長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『窓際のスパイ』

2022-05-13 | 海外ドラマ(ま)

 ストリーミングサービスでは後発となるAppleTV+がいよいよ攻勢に転じた。この春は『セヴェランス』『パチンコ』『We Crashed』と注目作を相次いでリリース。量で優る他社に対して質で勝負し、話題を席巻している。そのいずれもがビンジウォッチには適さない、やや重量級の作品である中、“箸休め”とも言える娯楽サスペンス『窓際のスパイ』をリリースする所に確かな戦略性と充実がある。

 MI-5の工作員リバーは訓練中の大失敗により、通称“泥沼の家”と呼ばれる別館業務に配置換えされる。いわゆる“窓際”であり、同僚達も様々な事情からここへやってきた落ちこぼれスパイばかりだ。そんな彼ら“Slow Horses”を束ねるのが、やる気のない中間管理職ジャクソン・ラムである。かつて『裏切りのサーカス』で伝説的スパイ、ジョージ・スマイリーを演じたゲイリー・オールドマンが、ここではぐうたらで放屁ばかりし、圧倒的口の悪さで部下をバカにし続けるラムを嬉々として演じているのが可笑しい。これはコメディか?と戸惑っていると、極右メディアの記者が登場し、事態は思わぬ方向へと動き出す。

 スパイものの悪役といえばロシアか中東が相場だったが、ここでは移民排斥を掲げる極右集団が設定されており、これが現在のヨーロッパのリアルな肌感覚なのだろう。本作のリリースと時を同じくしたフランス大統領選挙では極右ルペン候補が現職マクロン大統領に肉薄し、ウクライナ情勢も相まってあわやという空気が流れた。汚名返上と言わんばかりに独断で事件を捜査する“Slow Horses”と、極右集団に誘拐されたイスラム系移民2世の青年が並行し、ユーモラスでいて、しかし笑えない極右集団の愚かさと恐ろしさも時間をかけて描かれている(“愛国心”に対する皮肉が効いている)。

 とは言え、PeakTVにおいてハイコンテクストにはならない“軽さ”が本作の魅力である。毎話クリフハンガーで終わって引きも抜群。毎週決まった曜日にTVドラマを見る楽しさを久々に味わわせてくれた。そしてゲイリー・オールドマンはじめ、ジャック・ロウデン、オリヴィア・クック、クリスティン・スコット・トーマス、サスキア・リーヴスら演技巧者のアンサンブルは本作最大の宝である。シーズン1最終回にはシーズン2の予告編も挿入されており、案の定、どうやら敵はロシアになる様子だ。

『窓際のスパイ』22・英、米
監督 ジェームズ・ホーズ
出演 ゲイリー・オールドマン、ジャック・ロウデン、クリスティン・スコット・トーマス、サスキア・リーヴス、オリヴィア・クック
※AppleTV+で独占配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『まさに人生は』

2021-11-21 | 海外ドラマ(ま)

 ジュリー・デルピーが『ビフォア・ミッドナイト』以来の“ビフォアシリーズ”最新作に難色を示し、企画が頓挫したという報を聞いた時、僕は心底残念に思った。しかし彼女が初めてショーランナーを務めたNetflixのTVシリーズ『まさに人生は』を見ると納得だ。現在51歳、今の彼女の人生にロマンスや男性は存在していない。もしかすると“ビフォアシリーズ”の新作はもう2度とないとすら思えてしまった。

 舞台はロサンゼルス。4人の女性の“中年の危機”が描かれる。仕事と子育てに追われ、自身のアイデンティティに迷うがただ1つ確実なのは男性が不要であることだ。いくつになっても自分勝手で子供じみた男たちに費やす時間はない。デルピー扮するジュスティーヌは夫に対してほとんど嫌悪のようなものすら覚えている。激しいロマンスで結ばれ、紆余曲折を得ながらパートナーと共に人生を模索…そんな“ビフォアシリーズ”のナラティヴは今の彼女にはないのだ。

 そして今のデルピーは女優ではなく監督、脚本家である事に軸足を置いている。エリザベス・シューら3女優に見せ場を譲っており、自身は気取りなく等身大のオバチャンっぷりを披露。昔の作品しか見ていない人には想像もつかないだろうが、2007年の監督デビュー作『パリ、恋人たちの2日間』以来、下ネタギャグ満載のあけっぴろげさが持ちネタなのだ。

 4人の女性の20年来の友情と連帯にほとんど焦点が当たらず、彼女らの人生が平行線のまま全12話に渡って語られるシーズン構成は冗長で散漫な印象は拭えない。しかしシーズン終幕、アメリカにCovid-19が拡がり始める。いよいよ映画やドラマがコロナショックを取り入れ、ひょっとすると中年の危機にある彼女たちの心象として描かれるのでは…と予感させる終わり方に俄然、シーズン2への興味が募った。

『まさに人生は』21・米、仏
監督 ジュリー・デルピー
出演 ジュリー・デルピー、エリザベス・シュー、サラ・ジョーンズ、アレクシア・ランドー、マチュー・ドゥミ、ジョヴァンニ・リビシ
※Netflixで独占配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『真夜中のミサ』

2021-10-17 | 海外ドラマ(ま)
※このレビューは物語の結末に触れています※

 TVシリーズ見ずして俳優や監督のキャリアを語れなくなって久しいが、映画館のスクリーンにかかることなくその作家性を進化させ続けているのがマイク・フラナガンだ。2019年に『シャイニング』の続編『ドクター・スリープ』を監督するも興行、批評共に期待された成果を上げられず不発。しかし2018年にNetflixでTVシリーズ『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』という傑作をモノにしており、そして再びNetflixからリリースされた本作『真夜中のミサ』である。信仰と赦しを描く全7話の怪奇譚からは監督、脚本を手掛けたフラナガンが語るべき物語を持ち、そして物語る力を持った稀有な才能の作家であることがわかる。

 主人公ライリーが飲酒運転で人を殺してしまった場面から物語は始まる。ライリーの目線の先には半身にガラスの突き刺さった女性がこちらを見据えている。彼女は既に人ならざる者であり、ライリーはこの後も彼女を何度も幻視する。『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』でも用いられた酸化銅のようにくすんだグリーンの映像はフラナガン作品のトレードマークだ。しかし『真夜中のミサ』で生者と死者を繋ぐこの色は一箇所でしか使われない。デヴィッド・フィンチャー監督『セブン』のポスターが貼られた実家の部屋だけだ


 『真夜中のミサ』はこれまでのフラナガン作品とまったく様子が異なる。恐怖描写は控え目で、近年ストリーミングTVドラマが放映時間という枠組みから解放され、ナラティヴに合わせてランニングタイムを自在に変えてきたのに対し、全てのエピソードが1時間を超えている。その歩みは遅く、しかし着実に僕たちを未だ見ぬ境地へと導き、ツイストは衝撃的でありながら演出は洗練の極みだ。

 ライリーの故郷は本土から50km離れた離島の小さな集落で、プルーイット神父の司る教会が村民たちの拠り所だった。高齢の神父は人生の終幕にイスラエルを目指した巡礼に出ており、代わりにポールという神父がやってくる。熱心なポール神父はライリーのために断酒ミーティングを催すが、自身の罪を許すことのできないライリーは詰め寄る「人が無情な傍観者に成り下がり、他人の苦悩に無関心な唯一の原因は、不幸は神の贈り物という考え方のせいだ」。

 『真夜中のミサ』では信仰に対する疑念とも言うべき問いかけが何度も繰り返される。これまでのフラナガン作品にはない語りの迫力と、実感のこもった限界集落の光景にこれが彼にとってパーソナルな物語である事が伺い知れるが、公開されたプロダクションノートには想像以上に自伝的内容であることが述懐されており、驚かされた。


 フラナガンは幼少期、沿岸警備隊の家族が暮らす離島で育ち、そこで神父の侍者として大学進学までの時期を過ごしたのだという。島を離れた後は宗教について勉学を深め、そこで彼は多くの宗教の違いと多くの類似性に気付き、そして原理主義の狂信に対して怒りと恐れを抱いていった。2001年の同時多発テロ、その後のイスラム教に対する排斥が彼の宗教に対する不信をより強めたことは想像に難くない。第6話で離島ただ一人の敬虔なイスラム教徒である保安官に託されたモノローグにはフラナガンの信仰に対する不信が色濃く出ている。そんな宗教的バックボーンが『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』はじめとする独自の死生観を形成していったのだろう。

 そしてフラナガン自身もアルコール中毒に苦しんでいた。彼はいつか他者を傷つけてしまうのではと恐れ、それがライリーという分身を生み出す事となる。しかし「彼が主人公でないことに気づくまで時間がかかってしまった」とフラナガンは述懐している。ライリーと結ばれるエリンを演じたケイト・シーゲルがフラナガンの実生活のパートナーであることがわかれば、第5話の主人公交代劇が必然であることがわかるだろう。長らく企画されてきた『真夜中のミサ』がようやく完成したのはフラナガンがアルコール中毒というエゴを超え、ケイト・シーゲルという他者の介在を得たからに他ならない。


 神父は信仰と引き換えに愛する人との人生を捨てたことを悔やみ、狂信に身を委ねてしまう。社会から隔絶され、忘れ去られる運命にあるクロケット島の信者達もまたそんな神父に付き従い、やがて狂信は第6話で地獄絵図と化す。近年相次ぐ“ポスト福音主義”作品に共通するのが他者の不在と信仰の独善だ。『セイント・モード』では少女が世界を呪いながら神の愛を渇望し、『ゼム』では敬虔な神父が荒野で神の使いと思しき少年に出会い、内なる白人至上主義を発露させていく。『真夜中のミサ』でもやはり神父は荒野で出会った“それ”を天使と思い込むが、人の生き血を吸い、陽の光を避けるその姿は悪魔と言う他ない。神に語りかけたつもりが悪魔と対話していたのだ。


 フラナガンはケイト・シーゲルに美しいダイアログを託す。人は死んだら、どうなるのか。それは先のプロダクションノートの結びとも重なる。“宗教とは、私たちの心の中にある2つの大きな疑問、「どうやって生きたらいいのか」「死んだらどうなるのか」に答えようとする手段だと思う。2つ目の疑問の答えはわからないが(中略)私の知る限り2つ目の疑問は、1つ目の疑問にどのように影響するかという点でのみ重要だ”。そうしてクロケット島の人々は朝陽と共に隣人の存在を思い出し、賛美歌を唄うのである。

 『真夜中のミサ』は今年最高レベルの傑作だ。物語と作家に尽くした“フラナガン組”キャスト陣の誠実な演技アンサンブル、そして最終回で信じ難いピークに到達するマイケル・フィモナリのカメラは2021年最高峰の1つである。マイク・フラナガンという偉大な才能の開花をNetflixの膨大なライブラリーに埋めてはならない。


『真夜中のミサ』21・米
監督 マイク・フラナガン
出演 ケイト・シーゲル、ザック・ギルフォード、ハミッシュ・リンクレイター、ラフル・コーリ、サマンサ・スローヤン、アレックス・エッソー、アナベス・ギッシュ、ヘンリー・トーマス、ロバート・ロングストリート
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『マスター・オブ・ゼロ シーズン1〜3』

2021-08-06 | 海外ドラマ(ま)

 クロエ・ジャオ監督『ノマドランド』のオスカー受賞は、いよいよ"アメリカ映画”が次世代へと継承される象徴的なモーメントだった。『ノマドランド』はかつてのジョン・フォードやテレンス・マリックらが描いてきたアメリカの荒野と魂についての映像詩であり、これを中国系移民のジャオが創り上げた事に現在のアメリカ映画の多様性がある。

 インド系移民2世のアジズ・アンサリが主演、脚本、監督を務める『マスター・オブ・ゼロ』も"アメリカ映画”という言葉の定義を更新する作品だ。そもそも本作は1話完結のTVシリーズだが、他のNetflix作品同様、映画級のルックを持っており(カメラが素晴らしい)、シーズン1ではウディ・アレン映画が、シーズン2ではイタリア映画が参照され、シーズン3ではなんとベルイマン映画に接続する。その筆致は単なる模倣ではなく、深い造詣と愛着、それらを再現できる卓越されたセンスに裏打ちされたものだ。

【シーズン1】
 シーズン1ではNYに暮らすインド系アメリカ人デフの日常が描かれていく。30代で独身、自身のルーツにはさほど関心がなく、信仰心もゼロ。ちょっとしたテレビコマーシャルに出たことがあり、今はエキストラもどきの端役で食いつなぐ俳優だ。

 アンサリの話術レンジは実に幅広く、第4話でTVが広めたインド系アメリカ人のステレオタイプに対する鋭い考察を行ったかと思えば、第5話は人妻との不倫がもたらす艶笑劇(ゲストはまさかのクレア・デインズ)、そして第6話はウディ・アレンを思わせる都会派ラブコメディと自由自在である。脚本・主演という立ち位置、シーズン間の製作スパンやマイノリティとして生きることについての考察はドナルド・グローヴァー『アトランタ』のフィーリングにも近く、とりわけ第4話の「インド系とアジア系は差別があっても問題にならない」という台詞にはドキリとさせられてしまった(ここに笑えるオチを持ってくるところまで実に鮮やか)。

 またアンサリはスケッチの達人でもあり、ユーモアセンスがピッタリなデフと恋人レイチェルの楽しい旅行に、ちょっとしたミスからケチがつく第5話のバツの悪さには身を捩ってしまった。このスケッチ技は架空のニコラス・ケイジ新作B級映画(『マスター・オブ・ゼロ』で言及されるのはなぜかどれもB級タイトルばかり)で人々が繋がっていくシーズン2第6話『ニューヨーク、アイラブユー』、そして珠玉の傑作シーズン2第9話『サンクスギビング』へと結実していく。

【シーズン2】

 シーズン2は恋人レイチェルと別れたデフが、イタリアでパスタ修行を終える所から始まる。第1話は全編モノクロ、かつ全編イタリア語というチャレンジングな構成で、アンサリの語学力はなるほどこれなら東京で日本語のライブができるのも納得だ。

 このイタリア滞在中にデフはフランチェスカと出会う。ユーモアセンスもバッチリで、おまけに道を歩けば誰もが振り向くようなイタリア美人。もちろん、長年付き合っている恋人がいて、あくまでデフは"愉快な来訪者”に過ぎない。そんな彼女が第5話ではNYを訪れ、デフは彼女をパーティーへと連れていく。NYという街がそうさせたのか、2人の間にはイタリアではなかったロマンスが芽生え始める。しかし、数カ月ぶりに再会したフランチェスカは恋人との婚約を決めていた。まだ何ものでもない2人の間に何かが起ころうとする刹那を、アンサリはロングショットで見つめていく。デフは想いを打ち明けるべきかと逡巡し、やがてタクシーは自宅へと辿り着く。彼を意気地のない男と笑うことはできない。人はそうとは気づかず、人生における決定的瞬間を逃してしまうものなのだ。

【シーズン3 愛のモーメント】
 シーズン2から4年、2021年にリリースされたシーズン3はまるで様子が異なる。主人公はデフの親友デニースとその妻アリシア。画面はほぼ1:1の息苦しい正方形で、舞台は郊外の静かな田園地帯だ。デフは顔見世程度に登場するが、かつての陽気さはまるでない。シーズン2の最後、看板番組の共演者によるセクハラが発覚し、デフ自身もキャンセルされてしまったのだ。

 これは奇しくもアンサリ自身の姿と重なる。2018年、アンサリはゴシップ紙を通じて女性から性的不正行為を告発され、それは時の#Me tooにも呼応して彼もまたキャンセルされてしまう。アンサリはシーズン3をこれまでと全く異なる作品に仕上げた理由を「いつまでも30歳の気楽な独身ライフを描いてはいられなかった」と語っている。ナルシズムを捨て(同世代の作家として、僕はシーズン2の終幕はいささか過ぎていたと思う)、デニース役リナ・ウェイスの脚本を得たアンサリは小津やシャンタル・アケルマン、前述のベルイマンへオマージュを捧げておりそのレンジに驚かされる。だが、真に重要なのはスケッチ作家として成熟を見せる第4話だ。

 デニースと別れ、不妊治療に励むアリシアの1年を追ったこのエピソードはシーズン3のスピリットだ。過酷な治療に打ちひしがれ、時に泣き、しかし屈託がなく、「誰かに自分の人生を託したくない」と言うアリシアのなんと愛おしいことか。『レディ・マクベス』『このサイテーな世界の終わり』を経て巧者ぶりに磨きをかけたナオミ・アッキーがアリシアに血肉を与え、終生の代表作が誕生した。現実の厳しさを前に「あたしはビッチよ」と自身を鼓舞する姿は困難に直面する全ての人を奮い立たせるハズだ。

 シーズン3はシーズン2第9話『サンクスギビング』からの達成でもある。デフとデニースの幼少期から20年間に渡る感謝祭の様子を定点観測したこのエピソードでは、デニースが自身のアイデンティティに目覚め、家族にカミングアウトするまでの葛藤と、母親が受け入れていくまでの様子がユーモラスに描かれている。自身もレズビアンであるリナ・ウェイスの脚本と巧みなカメラワークで見せるアンサリの演出は、愉快な食卓の会話から人間の距離感が変遷していく様を見事に捉えている。デニースの母親役アンジェラ・バセットの気品と気丈が作品の重心になっている事は言うまでもないだろう。

 シーズン3は全話アンサリとリナ・ウェイスの共同脚本であり、「アフリカ系アメリカ人のレズビアン夫婦をベルイマンのように描く」という全く新しい物語を獲得する事に成功している。こんな文脈がこれまでのアメリカ映画になかった事はもちろん、成功と挫折、そして加齢を経たアンサリが今後、さながらリチャード・リンクレイターのように時間とキャラクターの変遷を描いていくのではないか。そしてこの3シーズンを見れば、アンサリがフェミニストである事は自明である。83年生まれの彼が40代に入って何を描くのか。同世代としてとても楽しみだ。


『マスター・オブ・ゼロ』15〜21・米
監督・出演 アジズ・アンサリ
出演 リナ・ウェイス、ノエル・ウェイズ、エリック・ウェアハイム、ケルヴィン・ユー、アレッサンドラ・マストロナルディ、ナオミ・アッキー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『マンダロリアン シーズン2』

2021-01-22 | 海外ドラマ(ま)
※このレビューは物語の展開に触れています※

 2019年の終わり、シリーズのグランドフィナーレと銘打たれた『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を見た時、僕はこんなツイートをしている。


 僕の映画原体験は『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』だ。それ以来30数年間、折にふれて見続けてきた『スター・ウォーズ』サーガの終焉として『スカイウォーカーの夜明け』はあまりに寂しい仕上がりで、失望と言っても過言ではなかった。だからルーカスフィルムを買収したディズニーが、自社ストリーミングサービス“ディズニープラス”で『スター・ウォーズ』をTVシリーズ化すると聞いた時、奴らは永遠にコンテンツをむしゃぶり尽くすのだと嫌悪感すら覚えた。
 そうした理由から『マンダロリアン』は世間から出遅れて見ることになった。そしてシーズン1を見終えてもまだ、半信半疑で距離を置いた。『スター・ウォーズ』が僕をあの時のように心躍らせてくれることはもうないだろう、と。

 『マンダロリアン』シーズン2はトキシックファンダムという暗黒面から解放され、『スター・ウォーズ』シリーズにバランスをもたらした傑作だ。回顧厨みたいで言いたくなかったが、これこそオレが見たかった『スター・ウォーズ』だよ!!

 第4話までは前シーズン同様、西部劇へオマージュを捧げた1話完結のライトな構成だ。マンドーはベイビー・ヨーダをジェダイの元へ帰すべく、再び銀河を渡り歩く。その途中、訪れたタトゥイーンでは巨大ドラゴン退治の報酬として古びたマンダロリアン装甲を譲り受ける。ん?この色合い、どこかで見たことがあるぞ?そしてその様子を遠くから見つめる1人の男の姿…。

 この男の正体は『スター・ウォーズ』銀河史上最強の人気脇役ボバ・フェット。『ジェダイの帰還』でジェットパックの暴発によりサルラックの穴に呑み込まれた彼が、37年ぶりの大復活を遂げる。しかも銀河最強の賞金稼ぎの名に恥じない暴れっぷり。ホントに強かったのか!!『クローンの攻撃』でジャンゴ・フェットを演じたテムエラ・モリソンがクローンであるボバを“再演”し、年齢を重ねた凄みを感じさせて大迫力だ。もちろんボバの愛機スレーヴⅠも登場。シリーズのフラッグシップとして活躍する姿に「オレは今、いったい何を見ているんだ」と毎話、感動がこみ上げてしまった。

 第5話でマンドー達はついにジェダイの生き残りアソーカ・タノと出会う。映画しか見ていないファンには「アンタ誰?」だが、彼女はアニメ『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』に登場し、クローン戦争時代(EP2~3)にアナキン・スカイウォーカーの弟子でもあった重要人物だ。現ルーカスフィルムのキーパーソンであり、本シリーズのショーランナーを務めるデイヴ・フィローニが自ら演出を担当したこの回は、『スター・ウォーズ』のオリジンである黒澤時代劇へのオマージュが満載。二刀流ライトセーバーのアソーカと、ベスカー製スピアを持ったヴィランとの戦いはシリーズ屈指のベストファイトとなった。

 この回では同時にマンドーVS用心棒(え、マイケル・ビーンだ!)のメキシカンスタンドオフも同時進行する。そう、『スター・ウォーズ』は時代劇、西部劇、SFなどあらゆる娯楽映画にオマージュを捧げ、ベトナム戦争やイラク戦争、ジョージ・ルーカスの親子問題を絡めたハイコンテクストな作品であった。第7話ではなんと『恐怖の報酬』の引用まで登場。そしてグスタボ・フリングもといモフ・ギデオン(ジャンカルロ・エスポジート)は遥か彼方の銀河系でも怪しげなラボを作っており、マンドーはついにベスカースピアで大立ち回りを繰り広げる。鬼に金棒、ペドロ・パスカルに槍!『マンダロリアン』は2020年代のTVシリーズらしく『ブレイキング・バッド』や『ゲーム・オブ・スローンズ』らニュースタンダードにもオマージュを捧げ、新たな時代のポップカルチャーとして『スター・ウォーズ』を再創造しているのだ。おぉ、フォースにバランスがもたらされているではないか!

  そしてシーズンフィナーレでは『スター・ウォーズ』史を揺るがす重大事件が発生する。『マンダロリアン』はもはやスピンオフではなく、さらに拡張するスター・ウォーズ銀河の重要な結節点だ。ひょっとすると今後、続々と製作されるTVシリーズ群がアベンジャーズよろしくアッセンブルするかもしれない。だが、まずはマンドーとベイビー・ヨーダの今後の物語に想いを馳せよう。サプライズ演出よりも彼ら2人の友情、親子愛にこそフォーカスしたエンディングに涙がこぼれた。『マンダロリアン』には『スター・ウォーズ』に必要なホンモノのフォースがある。


『マンダロリアン シーズン2』20・米
監督 ジョン・ファヴロー、ブライス・ダラス・ハワード、カール・ウェザース、ペイトン・リード、デイヴ・フィローニ
出演 ペドロ・パスカル、ジーナ・カラーノ、カール・ウェザース、ジャンカルロ・エスポジート、テムエラ・モリソン、ティモシー・オリファント、ロザリオ・ドーソン、マイケル・ビーン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする