続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

多賀城の歌枕・沖の井

2023-11-18 19:34:38 | みちのく紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

道ばたのマリーゴールド、まだまだ頑張って咲いてます

今朝はどっちに行こうか

タバサねーちゃんは、天神田の方に曲がります。

天神田を歩きます。

あの木々の中にかつては天神社がありました。

天神様パワー切れで、地名に残ってるのに誰も見向きもしません。

ちょっと悲しいね

 

 

 

10月25日午前中、松島を散策した後、仙石線・松島海岸駅から乗車して、多賀城駅で降ります。

駅構内にある観光案内所で、「沖の井と末の松山に行きたいんですけど それと、国府多賀城駅へのバスがありますか?」

地図をもらって説明してもらい、バスも確認です。

「あまり本数が多くないですけど、この次は1時半です。」

「行ってこられるかな?」

「余裕で大丈夫ですよ ついでに、お昼もここで済ませていった方がいいですよ あちらは何もありませんから。」

「ありがとう

 

 

駅前のバス停を確認してから、歩きます。

ミヤコーバスって、宮城交通かな?

あそこに見えるバス、なんとなく昔日の宮城交通バスのイメージです

 

 

表示に従って川沿いの道を歩きます。

川は、けっこうな水量です。

 

 

最初の橋を渡ります。

渡る橋は鎮守橋です。

多賀城アヤメ園のアヤメ(花ショウブ)と多賀城の瓦です。

 

橋の上から下流の流れです。

あの日、むこうから津波が迫ってきたのです

 

橋の説明板があります。

川の名は砂押川です

 

下流・海の方には、雲がいっぱいです

あの日・2011年3月11日、ここまで津波が押し寄せてきたのです

 

 

案内図と記憶を頼りに進みます。

もうじきです

 

 

記憶にあるお地蔵様です。

こんにちは、お久しぶりです

後ろに見えるのは、末の松山です

観音霊場のようですけど、お天気が心配

バスも心配

寄らずに1礼です

 

末の松山の案内板だけ確認です。

ここは末松山宝国寺です。

都の有名歌人が訪れたような記述になってます

でも、最近は、歌枕とは歌人の心象風景で実際に存在したわけではないけれど、後に場所が確定されたということがいわれています

特に東北に多いのは、実際に訪れた人が少なく、イメージで歌が詠みやすかったからとか

 

 

路地を入るとありました

沖の井です

文化を大事にした仙台藩では、地元の有力者を「沖井守」に任命して保護したんですか

百人一首の「吾が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」(二条院讃岐)の歌枕ですね。

引き潮の時でさえ見えないように、いつも海中にある沖の石

ムラサキシキブがあって、いい雰囲気でした

 

 

右手には末の松山です

雲行きが怪しくなってきました

急ぎましょう

 

(つづく)

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