虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

じぶんでやる!

2010年09月27日 | 育児
宿直でいない日や、何か特別な事情がない限り、こたりさと3人でお風呂に入るのがボクの日課になっています。

にぎやかに楽しいお風呂です。


で、最近になってりさこが「自分で顔を洗う」と主張し始めました。

最初はかえって時間がかかって面倒だな~と思って聞き流していたのですが、あまり毎回のように訴えるし、意欲をそぐというのも教育上いかがなものかと思い、やらせてみることにしました。


するとどうでしょう、初めての時からたいして教えてもいないのに思いの外上手に顔を洗っている。

父親の洗顔をよく見ていたみたのか、わりとすみずみまで洗えていてほんとに上手。

仕上げはしますが、感心してしまいました。


と、同時にあることに気づいてしまった。

3歳のりさこにできるなら、5歳のこたろうにできないはずがない。

基本何事にも消極的なこたろうを説得。

手を取って洗顔講座。

りさこよりもよっぽど手がかかっているような・・・。

ただ、ほめれば伸びる(=調子に乗るとも言う)タイプですから、すぐにできるようになりました。


しばらくして、今度はりさこが洗髪にチャレンジ。

これもなかなか上手。

当然、即こたろうにも洗髪講座。

だいたい丸坊主なんだから、洗顔よりも簡単。


そして今では身体洗いもまずは自分でやるようになりました。

今はあかすりが一枚しかないため、二人も順番待ちになるし、ボクも手持ちぶさた。

それぞれに専用のあかすりが必要かな。


それにしても、我が家では大体のことを妹のりさこがリードしている感じ。

兄こたろう、しっかりせんかい。

うるさいながらも楽しい我が家。


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「しょうがい」ってなぁに?

2010年09月27日 | ひとりごと
昨日記事に取り上げさせていただいた乙武さんが、ブログで「『障害』=『個性』?」という記事をUPされているのを読ませてもらい、ちょっと書いてみようと思いました。


「障害」とは何か。

ボクの答え。

「障害」は「障害」。


「障害」とは?=「障害」を別の表現で表すとしたら何?

この問いに対して、ボクがいつも感じること。


なぜその問いが必要なのか。

それをきいてどうするのか。


「障害」を他の言葉に言い換えることに頭を使うくらいなら、目の前の「障害者」が抱えている「障害」からくる生きづらさに目を向けたい。

そしてその生きづらさを解消できるよう互いに考えあっていきたい。


プロとして「障害者」に接する人(医療はもちろん、福祉や教育の領域で対峙する場合など)には、それぞれの「障害」について専門的かつ一般的な知識が必要でしょう。

それでも、一個人である「障害者」に接する上でもっとも大切なのは、専門的、一般的知識よりも、目の前の個人とその実態を理解する姿勢と見方だと思うのです。

「障害」を別のわかる単語に言い換えてわかったフリをするよりも、「障害者」を身近に感じて、接して、関わり合っていきたい。


「障害」は「障害」。

それ以上でも以下でも、それ以外の何でもない。

そして特別な「何か」でもない。

「障害」を、何か壁のように感じて違う世界の人のように扱ったり、特別に気を遣って腫れ物をさわるように関わったりするのは、「障害」そのものに何か意味を与えてしまっているからなのではないでしょうか。

「障害」はそれとして受け止めつつ、「みんなちがってみんないい」の「いい」に目を向けて、同じ地平に暮らす仲間であることには変わりないと言うことを自然に思える社会になったらいいな。


そういう意味では、「障害とは?」っていう質問自体がなくなることが、ボクにとって理想の社会なのかも。

バリアフリー社会と言われて久しいけれど、そして物理的なバリアーをなくす施策は増えてきたけど、日本ではまだまだ心理的なバリアーをなくそうという気運が高まってないなぁと思います。

かく言うボクだって、ボランティアで知的障害の人たちと関わったり、仕事で肢体不自由の児童・生徒と関わらなければこんな思いには至らなかったかも。

心理的バリアフリー社会を実現するために最も大切で、かつ第一歩となるのは、やっぱり直接ふれあうことなんだなって思います。



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子育てをする上でも、「みんなちがってみんないい」は宝物のような言葉ですね。