長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ガールフッド』

2022-10-29 | 映画レビュー(か)

 『燃ゆる女の肖像』でフランスを代表する映画作家の1人となったセリーヌ・シアマ監督の第3作は、今でこそ見直されるべき所の多い聡明な1本だ。

 巻頭から物語世界を構築するシアマの“耳の良さ”を堪能することができる。主人公マリエメはアメフト部に所属する中学生。彼女らの溌剌とした部活動が終わり、お喋りに花が咲く下校道はやがて自宅のある公営団地に差し掛かると途端に静かになる。敷地には行き場のない少年たちがたむろし、マリエメらにしつこく声をかけ絡む。ここは移民にルーツを持つ者達が多く住む犯罪多発地域で、後にラ・ジリが『レ・ミゼラブル』で、ロマン・ガヴラスが『アテナ』の舞台とするフランス格差社会の象徴ともいうべき場所だ。マリエメの家族に父親の姿はなく、母は一昼夜働き続け、引きこもりの兄が暴力を振るう。年の離れた2人の妹にとってマリエメは母親同然の存在だ。マリエメは成績の不振から高校進学の道を閉ざされ、それをきっかけに不良グループと遊び始めるのだが…。

 2018年の大規模デモ“イエローベスト運動”に先駆けること4年、移民にルーツを持つ者達の鬱屈と女性性への抑圧を描いた本作はシアマ流のブラックムービーでもあり、後の男性監督達がアクション映画として彼らの怒りを描いたのに対し、少女の性的アイデンティティの目覚めを込めたのが彼女ならではだ。マリエメは男たちとは違い、火を放つことなく負のスパイラルと化した団地から抜け出し、決して振り返る事もない。これはかつてカソヴィッツが『憎しみ』で始め、『レ・ミゼラブル』『アテナ』に至るまで見過ごされてきた視点ではないだろうか。『秘密の森の、その向こう』や脚本作『ぼくの名前はズッキーニ』など、常に子供だけが持ち得る視線の高さに希望と可能性を見出すのがシアマである。


『ガールフッド』14・仏
監督 セリーヌ・シアマ
出演 カリジャ・トゥーレ、アサ・シラ、リンジー・カラモー、マリエトゥ・トゥーレ、イドリッサ・ディアパテ
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『カモン カモン』

2022-04-22 | 映画レビュー(か)

 ケネス・ブラナーの『ベルファスト』、リチャード・リンクレイターの『アポロ 10号1/2 宇宙時代のアドベンチャー』など近年、映画作家による半自伝的エッセイ映画が相次ぐ中、マイク・ミルズ監督は一貫して人生の折々に映画をしたためてきた“エッセイ映画作家”である。父と向き合った『人生はビギナーズ』、母をはじめ人生に重大な影響を与えた女性たちへのラブレター『20センチュリー・ウーマン』、そして本作『カモン カモン』は自身の子供をお風呂に入れている最中に着想を得たという。全編に渡って実際に取材した子供たちのインタビューが散りばめられ、僕たちは時に意外性に満ち、時にこの世の真実を衝く彼らの声に耳を澄ませるのである。

 主人公ジョニーはアメリカ各地を回り、子供たちの実直な声を拾い集めるジャーナリスト。ある日、やや疎遠だった妹から数日間、子供を預かってほしいと頼まれる。妹の夫は音楽家で、単身赴任先でメンタルヘルスに不調を来たしていた。そうしてジョニーは9歳の甥っ子ジェシーと共同生活を始めることになる。
 ジョニー役ホアキン・フェニックスと、ジェシー役ウディ・ノーマンの自然主義的な演技に驚かされるハズだ。とりわけノーマンは屈託のない9歳の少年そのもので、全く演出が入ってないようにすら見える。実生活でも人の親となったホアキンはそんなノーマンの声に真摯に向き合っており、その表情はこれまでになく優しい。2人のやり取りは叔父と甥っ子(疑似父子でもある)そのものだ。

 子供との生活は大人にとっても成長の場である。大人たちが憂い、手を差し伸べるまでもなく、ジェシーは言う。「未来は考えもしないようなことが起きる。だから先へ進むしかない。C'MON,C'MON,C'MON,C'MON…」。それはホアキンのキャリアハイとなった『ジョーカー』が、この世の最下層で絶望する者たちに蜂起せよと謳った事に対を成し、未来を生きる子供たちの生命力と可能性を賛歌してホアキン自身をも次のステージへと導いている。そんな2人の交流を撮らえたロビー・ライアン(『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞ノミネート)のカメラが美しく、モノクロームの街並みはエッセイ映画の“挿絵”としても格別だ。

 僕もジェシーと同じ9才の時、父が精神を病み、以後、入退院を繰り返して家を空けるようになった。周りには駆けつけてくれるような親戚もなく、僕は弟2人を前にして早くも大人の責任を求められたと記憶している。そう思うとジェシーもまた子供でいられる時間はそう長くないのかも知れない。そして母の苦労は計り知れず、本作では母親役ギャビー・ホフマン(とてもいい顔の女優になった)に多くの時間をかけられているのが好もしかった。父親役は誰かと思えば『ゴッドレス』で弱視の保安官を演じていた名優スクート・マクネイリーである。

 いや、ひょっとすると劇中のジョニーが言うように、僕はあの頃の事を今やすっかり忘れているのかも知れない。そういえば父方の祖母が来てくれたのではないか。祖母は病院に父を見舞った後、「あんな可哀想なことになってしまって」と僕の前でひっそり泣いた。後にも先にも祖母の涙を見たのはその時だけだった。マイク・ミルズの筆致はそんな僕の個人史をも引き寄せ、そして人の親にもならず40歳を迎えてしまった事に、ちょっぴり寂しさも抱かせるのである。


『カモン カモン』21・米
監督 マイク・ミルズ
出演 ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン、スクート・マクネイリー
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『家族を想うとき』

2021-11-25 | 映画レビュー(か)

 2度目のパルムドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』に続くケン・ローチ監督の2019年作。貧困の当事者であると同時に、新自由主義社会において搾取する側にも立っていることを痛感させられる強烈な1本だ。

 父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立しようと一念発起。訪問介護ヘルパーを務める妻アビーの乗用車を売って宅配用のバンを購入する。フランチャイズになれば頑張りに応じて収入は増えるし、家族と過ごすための時間もフレキシブルに作ることができる…そんな想いからの決断だったが、考えが甘かった。本社から課せられる過剰なノルマをこなすためには労基もへったくれもない働き方をしなくてはならず、違反をすれば厳しい懲罰が待っている。リッキーは完全にワーキングプアへと追いやられてしまう。

 一方のアビーもまた同様に職務は過酷の度合いを増していく。移動用の車を失ったことで現場間の移動は全てバスとなり、勤務時間は逼迫。食事もままならぬばかりか、利用者からの信頼が厚いばかりに時間外の無報酬労働も生じてしまう。映画の前半、ローチはタスクに追われ続ける2人の日々をひたすら描写し、見ている僕らも焦燥感が募ってしまう。そんな2人の不在により、思春期の子供達も心身のバランスを崩し…。

 これはより安く、より早く、より便利さを求めてき僕たち消費者の責任でもある。日本でもコンビニの過剰労働が社会問題となったことは記憶に新しい。果たして24時間お店が開いている必要なんてあるのか?より速く、顧客の都合に応じていつでも荷物を配達する必要なんてあるのか?労働のために人生を奪われた一家の連絡手段が原題でもある“Sorry We Missed You”=不在連絡票というのはあまりに皮肉だ。ローチが市井の人々の善良さに慈しみと敬意を込めて描くだけに、仲睦まじい一家の離散は胸を突く。

 本作公開の翌年、コロナショックによってコンビニ、ファミレス等の24時間営業が見直され、深夜帯まで運行していた首都圏鉄道のダイヤも繰り上げられる等、変化も見られる昨今だが、一方で社会生活の維持に欠かせないエッセンシャルワーカーの待遇はワクチン摂取1つとっても遅れており、コロナショックと貧困問題を切り離すことはできない。そして宅配需要の増加はアマゾンの巨大倉庫で低賃金、過重労働で働く人々を増やし続けている。僕の生活圏でも数年前にはなかったアマゾンの倉庫が建ち、求人募集を目にすることが増えた。終幕、怪我で満身創痍ながらそれでも家族の制止を振り切って出社せざるを得ないリッキーの姿は、僕らが既に背中を合わせているワーキングプアの無間地獄に他ならない。


『家族を想うとき』19・英、仏、ベルギー
監督 ケン・ローチ
出演 クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター、ロス・ブリュースター 
 
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『ガルヴェストン』

2020-10-08 | 映画レビュー(か)

 メラニー・ロランが監督としての才能を証明した2014年作『呼吸-友情と破壊』は2人の女子高生の友情と憎しみを描いた少女映画の傑作であり、一級品のスリラーだった。とりわけルー・ドゥ・ラージュ扮する転校生の秘密を暴いたカメラの横移動には戦慄したのを覚えている。この作品を見て僕は確信した。ロランはサスペンスやアクションも絶対にイケる、と。

 『トゥルー・ディテクティブ』で知られる作家ニック・ピゾラットの小説を映画化した本作はロランの横顔が目に浮かぶ端正なハードボイルドだ。年々、凄みを増すベン・フォスターがヤクザ者に扮し、エル・ファニング演じる娼婦と逃亡の旅に出る。男は病を診断され、余命幾ばくもなかった。

 ロランはまたしても横から引いて撮らえ、『トゥルー・ディテクティブ』シーズン2でも顕著だったピゾラットのナルシズムを取り払う。フォスターとファニングの間には恋愛感情はおろか、疑似親子愛も存在せず、2人を繋ぐのは傷ついた者達の同士愛と大人が子供を守る使命感だけだ。“男のロマン”であるハードボイルドを女性監督が読み直せば何とも凛々しく、ストイックではないか。ピゾラットはロランが原作から離れた事を理由に、自ら務めた脚色クレジットをジム・ハメット名義に変更。事実上、降板した。

 ジョゼフィーヌ・ジャピ、ルー・ドゥ・ラージュをブレイクさせた『呼吸』同様、ロランはエル・ファニングのフォトジェニックな魅力を撮らえるのはもちろん、少女娼婦という難役で演技的見せ場を与えている。多くの映画作家によって“被写体”の役目を与えられてきたエルには新境地と言えるだろう。リリ・ラインハート登場のタイミングも完璧。彼女らの痛みが露になる終幕は本作唯一の感情的場面であり、心揺さぶられた。サスペンスとバイオレンスに満ちた横移動のロングショットもロランならでは。この端正さが2020年代の格好良さを再定義していくのだ。


『ガルヴェストン』18・米
監督 メラニー・ロラン
出演 ベン・フォスター、エル・ファニング、リリ・ラインハート

 
 
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『海獣の子供』

2020-09-07 | 映画レビュー(か)

 五十嵐大介の同名漫画を原作とする『海獣の子供』が映画館で見るべき作品だったと気づいて非常に悔しい想いをしている。精緻でいて詩的な作画はとりわけ海洋シーンで神秘性を感じさせ、これは映画館の闇に耽溺し、生命と宇宙についての思索に耳を澄ませるべきだったのだ。これほど視聴体験に左右されるアニメーション映画も近年、稀だろう。異様な作家性と幼稚なキャラクターデザインの『天気の子』が市場を席巻した陰で、本作のようなアートフィルムが登場していたとは。ここに日本製アニメの豊かさを感じる。

 この2作に共通するのが環境問題だ。中学2年生の主人公ルカはジュゴンに育てられたという少年海(ウミ)と空(ソラ)を通じて地球自然と宇宙に耳を傾ける。人間に保護された事で命を短くする少年達と、海獣たちの異変が気候変動を表している事は言うまでもないだろう。

 そして本作は“少女映画”でもある。ルカは世界との関係を知り、生きるための“物語”を手に入れる。少女期という刹那の季節は終わりを告げ、神話の声を聞く力が失われる一方、“物語”は生きる力を与えてくれるのだ。重ねて言うが、映画館で見ていたら僕は本作に熱狂しただろう。


『海獣の子供』19・日
監督 渡辺歩
出演 芦田愛菜、石橋陽彩、浦上晟周、森崎ウィン、稲垣吾郎、蒼井優、田中泯
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