続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・毛呂権蔵の記憶(世良田普門寺)

2024-06-21 16:53:04 | 新田紀行

ひめちゃんは、諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで行きます。

南に下ると、ヒマワリ畑が出来そうです

 

なんとなく、あの子の「にほひ」があるようでふよ

時折見かける黒柴の男の子、どうもここら辺に住んでるらしいでふよ

窪地の向こうには、山上多重塔があります。

ここに咲くヒマワリは、山上多重塔建立の趣旨にも似て、人々の心を癒やしてくれそうです

早く咲いてね

彼にも会いたいでふよ

 

さらに南に下って、山上城に廻り込みます。

紫陽花の名所だったはずだけど、静かです

一応草刈りはしてあるみたい。

紫陽花の小径を通って帰ろうよ

ひめちゃんは、頑として拒否です

ちょっと寂しい紫陽花の名所、山上城跡公園でした。

 

 

 

5月27日、毛呂家の後、竜骨伝記を写してくれた毛呂権蔵(もろごんぞう)さんのお墓にも詣でます

お墓は、毛呂家の南の普門寺にあります。

記憶を頼って探しますけど、見つかりません

どうしちゃったんだろう

確かに数年前にはあったのです

 

 

「一隅を照らす」、焼けてます。

普門寺はしばらく前に焼けたということです

 

 

案内番を見ると、「御朱印あります」です

しゃあない、和尚さんに聞いてみるしかない

実は、ひめちゃんちのおかあさんの実家は、普門寺の檀家です

ちょっと声をかけにくいけど、しゃあない

 

説明板の文化財、一番最初に「『上野国志』の著者、毛呂権蔵の墓です

 

 

明るい山門をくぐります。

 

左手には、みがわり忠犬もんの碑です。

和尚さんに、もんちゃんの事を聞いてみましょう

 

右手には梵鐘です。

岩松家の寄進なのですね

世良田祇園の時に活躍していたのです

 

参門の中にも、かたづけられた石仏群です。

まさか、このなかっていう事はあり得ないよね

六地蔵さんに、こんにちは

自主的(?)に帽子を脱いでる方もいます。

合掌

 

 

和尚さん、ご在宅のようです

 

庫裏を訪ねて、御朱印をお願いします。

待っている間、本堂のご本尊等に参拝です。

合掌

初めて実家の菩提寺のご本尊様に参拝出来ました

ありがとうございます。

「どこから来たんだい?」

「新里です。でも、実家は○○○○です。お世話になってます

「○○○○さんには、長い間役員をやってもらっていたんだよ。」

「そうですか

実家を離れてからの事なのでしょう。

初めて聞く、今は亡き親の一面です。

色々話が弾みました

 

いただいた御朱印です。

 

和尚さんに「26日だっけ」と聞かれて、「そうです」と言ってしまいました

日にちって、とっさに聞かれると、分からないものです

元三大師の御札もいただきました

ありがとうございます

 

 

「あのう、毛呂権蔵さんのお墓が見つからなかったんですけど

「奥のほうに、ちゃんとあるよ

ちょうど和尚さんのお友達がやって来たので、案内してもらいました。

ありがとうございます

 

  

 

権蔵さん、「竜骨伝記」写しておいてくれてありがとうございます。

合掌

 

あれ、もんちゃんのこと聞くの忘れた

今度来たときは、忘れずに聞きましょう

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毛呂権蔵の記憶(毛呂さんちは船田善昌館跡)

2024-06-20 16:04:53 | 新田紀行

朝から強い日差しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

蕨沢川を渡らずに、南に下ります。

向こうに見える堆肥の覆屋、屋根にアオサギさんの姿はありません

去年は、よくあそこにいたのにね。

前に回っても、アオサギさんの姿はありません

右端にぽつんと残ったサイロ、酪農王国を夢見た跡です

 

三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵、ヘメリカリスがきれいに咲いたね

こんな巨大輪も咲き始めました

 

 

6月6日、最終回の鄕右衛門忌、テーマは「竜骨伝記の真実」でした

 

正徳4年(1714)、田中藤左衛門が竜骨を持って上野国山上の常広寺にやってきます。

その竜骨には「竜骨伝記」と鑑定書とも言うべき「證書」が添えられていました。

大正12年1月1日の火事で、竜骨も竜骨伝記も證書も焼けてしまいました。

でも、焼ける前にこれを写した人が2人います。

新田郡世良田村の毛呂権蔵と小俣・鶏足寺の和尚です。

毛呂権蔵家にも、ご挨拶しておきましょう

鶏足寺は、そのうちに季節を選んで、また参拝しましょう

 

 

5月27日、毛呂家すぐ裏の世良田行政センターに駐車して、裏から訪問です。

何年ぶりかな

シーンと静まりかえってます

毛呂家は、船田善昌館跡なのです

新里の人は、「新田義貞は善昌寺にいかってんだ(埋葬されているんだ)」と普通に信じてます

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、「馬鹿なこと言ってんじゃあないよ

250年前、毛呂権蔵もその著『上野国志』善昌寺の項で、「坊主の言っていることは嘘ばかり、でも景色のいいところだね」と記しました。

新田のゆかりを、くどくど聞かされたのでしょう

「おれっちは、船田善昌館跡だ」とは言わなかったでしょうけど、納得できず腹立たしい事だったでしょう

ひめちゃんちのおかあさんも、権蔵さんの怒り、共有してます

 

静かすぎて声をかけにくい、またそのうちにお邪魔します

権蔵さんのお墓のある普門寺(ふもんじ)にも寄っていきましょう

 

歴史公園入り口の信号から、普門寺の駐車場に回り込みます。

普門寺に駐車して歩いて戻り、さっき表示のあった閻魔堂(えんまどう)も覗いておきましょう

 

ガラス越しでよく見えませんが、閻魔大王と十王がおいでのようです。

合掌

 

普門寺へ戻ります。

歴史巡りコース、満徳寺→です。

ここから歩くと近いのかな?

 

屋台庫です。

世良田祇園に出動するのでしょう

 

 

普門寺、何年ぶりだろう?

すっきり整理されているような感じです

権蔵さんのお墓、見つかるかな?

 

 

(つづく)

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後閑薬師堂異聞

2024-06-18 15:03:12 | 群馬県・旧勢多郡

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

今日は一日中、室内犬です

しっかり、おかあたんのベッドの上に陣取ります

気が向くと、少しの間自分のベッドで寝てます

暑がりタバちゃんは、畳の上がいいみたいです

夕方にはやむといいね

 

 

おかあさんは、歩いてゴミ出しです。

ゴミステーションからの帰り、後閑(ごか)の薬師堂を通ります。

ここには、五輪塔の残骸がたくさんあります。

薬師堂の西には、凝灰岩の五輪塔が捨て置かれています。

もしかしたら、史跡の後閑の五輪塔(長安寺跡)より大きいかも

この薬師墓地の南にある、工務店の土地から出土したそうです。

墓地はかつてもっと広く、南にも広がっていたそうです。

ここには、たくさんの五輪塔があったのです。

実はここは何度も戦乱に巻き込まれて、荒れ果てた土地(後閑の鄕・こかんのごう)だったのです

上杉顕定書状(長享2年3月16日)・その2

 

近世に庶民が無病息災や現世利益を願う前に、鎮魂の場としての姿があったのです

怨念・怨嗟の声が満ち満ちた所だったのです

ガラス戸はあいてますが、雨なのでぬれたまま、上がるわけにはいきません

そのうちに、そばで拝見しまーす

合掌

 

薬師堂の床下には、五輪塔がゴロゴロという話もあります

のぞいてみますけど、わかりません

 

 

お堂の斜め前方の馬頭観音そばにも、五輪塔のパーツです。

よく見ると、なかなかの馬頭観音さんです

合掌

 

右前方にも、大きな馬頭大士の文字塔です。

ここの小さな交差点は、交通の要衝だった時代があったのでしょう

 

現在の薬師堂はちょっと味気ないですけど、古い薬師堂はなかなかのものだったようです。

いつの頃かわかりませんが、古い写真があります。

ちょっと修正を加えました。

古い文書を検討してみると、ここは怖いところです

怨嗟と怨念が渦巻いているのです

 

先日、常広寺で二胡と琴の鎮魂の調べが流れました

上野国山上(こうずけのくにやまがみ)に、鎮魂の調べが流れたのです

みなさん、聞いてくれたかな

合掌

 

 

さて、土手から帰ります。

まだ草刈り途中ですけど、紫陽花は救出しました

 

裾をぬらしながら、ガーデンパトロールして帰ります。

雨で紫陽花も元気を取り戻し、ヘメロカリスの色も鮮やかです

白百合も咲き始めました

 

バラが入るとガーデンが華やかになります

 

向日葵も咲き出してます

今年は、草むしりして地面が出ると、あちこちに種をまいておきました

コスモスの種も、あちこちにまきました。

成長中です

 

 

枇杷の実が完熟です

今年は実は小さいけれど、たくさんなりました。

 

ムーハウスガーデンは、薬師堂の少し東です。

もしかしたら、ここに花々が咲くことが鎮魂になるかも

 

草むしり・草刈り・種まき頑張ります

 

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七海な日々2024

2024-06-16 20:20:15 | 日記

ひめちゃんがお散歩に出るときは、小雨がパラパラと降ってました

遠出はしないで、南の方に短めにお散歩です。

急いで帰りましょう

第2陣で、タバサねーちゃんがお散歩に出る頃は、雨の心配はなくなってます

赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんは立ち上がって、「遊ぼうよ

でも、珍しくタバサねーちゃんはシカトです

プーちゃん、いったい何歳なんだろう?

もしかしたら、ひめちゃんやタバサねーちゃんの両親と同世代かも

 

ムーハウスガーデン、ヘメロカリスがいろいろ咲き始めてます

 

 

ひめちゃんやタバサねーちゃんのママ・七海は、2004年6月19日の生まれです。

2024年6月19日は、ナナちゃんが生まれてから20年目の記念すべき日です

もし生きていたら20歳、人間換算だと96歳とか

ナナちゃんがやってきた頃の記録が「黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ カテゴリー 黒柴三四郎の独り言」にあります。

当時のメモというか記録が残っていたのです

ナナちゃんが来た

 

2000年7月生まれの初代黒柴犬・三四郎が語ります

 

04.8.12(木)

 ナナちゃんが来た

昨日の夜、おかあたんが突然「七海」ちゃんという女の子を、連れて帰ってきた。

生後五十日で、やせ気味のちっちやな黒い子だ。

ものすごい食欲だったけど、結局下痢となってしまった

僕たち先住犬がいるなど新しい環境にびっくりしたのか、熱を出してしまった

そんなわけで、おかあたんは今日はナナちゃんにはミルクだけにしている。

そういう状態なのに、水入れの水をピチャピチャ掻き出して遊んでいた

いつか洗面器のプールをお部屋に入れてもらったことがあったけど、ご飯用の水入れからビチャピチャは我が家では初めてだ

 

 

04.8.14(土)

 ナナちゃん大病を乗り切る

ナナちゃんは、来た夜、ものすごい勢いでふやかしたご飯やビイフジャーキィを食べたけど、結局ものすごい下痢になってしまった

下痢はしていても、お水はいっぱい飲んでいた

「来たばかりだから神経を使っているんだ、そのうち直るさ。」と、みんなは思っていた。

でも、病状は一進一退を繰り返し、ついに何も食べられなくなった

歩くにも、ふらつくようになった

病院にと思っても、お盆とかで先生は留守だった

眠らせたら死んでしまうと恐怖を感じたおかあたんは、ナナちゃんのサークルで彼女のお腹をさすりながら夜を過ごしていた。

ふと気が付くと安らかな呼吸にもどり、くつろいだ姿があった

おかあたんは、その姿が僕の寝姿と同じだと見比べて確認した

正確には線対称だけど。

 

サークルのそばで横になったおかあたんが一寝入りして起きると、ナナちゃんも目を覚ました

ミルクを作ってもらって平らげた

 

まだ夜明け前で暗かったけど、おとうたんも起き出してきた。

僕とサマンサも起きていた。

 

おかあたんは、ナナちゃんに順位を教えるために、ビスケットのビスカルを「はい三四郎、次はサマンサ、次はナナちゃんね」と言って、順番にくれた。

ナナちゃんは今日は気ままに過ごして、子犬らしく「食っちゃー寝食っちゃー寝」を繰り返した

そしてまた、手で水を掻き出して水遊びをしていた

 

 

04.8.15(日)

 ママの記憶 

ナナちゃんは寝ているとき、チュチュピチャピチャとおっぱいを飲んでいる音を立てることがある。

ママと別れて間もないから、ママのことを覚えているんだろう

僕はもう覚えいないけど。

 

僕は、ずうっとずうっと、サマンサとおとうたんおかあたんといるような気がしている

僕とサマンサの間には何名かの子供がいたけど、このうちで過ごした日々は忘れているだろうな。

おかあたんがよい運に恵まれるようにと、一生懸命考えた名前とは別の名前で生きていることだろう。

 

 

七海は、ペットショップに出ないで、縁があってやって来ました。

来た時は、ちょっと具合が悪く、おまけにお盆で動物病院はお休みでした

自力で生き抜いたのです

残念ながら、この頃の写真はありません。→訂正、2004年8月の写真がありました。

 

 

かわいい生後2ヶ月のナナちゃんです。

 

 

 

ナナちゃんが生き抜いてくれたことで、おかあさんも今日まで生きることができました

人生ン十年、いろいろあったけれど、黒柴家族がいたから生きてこれました

ナナちゃん、ありがとう

ひめちゃん・タバちゃん、長生きしてね

 

 

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続・岡登用水の記憶

2024-06-14 16:18:00 | 群馬県・東毛

ひめちゃんは、堀之内を北の出て、岩神沼に到着です。

せっかくアタチが来たのに、アオサギさんいないでふね。

今朝は、黒いカモさん1名だけです。

 

久しぶりに、長安寺跡を通ります。

かわいい石造物もあって、獅子丸は興味津々でした

ひめちゃんは、まったく興味がないみたいです

 

ムーハウスガーデンに、カラーが初開花です。

わりと日陰の、目立たないところにあります。

元気な黄色のカラーは、どうしたんだろう?

 

 

(6月12日)岡登用水の記憶、散策続けます。

ここで、南に流れる水路と西に流れる水路が分かれているんですね

 

公園ぽく、水を張れるようになってます。

水が入って、子供たちが遊んでる風景を見たいなあ

 

現在地は、案内図の上中央赤丸です。

道なりに直進です。

 

しばらく走ると、見たことある風景です

古代蓮の里北側に出ました。

回り込んで、ちょっと寄っていきましょう。

古代蓮の葉っぱ、大きく成長しています

でも、ひめちゃんたちのお出かけには、ちょっと早いね。

花が咲くまで待ちましょう

 

付近の案内図を確認です。

今度の現在地は、古代蓮の池隣の赤丸です。

鹿の川沼、岡登用水を一時ためておいたのでしたね

 

付近を散策です。

枇杷の実が、たわわになってます

古代米の田植えも終わってます

稲荷山のカタクリ、去年、ひめちゃんとタバサねーちゃんで散策したね

 

さて、公園内の岡上影能(おかのぼりかげよし)さんにご挨拶です。

こんにちは

 

道の向こうには、鹿の川沼です。

今年は桜の季節に訪問できませんでした

秋にでも、ひめちゃんたちと沼の周りを散策しましょう

 

周辺の案内図を確認して、駐車場に戻ります。

ナツツバキ(シャラ)の向こうに、岡上さんの銅像です。

また、そのうちにお邪魔します

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