本城陸上クラブは(市民ジョギングもあります)、「今より成長を目指して」が指導方針です、特に長距離は専門です。

「本城公園」拠点に小中学生から大人までのランニング活動チーム
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自分の人生が正しいと思っている指導者

2013-09-27 | 心と行動

1/100の平凡
2013-09-27 07:49:53 | Weblog
「別の生き方」9月24日
 『血縁超えた家族の形 寛容な社会へ』という見出しの特集記事が掲載されました。その中で自民党総務会長であり、卵子提供を受けて男児を出産した経験のある野田聖子氏は、『家族の形は、政治がこうあるべきだと決めてはいけない』と述べ、我が国において選択的夫婦別姓や事実婚などについての取り組みが進まない背景について、『自分の歩んできた人生以外は受け入れられない人たちが、国会議員に多すぎるんです。イマジネーションの欠如です』と語っていました。
 私は家族のあり方については保守的な考えですので、野田氏に全面的に賛成というわけではありませんが、「自分の歩んできた人生以外は~」という指摘については共感を覚えます。教員は、「自分の歩んできた人生」を絶対視してはいけません。
 私は、サラリーマンの父と専業主婦の母(内職はしていたが)、祖母、姉という5人家族で育ちました。結婚して家を出るまでずっと東京の下町で暮らしていました。小学校から大学まですべて共学の公立と国立でした。浪人も留年も就職浪人もしませんでした。そもそも就職活動をしたことがありません。別にドラマチックな人生ではありませんが、ここまで書いただけでも、私と同じような人生を歩んでいるという方は1/100もいないはずです。ご両親が離婚したり、死別したり、一人っ子だったり、何回の転居を繰り返したり、家が農家や自営業だったり、男子校や女子校に通った経験があったり、浪人や留年をしたり、という人が1/10ずついたとしても、全体では「1/100」になってしまうのです。
 ありふれた平凡な小市民である私でさえ、1/100の存在であるとすれば、1人の教員が受け持っている子供たちも、誰一人としてその教員と同じような人生を歩んではいない確率が高いと考えて接することが大切なのです。もちろん、子供だけでなく保護者についても同様です。
 新卒のときの私には、そのことが分かりませんでした。養父母に育てられそれを知らされていない子供、在日韓国人であることを隠して日本名で生活している子供、日常的に父親の暴力にさらされている子供、父親の競馬馬が勝つたびに1万円(35年前)の小遣いをもらっている子、弟が自殺したトラウマを抱えている子供、そんな「分かりやすい」違いをもっている子供に対してでさえ、自分の尺度をあてはめ、勝手にイライラしていたものでした。
 若い教員の皆さん、イマジネーションが欠如してはいませんか。

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