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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『マンダロリアン』

2020-09-07 | 海外ドラマ(ま)

 ディズニーが手掛けるストリーミングサービス“ディズニー+”のオリジナル作品として製作された『スター・ウォーズ』シリーズ初の実写TVドラマ。物語はエピソードⅥ『ジェダイの帰還』の後、新共和国が樹立するも未だ旧帝国軍残党が暗躍する動乱期が舞台だ。高潔な戦士の一族マンダロリアンの生き残りである主人公(劇中で名前は明かされず、マンドーと呼ばれる)は賞金稼ぎとして銀河をさすらっていた。ある日、彼は高額な報酬の裏仕事を引き受けるのだが…。

 マンダロリアンと聞いてテンションが上がる人は“にわか”じゃない『スターウォーズ』ファン。シリーズ屈指の人気脇役ボバ・フェットの種族であり、本作はかねてから噂されていた“ボバ・フェットを主人公にした宇宙西部劇”がベースになっていると思われる。ショーランナーを務めるジョン・ファヴローは『カウボーイ&エイリアン』の雪辱と言わんばかりに、『スター・ウォーズ』ユニバースで往年の西部劇へオマージュを捧げまくっている。マンドーがガトリングブラスターで大立ち回りを繰り広げる第1話はフランコ・ネロ主演の『続・荒野の用心棒』。辺境の農民たちを野党から守る第4話は『荒野の七人』(もとい『七人の侍』)。信じられないくらい愛らしいベイビー・ヨーダとの旅路は『子連れ狼』。度々フラッシュバックするマンドーの過去はひょっとするとセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』かも知れない。ファヴローはMCU第1作『アイアンマン』を監督し、近年は実写映画『ジャングル・ブック』や『ライオン・キング』を手掛けるなど、今やディズニー帝国の中核と言っていい存在感である。旧三部作へリスペクトを捧げ、『スカイウォーカーの夜明け』のようなトキシックファンダムにおもねず、かと言って子供向けにも寄り切らないバランス感覚が本作成功の要因だ。

 キャストも素晴らしい人選だ。主人公マンドー役は『ゲーム・オブ・スローンズ』のオベリン・マーテル役以後、大人気のペドロ・パスカルが素顔を見せない献身。賞金稼ぎギルドの長を『ロッキー』シリーズのアポロ役でおなじみカール・ウェザース、辺境の惑星でマンドーを助ける年老いた農夫エイリアンにニック・ノルティと西部劇にピッタリな強面が揃った(そういえばルドウィグ・ゴランソンのスコアはなぜかビル・コンティ風だ)。紅一点では総合格闘技から転向後、人気作に引っ張りだこのジーナ・カラーノが加わり、“ホンモノ”の技を見せてくれている。

 サプライズはドイツの名監督ヴェルナー・ヘルツォークの登場だ。こんな遥か彼方の銀河系で一体どうしたんだと驚いたが、別口のインタビューでは「新作映画の資金調達のため、悪魔に魂を売ること以外は全部やった」と言っていたので、多分コレの事だろう(笑)。
 そしてラスボスは“ガス”ことジャンカルロ・エスポジートである。遥か彼方の銀河系にもフライドチキン屋があったのか!『スター・ウォーズ』ですらTVシリーズをやる上で避けて通れないのが『ブレイキング・バッド』であり、今やハリウッド中がヴィンス・ギリガン組へオマージュを捧げていると言っても過言ではない。

また第4話監督は女優のブライス・ダラス・ハワードが手掛けており、父親譲りの職人技を見せていたのは嬉しい驚きだ。そして傭兵ドロイドIG-11のモーションキャプチャーと兼任する『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワイティティが最終回を担当し、彼らしいオフビートな笑いを提供している(笑えるが、彼で長編映画のSWを見たいとは思わない)。

 正直なところ、エミー賞で作品賞はじめ15部門にノミネートされる程の作品とは思わないが、旧三部作のモチーフがさりげなく散りばめられた“痒い所に手の届く”二次創作であり、SW銀河が広くて多様である事を改めて僕らに見せてくれる嬉しい1本だ。今後、ディズニーはエピソードⅢ『シスの復讐』後のオビワンを描いたスピンオフも予定しており、当面は長編映画を控えてこの路線を続けるらしい。フォースにバランスが戻ってきたぞ!


『マンダロリアン』19・米
監督 ジョン・ファヴロー、ブライス・ダラス・ハワード、タイカ・ワイティティ、他
出演 ペドロ・パスカル、カール・ウェザース、ジーナ・カラーノ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ジャンカルロ・エスポジート、タイカ・ワイティティ
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『マインドハンター シーズン1〜2』

2019-09-13 | 海外ドラマ(ま)

※このレビューは物語の結末に触れています※
鬼才デヴィッド・フィンチャー監督による最新TVシリーズ『マインドハンター』はPeakTVだからこそ到達しえた野心的ドラマだ。本作では1977年を舞台に、FBIによる行動心理学捜査の黎明期が描かれる。FBI捜査官のホールデンとテンチのコンビは全国に収監されている連続殺人鬼(後に劇中で“シリアルキラー”という言葉が確立される)にインタビューし、これを大学教授カー博士の協力の下、学術的に大系づけていく。プロファイリングによるシリアルキラーとの戦いを描いたサイコサスペンスを期待した人にはやや肩透かしに思えるかも知れないが、原作は元FBI捜査官ジョン・ダグラス、マーク・オルシェイカーによる『マインドハンター FBI連続殺人プロファイリング班』であり、いわば『羊たちの沈黙』はじめこれらジャンルのオリジンを辿るドラマなのだ。この人間心理の奥底に潜む“狂気”を探る物語で際立つのがフィンチャーの演出である。


【フィンチャー会話劇最新Ver.】
『マインドハンター』は隅々にまで徹底された画面設計が魅力の1つだ。シーズン1冒頭の夜間撮影はじめ、寒気を覚えるような美しい陰影、当時の時代風俗の再現…これらはデジタル撮影を使いこなすフィンチャーのトレードマークとも言えるだろう。
そして題材に反して、ここでは凄惨な殺害現場、再現が徹底して排除され、ただただ会話のみで構成されている。テーマやルックから『ゾディアック』を彷彿とする人が多いかも知れないが、このひたすら喋り、思考を促す構成は『ソーシャル・ネットワーク』の方が近いのではないか。フィンチャーはジェイソン・ヒルのひんやりとしたスコアや背景ノイズ、そして映画では馴染みの薄い俳優陣の名演を得て聴覚からも視聴者の生理をコントロールしていく。近年『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイク、『ハウス・オブ・カード』のロビン・ライト、そして本作のアナ・トーヴやハンナ・グロスら耳馴染みの良い“低音質女優”のキャスティングにこだわっている事からも会話劇におけるフィンチャーの耳の良さがわかる。本作でフィンチャーはシーズン1~2通して計7エピソードを監督。まさにフィンチャー会話劇の真骨頂と言っていいだろう。



【フィンチャー組の確立】
TVシリーズは各話担当の監督によって仕上がりにムラが出てしまう事がままあるが、『ハウス・オブ・カード』を経たフィンチャーはクオリティコントロールのレベルをさらに上げている。『ハウス・オブ・カード』を任せていたカール・フランクリンや『ジェシー・ジェームズの暗殺』で知られるアンドリュー・ドミニクら実力派監督を起用し、自らのスタイルを継承させ、ドラマのルックをフィンチャースタイルに統一させているのだ。
一方、黒人差別問題が主題となるシーズン2後半ではフランクリンに舵取りを任せ、彼の最高傑作とも呼べる仕上がりに導いている。当時の映像とコラージュされた第7話のパレードシーンの異様な熱量には圧倒された。フランクリンはまさにフィンチャー組の5番打者的存在であり、これを機に再評価されるべきだろう。


【未だ見ぬ猛者達~ハリウッドの層の厚さ】
PeakTVの先鋒ともなった『ハウス・オブ・カード』の時にも驚かされたが、ハリウッドには未だ見ぬ名優が数多くおり、本作にも新しい才能がひしめいている。『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグを彷彿とさせる主演ジョナサン・グロフや、マイケル・マン監督『ブラックハット』でも渋味の効いていたホルト・マッキャラニー、そしてキリリとした知性を感じさせるアナ・トーヴと主演3人はもちろん、各話に登場するシリアルキラー役の俳優達が圧巻だ。
シーズン2第5話では今夏『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で最注目されたチャールズ・マンソンが登場。同じくデイモン・ヘリマンが演じており(出演は本作が先)、比べ物にならない怪演を披露している。マンソン本人に似せたメイキャップは『ウィンストン・チャーチル』でアカデミー賞を受賞した辻和弘が担当しており、その再現性にも抜かりがない。


【This is America】
シーズン2後半はアトランタで発生した連続児童殺傷事件がメインとなる。捜査中の事件に主人公たちが本格的に関わるのは初めてで、ここではプロファイリング技術の未発達ぶりも露呈する。
何より障壁となるのは人種の壁だ。黒人だから殺されるのか、黒人だから殺されても事件化されないのか、黒人だから最重要容疑者なのか。さらには黒人コミュニティの中ですら格差による分断がある。ついに犯人は逮捕されるものの、19人もの殺害については立件できぬまま現在に至ってしまう。殺人の追憶から炙り出されるのは未だ何ら変わりなく混沌とするアメリカの姿だ。



そしてシーズン2では前作から小出しにされてきたBTKキラーとの戦いも本格的にスタートする。カンザス州で次々と殺人を繰り返し、緊縛(Bind)、拷問(Torture)、殺害(Killer)という手法から自らBTKと名乗ったこのシリアルキラーが逮捕されたのはここから約30年後の2005年だ。シーズン2のラストシーンを締め括るのが彼である事からも、このシリーズがBTK逮捕の2005年を着地点とし、犯罪捜査史を通してアメリカ史を俯瞰する大河ドラマを目指している事が見えてくる(先頃、全5シーズン構想である事も明らかにされた)。

人はなぜ狂気という深く、暗い奈落に魅せられるのだろうか。
劇中、アタマの固いお偉方もシリアルキラーの話となると前のめりで耳を傾ける。僕も中学生の頃、図書館で実録FBI捜査本を冷や汗を流しながら読み込んだ事を思い出した。
そして狂気へと“逸脱”する境界はどこにあるのか。シーズン1で異彩を放ったのが第8話の“くすぐり事件”だ。小学校の校長が子供達の素足をくすぐる、という一見それまでの猟奇殺人とは程度の異なる事件がやがて“聞く”という行為から逸脱し、“同一化”するホールデンへと連なり、そしてシーズン2で過失致死に問われるビルの息子のエピソードへとつながる。第5話、ビルの食卓に飛び交うハエに注目して欲しい。そこには既に死臭が立ち込めているのだ。



『マインドハンター』17、19・米
監督 デヴィッド・フィンチャー、カール・フランクリン、アンドリュー・ドミニク、他
出演 ジョナサン・グロフ、ホルト・マッキャラニー、アナ・トーヴ、キャメロン・ブリットン、ハンナ・グロス
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『マーベラス・ミセス・メイゼル シーズン2』

2018-12-24 | 海外ドラマ(ま)

※このレビューは物語の結末に触れています※

さぁ、新たなステージの始まりだ。
エイミー・シャーマン・パラディーノによる『マーベラス・ミセス・メイゼル』シーズン1はあらゆる賞を独占し、ついにはエミー賞で計8個のトロフィーを獲得する大成功を収めた。山の手の若奥様からお笑い芸人へ転身した主人公ミリアム・メイゼルことミッジよろしく、華々しいデビュー飾ったこの作品に誰もが首ったけになったのだ。賢明な製作Amazonはシーズン1のOAを待たずにシリーズの続行を発表、現時点でシーズン3までの製作が決定している。

【大大大快作のシーズン1】
舞台は1958年のニューヨーク。裕福な生活を送っていた主人公ミッジは夫の不倫によって全てを失ってしまう。傷心と泥酔からフラリと上がった舞台で身の上を話すと客席は大笑い。小屋付きのスージーに「アンタは売れる」と見初められたミッジは、スタンドアップコメディアンとして新たな人生のスタートを切る事となる。

まず目を引くのが50年代アメリカの時代風俗を再現したプロダクションデザインの緻密さだ。カラフルな衣装、煙草の紫煙と人息で満ちた猥雑なライブハウス、そして当時人気を博した実在の芸人達の登場…その間をめくるめく長回しでカメラが駆け抜け、僕達を当時のNYへと誘う。ミッジにお笑いの薫陶を授けるのが伝説的お笑い芸人レニー・ブルースという作劇の妙も見所だ(ルーク・カービーが芸人やくざとでも呼びたくなるニヒルな風情で演じていて、いい)。ブルースは政治や宗教、セックスなど当時では過激とされるネタを多数扱い、公然わいせつ罪で何度も逮捕された先駆的異端児。この笑いでタブーをぶち破る、という精神が本作の根幹にもなっている。

ミッジは良妻賢母に務めてきたが、夫が不貞を働いて出ていけば責任は彼女にあると両親からも責め立てられる。本作の描く女性差別は決して大昔の出来事ではない。男に並んでお笑いをやれば自分の容姿をイジらないとネタにはならず、常に男達から“女のくせに”とマウンティングされてしまうのだ。下ネタとdisり芸から始まった彼女が世の中の"非常識”を槍玉に挙げるシーズン1第7話はハイライトだ。「なぜ女は困っていないのに困ったふりを、わかっているのにわからないふりを、お腹が空いてないのに空いたふりをしなくちゃならないの?」演じるレイチェル・ブロズナハンは凄まじい早回しで才気煥発なミッジを好演。漫談シーンはカットを割っているのにまるでライブを見ているような緊迫感と高揚感だ。

シーズン1最終回、ついにミッジは「ミセス・メイゼル」という芸名を名乗り、芸人としてのアイデンティティを手に入れる。拍手喝采ガッツポーズ、大団円の幕切れだった。

【高みへと登る道】

シーズン2はちょっとテンポが異なる。自らの"声”を見つけたミッジがより高みへと登るため、その道の在り処を探っていく物語だ。ステージアクトの描写は抑えられ、彼女を囲む人々のドラマにも多くの時間が割かれていく。家庭に居場所を見い出せなくなったママはフランスへ出奔。パパは永久就職していた大学から無期休暇を勧められ、やりがいを失ってしまう。縁故入社していたジュールは会社を辞め、実家の洋裁業の立て直しを始める…といった具合に各々が今一度、自分の人生を見つめ直していくのだ。中盤のキャッツキル編はプロットがやや停滞気味、シーズン1のサクセスを期待していた身としてはもどかしくスージーよろしく「早く舞台に立ってくれ」と言いたくなってしまうが、これは後の物語のために必要な"前座”だ。

見逃してはならないのが第7話。ミッジはたまたま知り合った画家のアトリエへ赴く。そこには誰の目にも触れることなく、素晴らしい絵画が1枚だけ置かれている。画家もその昔、穏やかな家庭生活を営んでいたが、それを捨て、己の魂を削るような想いでこの生涯最高の傑作を描き上げたのだと言う。「そんな作品を誰かに売ることはできない」

そして第10話。レニー・ブルースに誘われてミッジはTV収録を見学する。レニーはピアノにあわせて歌う「女房は出ていったが、オレは幸せ」。その過激なパフォーマンスからまたしても警察に逮捕された彼は活動を制限され、困窮していた。この7年後の1966年、レニーは自宅を差し押さえられたその日にドラッグのオーバードーズでこの世を去る。寂し気に舞台を去る彼にはそんな悲惨な晩年の影が射していた。

 真の芸術とは大きな喪失から生まれる。ついに大舞台に立つ機会を得たミッジは両親も子供も、そしてジョールのことも全く考えずツアーに出ることを決断する。何の迷いもない。さらなる高みへと登るためには振り返っている暇はないのだ。そんな自身の気持ちを確かめるようにジョールと刹那の時を過ごすミッジ。過酷な道のりだが、彼女は既に足を踏み入れた。ドラマは第3シーズンで大きく動くことだろう。行け、ミッジ!



『マーベラス・ミセス・メイゼル シーズン2』18・米
監督 エイミー・シャーマン・パラディーノ、他
出演 レイチェル・ブロズナハン、アレックス・ボースタイン、マイケル・ゼゲン、トニー・シャルーブ、マリン・ヒンクル、ケヴィン・ポラック

 
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『マニアック』

2018-10-21 | 海外ドラマ(ま)



『マニアック』はマジメに見ていても、第5話くらいまで話がさっぱりわからない。毎話、始まる度に主演ジョナ・ヒルとエマ・ストーンの置かれている状況が何の説明もなく変わっているからだ。時には希少動物を盗もうとするカップル、時には謎の鍵を盗もうとする泥棒、時にはエルフで、時にはギャング、そして時には『ジ・アメリカンズ』も真っ青のスパイコンビになる。その度にドラマのスタイルもコロコロ変わる。ウェス・アンダーソン風だったり、スコセッシ風だったり、『ロード・オブ・ザ・リング』風にもなるし、さらにはゴダールの『はなればなれに』まで引用されて、長回しの凄まじい銃撃戦まで出てくる。いったい何だこりゃ?

それもムリはない。『マニアック』の舞台は人間の精神世界だからだ。ジョナ・ヒルとエマ・ストーンは製薬メーカーの治験に参加、実験の度に己の心の奥底へ冒険し、自身のトラウマと向き合う事になる(そういう話でいいんだよね!?)。心に障害を抱えた2人にとってそれは本当の幸せを追い求める旅だ。

『マニアック』は007監督にも内定したキャリー・ジョージ・フクナガによるハリウッドへのエントリーシートみたいな作品だ。もともと『ジェーン・エア』と『トゥルー・ディテクティブ』が同じフィルモグラフィに並ぶ万能型監督である。いずれのスタイルも単なる模倣に留まらず、ジャンルへの偏愛にあふれ、長編映画でも十分に通用する映画的ルックだ。本作にはこれまで見られなかったレトロフューチャーな美術セットや、ヘンテコ日本描写などオフビートな楽しさがあり、予想外の魅力も発揮。もちろん、007ファンには『トゥルー・ディテクティブ』でも話題を呼んだ長回し銃撃戦が安心材料となるだろう(とは言え、アクションがまるで似合わないエマ・ストーンにやらせてギャグとして撮っている)。

俳優への演出力もより磨きがかかっている。終始ボソボソ喋り、心配になってしまうくらいの大幅減量をしたジョナ・ヒルはこれまでにない物悲しさを見せており、名優への階段をまた一歩上がった印象だ。

 女優の趣味もいい。エマ・ストーンの妹役には『オザークへようこそ』での奮闘も記憶に新しいジュリア・ガーナーを起用。気鋭の若手グレース・ヴァン・パタンも印象的な使われ方をしている。そして今年は『アナイアレイション』『クレイジー・リッチ!』と連投したソノヤ・ミズノが美貌も身体能力も封印して演技に専念、新たな魅力を発揮してブレイクスルーだ。若手だけに偏重せず、大女優サリー・フィールドから思いがけないコメディ演技を引き出しているのもフクナガの演出力によるものだろう。

 正直、劇映画のフォーマットにまとめられた感もあるが、次世代スター監督候補ともいえるフクナガの実力を十二分に堪能できる1本として映画ファンは押さえておきたい作品だ。真の主役は監督フクナガその人である。



『マニアック』18・米
監督 キャリー・ジョージ・フクナガ
出演 ジョナ・ヒル、エマ・ストーン、ジャスティン・セロー、ソノヤ・ミズノ、ジュリア・ガーナー、サリー・フィールド、グレース・ヴァン・パタン
※Netflix独占配信

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『またの名をグレイス』

2017-11-24 | 海外ドラマ(ま)

時は1843年、カナダ。
グレイス・マークスは殺人罪で15年の服役中にあった。貧しいアイルランド系移民の彼女は奉公先で下男と共謀し、主人と女中頭を殺害したのだという。事件当時の記憶の多くが欠落しており、極刑を免れた彼女はその後、模範囚となって監長邸宅で家事手伝いに従事していた。
世間にはグレイスの冤罪を訴える気運が高まり、精神分析を行うべくアメリカからジョーダン医師がやって来る。

 実在の事件に材を取った同名小説の映像化である本作はジョーダン医師とグレイスの面談を軸に回想形式で進行していく。同時期に配信されたNetlix製作
『マインドハンター』よろしく殺人犯の心理に潜り込んでいく構成だが、同時にグレイスのモノローグも挿入される。シニカルで厭世観に満ちた彼女の語り口からは真実そのままを告げていない事が伺い知れる。果たしてグレイスはおそるべき妖婦なのか、それとも時代の犠牲者なのか。


ドラマはグレイスを演じるサラ・ガドンのワンマンショーだ。
回想シーンの世間知らずな少女時代(おそらく15歳くらいの設定)と、15年後の謎めいた殺人犯を演じ分ける緻密なパフォーマンスは2017年最高の演技と言っていい。時に乙女、時に妖婦とあらゆる表情を使い分け、僕たちは幻惑され、慄く。同郷カナダの鬼才デヴィッド・クローネンバーグ(本作ではゲスト出演)作品で注目を浴びた彼女は元来、妖気に満ちた役柄は持ち役であり、本作ではそこに厭世的なペシミズムをにじませて、原作の持つ男性性への批評精神を体現している。本作最大の見所はサラ・ガドンであり、ついに代表作を手に入れたのだ。

グレイスに魅せられた男たちは運命を狂わせていく。
ある者は殺人に手を染め、ある者は悔恨の念を背負い、そしてジョーダンは日ごと彼女への欲情を募らせていく。謎めいた女に男達が翻弄されていく所謂“ファムファタル”ものだが、物語は事件の真相究明を主眼にはしていない。

原作は今年のエミー賞を席巻した『侍女の物語』のマーガレット・アトウッド。
フェミニズム文学の巨匠が描き出すのは謎めいた美女に“燃える(萌える?)”男性性への批評だ。グレイスは気丈さや可愛らしさ、儚さ、妖しさといったあらゆる表情を相手の求めるように使い分ける。労働的にも性的にも搾取され続けてきたグレイスは男が女へ求める都合の良い願望を満たす事で男尊女卑の時代を乗り切ってきたのだ。

だが、これは過ぎ去った過去の出来事だろうか?
この間、僕は男性がある女性を「儚げな所がイイ」と評している場面に出くわした。だが、僕が知る限り彼女はとても芯の通った人だし、力強い人だ。“女性は弱く、庇護すべき存在”という一方的な思い込み、決めつけの男性優位主義的な思想は今も全く変わっていないのかも知れない。

終幕、グレイスが見せる微笑はいったい何を意味するのか。
 誰かの欲望のために自分を偽る事でしか居場所を得られなかった人生の非情。グレイスの青い瞳は時を越え、今を生きる僕たちを見据えている。


『またの名をグレイス』
監督 メアリー・ハロン
出演 サラ・ガドン、アンナ・パキン
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