寿司をいただきました。

もちろん、キリン生ビールもです。

豪華なランチになりました。

この店の女将も顔を出しました。

店の女将とパチリです。

メニューも豊富です。

街には忙しそうに宅急便バイクも走っていました。

陽も落ちて、関係者で一杯(二次会)です。夜も飲んでいます。

お疲れさまです!みなさん日頃のうっ憤ん?ばらしか、張り切って歌っています。

大盛り上がりのカラオケバー?でした。

古いホウロウの看板が並んでいます。

世界各国のビールが陳列されていました。

古いホテルのバーです。

楽団員も70歳は超えている方ばかりなのでしょう。リズムや音が多少合わなくてもOKです。

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①最初のランチ(和食レストラン)は上海でした。

②カラオケバーはチンタオ(青島)です。

③ホウロウの看板や各国のビールはチンタオ(青島)のビール工場です。(あの青島ビールです)

④古いホテルは、上海でも有名なホテルのバーでした。

外灘の街を縦断する黄浦江です。経済発展の象徴ともいえる上海の夜景です。

黄浦江の反対側はイギリスの建物が保存されている地域です。

楽しそうなところばかり、紹介してしまいました。

これも中国出張の一コマです。(コロナ禍前です)

現在の中国は危なっかしい状態なのでしょう。

 

Hiro


築地場外市場(移転前)

2024年11月25日 | なかま道志ベース

この日は江戸っ子5代目でありながら、移転前の築地市場に初めて行きました。

都内のどこでも、いつでも行けると思ってしまうのか、なかなか行かないものです。

あれが二重橋だよ おっかさん♪ 傍に寄ってじっくりと見たことはありません。

築地の場外市場はなんでこんなに混んでいるんですかね?

下町の活気ある雰囲気なのか、混んでいるから混むところに行くのが人の習性かかなぁ~。

基本的に並ぶのが好きでない私です。東京ディズニーランドも行ったこともありません。

孫でもいて、ジィジとせがまれば違うのかも?

何しろ、外国の方が多いですね。

昼めし時でしたので、どこもいっぱいでしたが空いていてそうなこの店に入りました。

この雰囲気は、中国青島の屋台村にいていますね。

参考ですが、上の2枚は中国の青島(チンタオ)の飲食街です。

どひゃ~、満席状態です。

昼でしたが、これをいただきました。

この雰囲気だと、何でも美味しく思えます。

注文した海鮮丼(山盛り)が出てきましたよ。

外人さんで日本にはいないかと思いますので、画像処理はしませんでした。お許しを!

テレビでも有名なこの方の兄?がやっている、卵焼き屋さんです。長蛇の列です。

考えてみれば、豊洲移転前の築地場外市場に行けたのも、良い思い出になりました。

Hiro


これから四季がなくなるのかも?

2024年11月24日 | なかま道志ベース

昨日・今日と東京地方は防寒対策もいらないような陽気です。

あの暑かった夏はどこへ行ったのでしょう。時には秋をとおりこして、一気に冬と到来かと思ったら、11月には4つの台風が発生しました。

きっと、春と秋は短く四季がなくなるかも知れません。

その分、空は晴れ渡っています。柿の実も取れる時期ですが、きっとそのままなのでしょう。

女房の実家(長男)より、今年収穫した米と里芋(やはた芋)が送られれてきました。

"ねえちゃん、米と芋を送ったよ!"とメールがあり、昨日届きました。

やはたいもは山梨県の釜無川の度重なる氾濫による堆積した肥沃な砂質土壌により、白くてきめ細かく、粘りが強く、独特の風味があり、地元では「ほうとう」にも欠かせない食材です。

両親が居なくなっても、姉弟のつながりを強く感じます。感謝です!

いただいたそば粉とやはたいもの汁ものです。

そばがきを作るには、少しうどん粉を混ぜると良いようです。まさに田舎の味ですね。

庭先で大きく育ったシイタケです。3年くらい前に道志で原木をもらい、シイタケ菌を打ち込んだものです。道志に置くと収穫時期を逸してしまいますので、東京の自宅に持って来ました。

カラスウリやオキナワスズメウリも赤く色づいています。こうなると秋を感じます。

昨日の午前中は、近所の職人さんに頼んで雨漏りする個所を応急的に直してもらいました。

本格的に直すには瓦をすべて降ろし軽量の屋根材にするようですが、この家に何年住むか分かりません。費用も数百万かかるようです。そんなことをするような余裕はありません。

運動習慣を付けるために、近所のジムに通っています。

兵庫県出身の若き(孫のような)、人気のある吉〇トレーナーです

週に2回は専属トレーナーについて、後期高齢者に合わせたプログラムでトレーニングしています。まさに老いとの戦いですが少し勝って来たような気もいたします

トレーナーの話しでは、多くの方がお腹周りの脂肪をなんとかしたいとしていますが、トレーニングしても、腹回りはの筋肉(脂肪)は一番最後に落ちて来ると言っていました。

そう、七味缶の穴は、ナスの切り口と合わせれば良いのです。知っていましたか?

山梨県名物のほうとうを作ってくっれました。私は七味が好きで、何でもかけてしまいます。

タマネギのかき揚げや豚ロースの生姜焼きのアップです。

トレーニングして帰宅したら(午後2時過ぎ)、大盛りのうどん炒めが出されました。

何のためにトレーニングしているのか分かってくれていませんね。私の気持ちや努力も分かって欲しいですね。

 

Hiro


山中湖エクシブ(14年前)

2024年11月23日 | なかま道志ベース

こうして思えば、仲の良い姑と嫁の関係でしたね。考えてみれば50年私よりは母のそばに居たかと思います。

母も私より女房の方を頼り、可愛がっていました。

リゾートホテルでの夕食を少しご紹介いたしいます。(14年前のことです)

私はこの真実の口に噛まれそうでした。きっとやましい(偽りの心)を持っていたのでしょう。

ホテルはこちらが予約して運転手でも、母親のおごりになりますので普段食べられないメニューにしました。

山中湖には東急ハーベストがありますが、姉さまが会員でいつでも行けますが、道志があり案すからね。

もう、何を食べたのか忘れました。画像だけで判断です。

料理人さんが何かを擦っています。

イタリアン風なのか、スパゲティの上にトリュフのようです。世界三大珍味の一つと言われても、私にはこれは美味い!とはあまり感じません。食レポの出来ない私です。

「世界三大珍味」とは「トリュフ」「フォアグラ」「キャビア」のことを指しています。

トリュフは地中深くで育つ芳醇な香りのきのこ、フォラグラは肥大化させたカモやガチョウの肝臓、キャビアはチョウザメの卵の塩漬けのことで、どれも希少価値の高い高級食材とされていますが、強いて言えばフォラグラくらいかもしれません。

きっと本当に、美味しいものを食べたことが無いからなのでしょう。

出されるたびに季節の食材など説明をしていますが頷くだけで、失礼ながらなんだか分かりません?私にとってはお上品ではありませんので美味しければ良いのです。

フォークやナイフも面倒なので、箸をお願いいたしました。

もう、お腹一杯なのに女性陣はデザートは別腹のようで、美味しそうにいただいています。

母と女房は庭を散歩しています。そんな光景が懐かしく思い出されます。

朝食はバイキング形式で、端から並んでは少しずつ乗せて行きますが、最後は山盛りになっています。まさに欲と二人連れです。

土産を買い求める相手がいませんが、こうしてぶらぶらするのが楽しいのでしょうね。

ここは山中湖のエクシブでした。

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ちなみに昨夜の夕食は・・・。

缶酎ハイすき焼き(小どんぶり)シシャモを焼き晩酌です。

これで、十分美味しさを感じます。

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朝食は庭で収穫したシイタケです。

これぞ旬な食材です。収穫して3分で食卓に乗ります。天皇陛下でもこんなことは無いかと思います。まさに贅沢な極みなのでしょう。

これだって、量が多いくらいの贅沢な朝食です。

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昨夜はダンスの練習会でした。

もう、こんなイルミネーションが飾られている市の体育館です。

カップルでダンスを楽しむ?自主サークルです。みなさん後期高齢者の仲間です。

体育館内では、若者が飛び跳ねています。

私たちは長い間、地球の引力に引っ張られて来ましたので、それも困難になってきました。

みなさん語らいながら体育館を後にして、家路につきました。

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今回は14年前に母を連れてホテルの食事などと、姑と嫁が仲良く話し合っている場面が懐かしく思い紹介いたしました。この時の二人の話は、きっと私のこと(酒の飲みすぎ!)などが話題になっていたのでしょう。

 

Hiro


西部劇時代(ローンレンジャー)

2024年11月22日 | なかま道志ベース
西部劇のローンレンジャーを知っている方は、私同様にかなりご年配の方ですね。

子どもの頃、日本ではテレビドラマ版が私が10歳くらいの時ですので、各家庭にはテレビはありませんでしたが、1958年からテレビ放映され、黒い仮面をつけた主人公が白馬にまたがった姿が、アメリカ版『鞍馬天狗』として親しまれたからでしょう。

テレビ映画化されたこの西部劇を題材にした作品を毎週のように楽しみに見ていたものです。

ローンレンジャーとインディアンの友だちと会話する時に、はじめにキモサベ」と挨拶し合っていたのです。

キモサべとは“信頼できる奴”と言う意味です。子どもの頃は、仲間同士で「キモサベ」と言い合っていました。

主人公ローン・レンジャーが愛馬シルバーを発進させる時の掛け声「ハイヨー、シルバー!(Hi-yo Silver)」や、相棒であるインディアンの青年・トントの台詞に「白人嘘つき。インディアン嘘つかない」もありました。

物語では、無法者キャンベンディッシュ一味を追跡中のテキサス・レンジャーたちは、一味に全滅させられてしまったのです。
しかし、その中の若い隊員一人が、奇跡的に先住民のトントに助けられて生き残り、彼は、死んだテキサスレンジャーの隊長だった兄のチョッキから黒仮面を作り、ローン・レンジャーとなったのです。
男の子にとっては、懐かしいテレビドラマでした。

*画像はネットより拝借しています。

ドラマでは、彼の拳銃の弾丸は純銀製だが、これは自分の持つ鉱山から掘り出した銀を使って作ったものであるとしていました。まぁ~それは作り話かと思いますけど。

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以降あまり面白く無い内容ですのでスルーしてください。

あまり、こんなことは言いたくないのですが、キモサベと呼べる"信頼できる政治家さん"も少ないかと思います。

エッフェル塔や赤いベンツ、総理答弁中に大あくび、政治資金パーティーでのキャッシュバックがあったり、申告せずに税金もかからず自由に使えたなんて・・・。

最近では国会審議をスマホで撮影する新人議員もです。いくら新人議員としても、その品格がいただけません。

まさに、この行動(議員)は無法者とも思えてしまいます。真面目な方もいるかと思いますが。

この方は、本物のテキサスレンジャーです。
 
 
実際の画像ですが、胸にはこのようなバッチが付けられていました。
 
あの広いテキサス州公安局の各部門はそれぞれ別々に出先機関を設ける縦割り方式をとっていたようですが、テキサス・レンジャーも6個中隊に再編され、地区司令部と同じ管轄区域が割り振られたと記されていました。

現在、テキサス・レンジャー州全体で162名とのことです。

レンジャーに就任するには8年以上の法執行官としてのキャリアと 2 年以上のテキサス公安局における職歴等の資格要件があり、有名国立大に受かるより遥かに困難だとしていました。平均年齢も44歳となっています。

歴史と伝統に基づく誇りを大切にし、現在でも新任のレンジャーはブーツ、白のカウボーイハット、ピストルベルトを前任者より引継ぐ。発足当時より、僅かな日当以外、馬や銃などの装備類はすべて自分持ちであったことから、現在でも制服はなく日常業務時には胸にバッジを付け、ブーツを着用することになっているようです。

テキサス・レンジャーのバッジです

現行バッジの素材は、メキシコ・ペソ硬貨で作られ、現在レンジャー達が胸に着けているバッジは1962年10月から使用されているもので、裏面はコインの刻印が、周囲にはコインのギザギザが残っています。

土産用のイミテーションバッチは、現地の方からいただきました。

 
ある時、本物のテキサスレンジャーにお会いすることができました。
いやぁ~格好良いですよ。
 
 
ついでにテキサスのある市の騎馬警察官です。
テキサスに行った時の何枚かの写真をご紹介します。
 
 
この牧場のオーナーで、テキサス州の地域でもかなり有名な方のようです。
ブルージーンズにカウボーイハットの姿が日常なのです。
 
 
こうやって、何人もいないテキサスレンジャーを自宅の牧場に呼べるくらいですからね。
 
 
 
私も少しは乗馬も出来ますので、牧場の息子さんと草原を走ってみました。
 
 
このカウボーイハットは、私のサイズに合わせて黒人の議員さんからいただきました。
実にフレンドリーで、キモサべと呼べる方だと思います。
 
 
テキサスの広大な牧場に落ちる夕日です。
テレビ映画のローンレンジャーを見てから60数年たちました。この間にもいろいろな出会いがあり、別れがあったり・・・。「キモサべ」“信頼できる奴”と呼べる人が段々少なくなってきました。
いただいたカウボーイブーツのエンブレム?は車に付けています
縁あって、この市の名誉市民(貢献者として)になっています。
 
Hiro
 

年配者は昼飲み会にかぎる

2024年11月21日 | なかま道志ベース
拙ブログは道志だけの方がご笑覧いただいているとは限りませんが、昼飲み会が出来るような場所が無い道志村です。
村民のみなさんはづしているのでしょうか?

日は友人と二人で昼飲み会でした。お互いの中間点の駅で待ち合わせです。

私は最寄りのバス停から待ち合わせの駅に向かいました。

バスは混雑していて、何故かシルバー等の優先席の前に立ちました。その時、突然に座っていた外国人の女性が英語で座ってくださいと促されました。一緒にいた男性が立ち上がりました。もちろん日本語は通じません。他人からは私が年寄りに見えたのでしょう(笑)

突然の会話でしたが、私はまだ若いので結構ですよ!と伝えました。

私からどこへ行くのですか?と訪ねました。すると「スブルー」と言っています。すぐに分かりました。スブルーは日本語ではスバルです。

あと、2つですよと伝えました。そこから短い雑談が始まりました。オーストラリアから来た方のようで、和製英語の発音は難しいですよねと・・・。ダットサンはダッツンですし、シボレーはシャバレー。シアトルはシアローなどの発音になります。

笑ながらバス停近くになりました。システムも分からず降りるボタンも押していません。乗車した入口に移動しようとしていました。降り口はこちらですよと伝え、運転手さんにも降りますと声をかけました。

若いご夫婦かな?笑顔で会釈しています。私も気を付けてね(Take care!)よい日でね!(Have a nice day ! )と伝えました。

そのご夫婦?もアリガトと言ってバスを降りました。

突然の出来事?でも、日常会話の英語でお話し出来たのもうれしかったのですが、年寄りに見られたのが残念です。

さて、待ち合わせの駅に着きました。駅から一番近い昼飲みが出来る店(土・日・祝のみ昼のみOK)です。

午後2時でも思ったより混んでいて、ほぼ満席状態です。聞くと今は忘年会シーズンだと言っていました。また、中高年の昼飲み会が多くなったようです。

先ずは、生中です。喉に染みわたります。

もちろん、友人も私もご満悦です。

今ではバーコード読んで注文なんですね。こんなシステムは私どもには向いていません。

お姉さんを呼んで直接注文です。

付け出しが出てきました。出来立てではないので、貝の実がなかなか出て来ません。

得意なのですが、途中でキレて残念な結果です。

少しは健康を考えて、サラダを注文です。

お互いに悩み?や心配ごとの話しです。いろいろと出てきます。

やはり、健康とか同級からの喪中のご挨拶までもあります。

具体的なことはお話し出来ませんけど・・・。

日本酒のハイボールも美味しいのですが、これは私には向いていません。

茶髪のお姉さんも忙しく働いています。

名は忘れました、アルミの鍋に貝類が入ったモノを注文しました。

これぞ!至福の時間と言うべきなのでしょう。

いろいろと話しましたよ。友人も今日でモヤモヤ?がスッキリしたと言っています。

やはり聞き手が必要なのでしょう。

これが年寄りの昼飲み会の実情です。

笑顔の友人です。

久し振りに楽しい昼飲み会でした。

何で?と思うほど、若い方も昼飲みしています。

ころ合いも良く、お会計にしました。

店を出てもまだ明るい時間です。

ちょうど来たバスにより、自宅に着いたのは夕刻の5時ごろでした。

久しぶりの英語での会話と言い、長い付き合いの中で気心しれた互いにしか分からない内容を話し、スッキリ気分の良い一日が終わりました。

明日は道志に入ろうかと思っています。

 

Hiro


竜電ダメだなぁ~

2024年11月20日 | なかま道志ベース

山梨県竜王町の竜王中学出身で女房のず~っと後輩にあたる関取の「竜電」を応援していますが、なんかダメですね。私から見ると頑張ってはいるのでしょうが、気迫?が見えません。

先日の大相撲で、御嶽海と琴勝峰戦で勝った御嶽海が土俵下に落ちストレッチャーで運ばれました。

なんか決まりがあるようで、土俵は地面から俵の上部まで60センチメートル、俵を除けば土俵の上から下まで55センチメートルになるように作られているようです。

以前からも土俵の高さが落ちた時の怪我を生むという指摘もあり、下にはゴムマットも敷かれているようですが・・・。

女房とも土俵下で動けない力士を見て、もっと下げたら良いのにと話していたところです。

相撲協会も伝統とか決まりではなく、力士のことを考えよく検討された方が良いかと思います

しかし、こんな状態でも御嶽海は負け越してはいますが、土俵の上にいます。

このくらいの気持ちになって欲しい「竜電」です。それでも応援しています。

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先日の私です。探しものが多くなりました。やがてはこんなところに有ったと出てきます。

いつも使っているスマートウォッチが見つかりません。

一日中探していました。結局、居間のテーブル下に落ちていたのです。なんで?と思うくらいです。

補聴器とスマホをブルートゥ―スでつなぎ、音楽や電話も聞えるコムデックと言う器具です。

これも道志に忘れてきたと思っていましたが、いろいろなコードに絡まっていました。

毎日のように使っているものです。

品物が多過ぎるのです。

こんな使わないコンデジも何故か保存しています。

女房が店でアレクサ音楽を聴きたいと言っていますので、新たに購入しました。

また、モノが一つ増えてしまいました。

道志でも聞きたいので、息子にペアリングをお願いしました。今朝帰宅したらやると言っています。まったく、オジャジも~!と言う顔をしています

なんか、いろいろと買い求めたり、これが欲しいと考えちゃうんですね。

朝は朝で、一番に歯医者に行って来ました。型どりしたマウスピースを受け取りにです。

前回、予約した日に行けなかったので、キャンセルし後日連絡することになっていたようです。

それも忘れこの日だと思って予約なしで行ったものですから、受付の方が予約を待っていました!と言われました。それでも少し待ってセッティングしてくれました。食事している時以外が付けています。

また、時期が来ましたので種まきです。

もう、苗も園芸店では苗が出ていますが、地植えで種まきした方が強い芽を出します。

これも大きな、木製のプランターに撒きました。

朝食です。一昨日買い求めた、安い燻製にしたハラスです。

昼はお茶漬けにしました。

これで十分です。

好物の白菜サラダです。

サンマも美味しくなってきました。

庭で切り取ったニラやいただいた里芋の味噌汁も美味い!そして晩酌です。

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和田先生の本では、酒を飲むと基本的には脳にダメージを与える物質で、脳には「血液脳関門」と言う、有害(アルコール)なものを突破して、海馬を麻痺させ、一時的な"記憶喪失"、いわゆるアルツハイマー型認知症状態になるとしていました。ある部分では自分の勝手な推測です。

先日も友人と昼飲み会がありました。酒に酔っている状態が一時的に認知症と同様だとは思っていませんでした。

この落ち着かない性格は、相撲協会の決まりとか習慣と言っていられませんね。なんとかしなければと思っています(当分は思うだけなのでしょう)。

 

Hiro


やはり いろいろと変わるんだなぁ~

2024年11月19日 | なかま道志ベース
最近の時代変化が速すぎてついて行けません。しかも次から次へと思いがけないことが・・・。

女房と歩くと歩幅が狭いのか、どんどん離されます。また、日常的に会話する相手も今では極端に少なくなりました。

これじゃ本当に年寄りになってしまうと、無駄な抵抗かと思いますがスポーツクラブに通い始めて2か月経ちました。その時に、このTシャツを買い求めたのです。

体幹を作りたい、先ずは運動習慣を生活に入れたいと、孫のようなパーソナル(個人指導)のトレーニングにして通っています。トレーナーとの会話も楽しいものです。

体型も少し?変化してきました。

ホームセンターの入口には、もうこんな正月飾りがありました。(値段からして国産ではありませんね)

しかし、思えば11月も半ばで時の流れも、どんどん早くなってきたと感じます。

庭に置いてあるシイタケの原木からも芽が出てきました。やはりこのようなものは季節の変化を感じているのでしょう。

朝方に、女房からモノの配置換えを依頼されました。大きな特注の棚などを移動させ、模様替えしています。

一人ではなかなか動きませんが、なんとかやり終えました。

コンビニのATMで小遣いを下ろし、缶酎ハイコーナーに行くと品も違うのか結構高いですね。

なんで、コンビニの商品は高いのでしょうか?いつもそう思っています。

他店の缶酎ハイが100円異なります

コンビニで221円が、この店ですと119円になっています。酔えれば何でも良い私です。

その後は、晩酌などの肴と魚を買い求めにです。

いつも混んでいる店で、今回は刺身ではなく保存の出来るようなものにしました。

先ずは、白菜のサラダでお腹を膨らまして、イカのボイルとブリのもろ味を焼いての晩酌です。

そう、味が染み込んだ大根と鶏肉です。

夕刊を取りに郵便箱に行きました・・・。喪中のハガキが入っていました。

学生時代の大親友の奥様名でした。文面では私と同じ年のアイツが永眠したとの知らせです。

何でよ!どうして!北海道に住んでいるヤツは、北海道へ行った時に札幌からそこら中を案内してくれ、一献も楽しく過ごしことなどが走馬灯のように思い出します。

携帯に電話しても"現在使われていません"と・・・。冷たく聞こえるアナウンスです。

何故か、同級生も3人に1人は他界している年齢になってしまいました。

いろいろ変わることが多過ぎるこの頃です。

 

Hiro


古い家の維持管理も大変

2024年11月18日 | なかま道志ベース
私も老朽化してきたと思ったら、最近になって家の老朽化?によって、次々といろいろなことが起きています。この家も90年くらい経っているものです。

先ずは、雨漏りです。今どき瓦屋根がある家も少なくなり、張り替えた方が良いと工務店に言われました。

それは理解はできますが、あと何年住むかも分かりません。多額な費用もかかります。簡単に部分的な補修をしてもらう予定です。

先日、水道の検針員さんが、1つのメーターが異常に回っているとのことでした。

たしかに、使っていないのにコマ?がクルクルと回っていました。

前回の検針と比べると、毎日風呂10杯分くらい使っていることになります。

どこかが漏水しているのでしょう。焦りますよ!

水道屋さんを呼んで、とりあえず調べてもらいました。使っていない風呂場の近くで漏水があって、直してもらいました。

親が住んでいた家(本家)ですが、今は私が管理・維持しています。

長い縁側です。工務店もこんな建具や材料は今は手に入らないし、作れる職人もいないと言っていました。

まして、床の間(仏間)の部材も手に入らないし、つくれる職人もいないとのことです。

御簾暖簾(竹を巻いたもので、よく殿の御前で見るもの)も掛けています。

欄間です。

そう~、昨日友人に水道の漏水問題をラインしましたら、友人も住んでいないご実家のトイレ(水洗)からの水漏れで、市からの30万円ほど請求されたとのことです。知り合いの水道工事店に何かを書いてもらい、減額されたそうです。

どこでもある話なんですね。

こうなるとマンション住まいもしたくなります。それより先に、介護付き老人ホームかも知れません。

何しろ、古くなるといろいろなことが起きますね。維持管理も大変です。

また、探しものをしている自分がいます私もかなり老朽化してきたのでしょう

11月中旬になって、台風が4つも発生しましたが、25号は台湾あたりで熱帯低気圧になり終息するようです。しかし11月で4つとは?

地球は完全に壊れましたね。また、あの暑い夏が来るかと思うと寿命も縮まることでしょう。

ネガティブな内容になってしまいました。

私は柿は買って食べるものじゃないと思っていました。

朝食です。どこかのデパ地下で買い求めたアジの開きですが、脂が乗っていて美味しい!

何故か、千日紅が長く咲いています。オキナワ朝顔も満開です。

夕食はすき焼きと大根と鶏肉の煮込んだものも美味しくいただきました!

缶酎ハイを飲んで、ウトウトしその後・・・記憶が無くなりました。

考えて見れば、自宅と本家そして道志の家の3軒を管理するのも大変ですね。

レトロな本家には蔵(中は空っぽです)もありますので、何かの機会にご紹介いたします。

 

Hiro


道志・都留の峠は分かっても 人生の峠は分からない

2024年11月17日 | なかま道志ベース
道志村と都留市の峠はあのトンネルだと思いますが、人生の峠は分かりません。

先日「徹子の部屋」で高齢者専門家医の 和田秀樹先生がご出演していました。

大変参考となるお話しをされていて、ネットで「70歳の正解」(80歳の壁)を購入したくらいです。

ところで、一般的に60代では約「40人に一人」ですが、80代では約「3人に一人」認知症の有病率、即ちボケる人の割合だそうです。

脳だけではなく健康も見た目も、分岐点は70歳。いつまでも若々しい人でいるか、一気に老け込むかは、60代から70代にかけての生き方で決まるとしていました。

そう言う意味では、私はすでに70歳半ばも過ぎ後期高齢者となり、平均寿命が90歳にしても、あと10数年です。

まして、一般的に85歳になればボケ症状が出てもおかしくない年齢とすれば、あと7~8年なのです。先生の仰る内容は後日にしますが、あまりネガティブにならずに、自分(人生)の峠はいつごろだったかを考えてみました。

しかし、自分では分かりませんので一般論を調べてみました・・・。

「人生の峠」とはよく、人生における分岐点や転機、または上り坂と下り坂の境目を指す表現として使われますが、実際に「いつが峠か」は人それぞれですね。

一般的には、次のようなタイミングが峠と感じられることが多いと書かれていました。

*誰でも同じお月さんを見ているのですね(5日くらい前です)

【30代から40代の転機】

*たしかに、この頃はいろいろと変化の起る時でしたね。よく42歳が人生の峠と言う方もいます。

多くの人にとって30代から40代は、仕事や家庭、健康など、人生の多くの側面で変化が起こる時期です。この頃、キャリアが安定してきたり、役職が上がったりする人も多い一方で、責任が増えてストレスも多くなりがちです。この時期が「人生のピーク」や「峠」と感じる人も多いようです。

団塊の世代ですので、まさに競争社会でした。次の世代はいろいろとありますが、ゆとり世代とかZ世代もあります。今では結婚しない方々も増えているのも事実です。

【50代から60代の定年や引退】

*私は60歳定年退職し、次の仕事を65歳まで、また72歳まで他の企業でお手伝いしていました。70歳の頃に世界を揺るがす新型コロナウィルスが広まりました。72歳の時にまだ手伝って欲しいと言われましたが、完全退職を決断いたしました。

仕事に一区切りをつけ、家庭や自身の健康に重きを置くようになる時期。これも人生の大きな転換点です。「人生の峠を越えた」という感覚を持ちやすく、セカンドキャリアや新しい趣味を始める人も多いのです。

もしかしたら、私の人生では、年齢ではなく仕事に区切りをつけたのが峠だったかも知れません。

【人生観や価値観の変化】

具体的な年齢に限らず、病気や家族の変化、予期しない出来事に遭遇すると、人は自分の価値観を見直すことが多くなるのでしょう。まさに、私はこの時期になっている(入っている)ような気もいたします。

こうした体験を通じて、「これが自分の人生の転機だ」と感じる瞬間が峠になることもあります。

また、峠を過ぎたと感じることは必ずしもネガティブではなく、そこから新しい視点で人生を楽しむ余裕が生まれる場合も多いかと思います。

しかし、私は自分では理解してても、納得するまでには時間がかかっています。

80歳代が幸せと感じる人が多い理由は、人生経験を重ねたことで生まれる「心の安定」と「充実感」にあると言われています。

80歳代において幸せを感じる要因として挙げられていることは・・・。

【自己受容と心の安定】

年齢を重ねるにつれて、自己受容が深まり、過去の失敗や後悔に対する気持ちが穏やかになるとしています。若い頃は競争や成長へのプレッシャーが強く、自分に厳しいことも多いですが、80代になると自然と「ありのままの自分」を受け入れられるようです。

【プレッシャーからの解放】

仕事や子育てといった人生の責任から解放され、自由な時間が増えることで、自分のペースで好きなことを楽しめるようになるとしています。社会的な役割の重圧が薄れ、心の余裕が生まれることも、幸せを感じる要因なのでしょう。

【人間関係の充実】

長い人生の中で築いてきた家族や友人との絆が深まり、大切な人々と時間を共有する喜びを感じやすくなるとのことでした。また、必要以上の付き合いは避け、気の合う人とだけ交流することで、穏やかな関係が築けている方も多いようです。

夫婦関係では、現職時代のように夫は仕事・妻は家庭と、妻に対して退職後も当たり前のように命令口調になる方もいるようですが、これを「夫源病」と言うようです。

退職後20~30年一緒に暮らすことになることを考えると、嫌なら分かれる方が自分の幸せがあると・・・。好き勝手に、楽しく美味しいものを食べて人生を送るのも良い?と言っていますが、いざとなるとなかなか出来ないのが現実かと思います。

【日常の小さな幸せに気づく力】

若い頃には見逃しがちだった日常の小さな幸せや美しい瞬間に気づく力が育つようです。歳を重ねると、季節の移り変わりや家族との団欒、健康な日常といった些細なことに幸せを感じられるようになるとしていました。

「いまを楽しむ」意識の向上

歳を重ねるにつれて、「いつか」ではなく「いま」しかないという気持ちが強まり、目の前の瞬間を大切にするようになり、日々の一瞬一瞬を味わう意識が高まり、それが大きな幸福感につながるとしていました。

80歳代になると、若い頃にはなかった「穏やかな幸せ」や「深い満足感」を感じやすくなるとしていました。しかしボケとの同居?も始まるのでしょう。

和田秀樹先生著の内容は、後日ご紹介いたします。

90歳が平均寿命としても、85歳では健康寿命(他人のお世話なしで生活できる)方は3人に1人のようです。著者の和田秀樹先生も医者でありながら、高血圧・肥満など病気のデパートだと言っていましたが、でも普通に暮らしていると言っていました。

丈夫でいるかは賭けである。と・・・。これも自分が持った運なんでしょうか?

そう~本書ではP168 で、ブログ発のベストセラーも増えているとのことです。みなさん頑張ってください!


洗濯干し場用デッキ改修

2024年11月16日 | なかま道志ベース

以前ですが、女房が洗濯ものを干す時に足を滑らせ、大声をだして助けを求めていたました。

大事には至らず、打ちみくらいですみました。それではと思い、通販で安いウッドデッキを買い求めたのです。

もう、2台目になりますかね?先日はシッカリしたモノを自分で作りました・・・。

以前のデッキは3枚を重ね合わせたものでした。(きっと安い輸入品です)

組み立てるより、ばらす方が大変です。縁側ですので、石の踏み台もあります。

最初にイメージ図を作り、寸法を取り道志にある板で作ることにしました。

道志に入った時に、各寸法に合わせてのカットと防腐剤塗りです。

長さが2m42cmですが、レヴォーグ(愛車)の助手席を倒しフロントガラスのギリギリでなんとか納まりました。さすが、荷台の広い(長い)レヴォーグです。

枠を置いてみました。ピッタリですが、踏み石との調整も必要で一部やり直したところもあります。

厚さ4cmで長さ90cmの杉板を張りました。

もう、私が朽ちるよりこの物干し台の方が持つと思います。

もう一度、防腐剤を塗ります。

朝から始めて夕刻には出来上がりました。昔は日曜大工と言っていましたが、今では日曜には安息日ですので、音は出せません。月曜大工になりました。

道志から持って帰ってきたカラスウリをネットに張り付けてくれました。

道志で収穫し飾ったカラスウリです。

自宅も秋らしくなりました。

夜はダンスの練習会ですが、みなさんお疲れで早帰りです。

私も朝から物干し場づくりでバテ増したよ。

一杯やって寝たのは11時過ぎでした。先ほど起きたところです。

8時間半寝ていました。

 

Hiro