続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

早川物語番外編・桜橋と昭和橋

2023-05-24 14:48:21 | 新田紀行

晴れても寒く、風の冷たい朝です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

タバサねーちゃんは、今朝は余り遠出はしたくないようです。

 

諏訪神社前から、南に下ります。

もう田植えの済んだ田んぼもあります。

タバサねーちゃんの意思尊重して、ここらへんでUターンです。

 

帰り道は、タバサねーちゃんも元気になります。

 

ひめちゃんちのガーデンに、ユリが開花です。

早いような

 

 

 

永徳寺(太田市徳川町)の参道を出て、南に流れる川を確認です

川は早川、橋は桜橋です

昔は桜がいっぱい植わっていたのかな?

 

下流の流れです。

豊かな水量です

 

上流の流れも水量豊かです

クラシックな橋が見えます

たいした距離ではなさそうです。

土手を歩いて、行ってみましょう。

 

土手の右下には、永徳寺の境内かな?

何かの植樹がされています。

もしかして、ここに桜がいっぱいあった

 

永徳寺の西側には、墓地が広がります。

古い墓石は整理されています

でも、この方目立ちます

権大僧都?

修験者の墓標かな?

江戸時代修験者は祈祷のみで、葬式を司る事は許されなかったとか。

 

この方も目立ちます

何かに悩んでいそうな雰囲気です

 

土手の上から失礼します。

みなさんに合掌

 

 

次の橋が近づいてきました。

あれ、軽トラックが渡っていく

この橋は、生活道路として利用されています

向こうに見える土手を、多くの車が走ります。

利根川の北岸の道路です。

 

橋のたもとに、ちょっと悲しいボクです

犬のお散歩も多いのかな?

 

早川は、もうしばらく旅を続けて、国道17号線(上武道路)をくぐり、堀口町(太田市堀口町)で、利根川に合流します。

新里の山奥(奥沢)から流れ出した早川は、長い長い旅を続けて、永徳寺南を流れているのです

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さつきの寺・永徳寺

2023-05-23 16:21:52 | 新田紀行

冷たい雨の1日でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

本日は、生後1ヶ月のひめちゃんきょうだいのアーカイブです。

3月で、みんなまだお家の中で暮らしていました。

みんな、かわいかった

 

 

 

満徳寺の南には、永徳寺あります。

さつきの寺と言うことですけど、まだちょうどいい時期に訪問できていません。

ここにも、正田隼人の記憶がありそうです。

今回は、5月10日に訪問しました。

さつき咲いているかな?

 

満徳寺駐車場から道を渡って、境内に入ります。

説明板があります。

寺伝によると、天台宗の開祖伝教大師最澄の弟子・宥海上人によって、大同元年(806)に創建され、関東最初の天台三道場の一つであった。

そのあとは、消されてる

利根川の洪水で、何度か移転してるようです。

文化財として、30代正田隼人・源義芳筆の杉戸絵ですって

 

 

まず本堂で、合掌です

醫王山、薬師如来が本尊かな?

 

 

石造物の皆さんです。

 

あれちょっと気になる庚申塔です。

「正田三十代源義芳書」です

第三十代の正田隼人・源義芳さんは、絵画にも書にも堪能だったんですね

 

新田では廃仏毀釈はほとんどなかったとか言いますけど、みなさんご無事です

 

若かえるての紅葉の向こうに不動堂です。

利根川河岸にあった、船頭達の守り本尊を移したと説明板にありました。

 

本堂脇には、小舟です。

洪水への備えかな?

 

 

さつきの庭を通って、南に見える川を確認です。

さつき、それともツツジ?

今回も満開に出逢えずです

 

 

東の参道を出ます。

 

南に流れる川は、早川です

桜橋です。

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い長い旅をして、ここまで流れてきました

 

 

(つづく)

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麦秋の徳川東照宮

2023-05-22 19:05:39 | 新田紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

今朝は、お散歩前に、タバサねーちゃんは目薬をさしました。

お天気もいいし、目薬効果もあって、タバサねーちゃんも元気にお散歩です

 

ハナミズキのむこうに霞んだ赤城山です。

 

道ばたの桑の大木、今年もたくさんのドドメをならせてます。

桑の実のジャムはおいしんだけど、届かない

 

 

 

 

実家のご先祖様の中に、徳川の正田隼人の娘がいました。

久しぶりに、江戸時代には正田家が邸内に祀っていた東照宮(徳川東照宮)を訪問してみましょう。

 

世良田東照宮のHpによれば、徳川東照宮の由来について

徳川氏始祖義季公から八代目である親氏公は、南北朝の戦いで室町幕府による新田氏残党追捕の幕命により新田之庄を出国せざるをえなくなります。徳川郷の生田隼人は、親氏公の出国時に銭一貫文と品物を餞別とし、郷内の百姓とともに中瀬(現 埼玉県深谷市)までお見送りをしました。またその時に親氏公の領地を預けられたことで、以後 生田家が徳川郷主となります。
天正19年(1591)徳川郷主 生田家十六代義豊は、武州川越(現 埼玉県川越市)で家康公に謁し「新田徳川系図」の提出と生田姓から正田姓への改めを命じられます。同11月には、家康公より徳川郷へ三百石の御朱印を寄進、正田家に徳川遠祖の御館跡を子孫末代まで居屋敷として所持してよいと仰せつけられました。
寛永21年(1644)世良田東照宮勧請にともない、十八代正田義長は邸内に私的な東照宮を建立したました。祭祀は正田家が執り行い、世良田東照宮と同様に4月17日と正月に限り庶民の参拝を許しました。
明治5年(1872)邸内社であった東照宮の社地を徳川郷へ寄進。同40年(1907)11月6日、郷内4社各末社が合祀されたことにより、徳川郷の鎮守に崇められるようになりました。

大正3年(1924)6月3日、徳川郷内の永徳寺より「権現堂」を移築、それを拝殿とし現在に至ります。

 

本日午前中、行ってきました

 

徳川東照宮は、あの縁切り寺・満徳寺の裏にあります。

満徳寺駐車場から歩きます。

付近の案内図を確認です。

徳川東照宮は、ありませんね。

でも、満徳寺の裏に存在します

 

満徳寺の東を通過します。

 

あれ、今日は山門が閉まってる

月曜で、資料館がお休みだからかな?

満徳寺時宗のお寺だったんだ

 

 

左に行くと、徳川東照宮です。

でも、久しぶりに、新田氏の祖・新田義重夫妻の墓を確認して行きましょう

直進します。

 

少し行くと、左手に見えてきました。

奥の建物は徳川会館(集会所)、さらに奥は徳川東照宮です。

畑中ですけど、踏み石はあります

 

きれいになってますけど、劣化がはなはだしい

とりあえず、合掌

説明板も劣化しすぎで、ほとんど見えません

「徳川氏館跡の宝塔」かな?

 

 

さて、東照宮に行きます。

東照宮の鳥居付近では、除草剤を撒いてるおじさんがいます。

邪魔をしないように、隣の徳川会館の方から拝殿前に入ります。

 

 

2礼2拍1礼です

屋根の上には、葵の紋があります

 

手水社にも、葵の紋です

 

 

社殿裏の大木が気になります

ケヤキかな?

ずっとここで、徳川郷を見つめてきたんですね

 

 

境内の北側には、色付き始めた麦畑です

昔は普通に見られた、黄色く色づいた麦畑です。

郷愁を誘う風景です。

ちょっと早いけど、麦秋の麦畑を背景の徳川東照宮に参拝できました

 

おじさんの姿も見えなくなりました。

鳥居から出ます。

門柱には、徳川義季公館趾と??東照宮です。

??は、村社だったかな?

 

門柱脇には、尾島かるた「徳川氏発祥の地尾島町」です。

家康が大河ドラマで活躍中でも、ここは全然注目されいないようです。

かえっていいかも

 

満徳寺の西を廻って、駐車場に戻ります。

満徳寺本堂前の庭園、紫陽花が咲き始めていました

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佐波の五反田池に鎮座・御嶽山白龍神社

2023-05-20 14:00:26 | 群馬県・中毛

雨上がりのスッキリしない空です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

緑内障のタバサねーちゃん、今朝は、余りよく見えないようです

 

ケンくんちの脇を通って、庚申塚古墳を通って帰ります。

 

石造物の皆さん、草に負けそう

 

お家が近くなると、タバサねーちゃんも元気になります

早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

 

 

 

5月13日、新田からの帰り、国道17号線・大国神社前の信号で左折、すぐに大間々方面に向かう県道291号線に入ります。

実はこの県道沿いに、おいしい焼きまんじゅう屋さんがあります。

買って帰ります

 

焼きまんじゅう屋さんから出ると、ナビに沼と神社が見えます

白龍神社とあります。

今まで気づきませんでした。

ちょっと覗いていきましょう

 

 

きれいに真っ赤な鳥居です。

新田の神社の真っ赤な鳥居はお疲れのようでしたけど、こちらは元気ハツラツといった感じです。

 

 

駒犬さん、こんにちは

背景に広い沼があります

地図には五反田池とあります。

 

 

ここは、御嶽山白龍神社です。

どうして、御嶽山(おんたけさん)が付くのかな?

 

 

池に架かる、赤い橋を渡って参拝のようです。

 

 

心細く渡り切ると、社殿があります。

授与所もあります。

御朱印出るのかな?

稲荷神社で、2礼2拍1礼です

本殿でも、2礼2拍1礼です

 

たくさんの神様を祀っているのですね。

木曽の御嶽山に霊神場を造営する中で、桑子智好(初代宮司)が白龍様におめもじし、御神勅を賜り「御山は健脚な者でなければ参ることが出来ぬ。年老いたる者が孫の手をひいても来られるように、われを佐波の地に祀るように・・・」との仰せによって初代宮司左近守となられた。よって、この社に参拝するは御山と同等となったのでございます。

 

ここ(旧佐波郡東村)にお参りすることは、木曽の御嶽山にお参りしたのと同等ですって

「おめもじ」って、「お目にかかる」より敬意が高いですよね

すごい御神勅だったのですね

もう一度、2礼2拍1礼です。

 

左隣には、十二権現です。

とりあえずペコリ

 

後ろを振り向くと、手水社のようです。

その奥には、赤城大通龍大神です。

2礼2拍1礼です

 

 

橋を渡って、池の西に出ます。

奥に、どなたか目立つ方です。

摩利支天大神です。

正面にはいけませんけど、2礼2拍1礼です

 

 

奥の方から、おじさんがやって来ます。

「あのう、ここは御朱印出ますか?」

「ああ、神社の人がいればね。土日はいないんだよ。」

「残念でした、また寄ってみます。それにしても、豊富な水ですね

「農業にも使ってるんだよ

おじさんは、境内の清掃を続けます。

 

 

西側から南周りで駐車場に戻りましょう。

こちらにも狛犬です。

南からの風景です。

あの赤い橋を渡って参拝しました。

本殿のまっすぐ南にも、鳥居です。

こだわりを感じます。

また、2礼2拍1礼です

 

やっぱり竜神様は、体の色は何色でも豊かな水が似合います

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枯木の落下に注意してください(下江田矢抜神社)

2023-05-19 16:26:29 | 新田紀行

朝はまだ雨が降っていません。

でも、ひめちゃんとタバサねーちゃんは余り遠出をせずに、無量寺界隈を歩いてきました。

まだ、集団登校の子供達はやってこないよね

無量寺は、現在堂宇はなく、空き地と墓地のみ存在します。

でも、百年前の地図だと、この界隈には「地主無量寺」の記述がいっぱいです

由緒等も伝わっていないようですけど、お花がきれいでよかったね

 

 

 

5月13日、新田郡粕川村の成就院墓地からの帰り、字本郷を北上します。

実家のご先祖初代の奥さんのお兄さんの名前を発見

左下に、「富宇賀長左衛門」とあります

初代の奥さんの家族は、ここら辺に住んでいたんですね

 

石田川を渡ります。

下流の流れです。

次の橋あたりが、若宮ふれあい公園かな?

 

上流の流れです。

サイクリングロードが走ってる

 

橋を渡ると、旧新田町のようです。

史跡の案内があります。

行ってみましょう

 

真っ赤なクラシックな大きな鳥居があります

何か貼り紙があります

「枯木の落下に注意してください」ですって

 

鳥居の額は、矢抜大明神です。

桜の大木の幹にも、「枯木の落下に注意してください」です

誰か怪我でもしたかな?

 

拝殿は、さほど古くはなさそうです

かつては、子供達が遊んでいたかな?

物置に由緒があります。

祭神は、経津主命(ふっつぬしのみこと)です。

『日本書紀』にのみ登場する、軍神だそうです。

境内社も色々あるようです。

 

参道を振り返ります。

桜の古木が、枯れ枝を落としているのかな?

この先には、石田川が流れ、国道17号線(上武道路)に出られます。

 

拝殿で2礼2拍1礼です

 

拝殿・本殿裏には、先ほど名前のあった神々の石宮です。

お手長様は、手が長くて、手を伸ばし火を防いでくれるそうです

どんな、お姿してるんだろう

 

史跡のポールがあります。

説明板もあります。

椿の原種の大木があったのですね

ここは、前方後円墳だったんですか

新田氏の一族・江田氏の所領だったけれど、江田氏が去った後、江田郷も分割され、矢抜神社も分祀されたんですか

そういえば、中江田(なかえだ)にも、矢抜神社がありました

なんとなく古墳の雰囲気です。

皆さんに、合掌

 

 

石田川を渡って帰ります。

右上の方に、とんがり屋根の旧尾島町役場が見えます。

石田川は、この先でゆるく左に進路を変え、新田郡の粕川村を流れて東流し、やがて刀水橋で利根川に合流するのです。

 

石田川を渡り、国道17号線(上武道路)に出ます。

今回のふるさと探訪、目に見えない不思議な力に導かれ、思いも掛けない発見がありました

神仏に感謝

 

(つづく)

 

 

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