マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

新生児の誘惑

2002-01-23 | 日々の出来事
今日は、産婦人科にお見舞いに行った時、新生児室が目に入り、やはり立ち寄って窓から見てしまった。生まれたての赤ちゃん。かわいい!ニマニマしてしまった。
新生児のあの小ささ、ちょっと赤っぽくって(赤ちゃんだものねぇ)、頭に鼻をくっつけたら、新生児の匂いがする(ガラス越しですから、想像です)時というのは、本当にほんのいっとき。
夫に「また赤ちゃん欲しくなるよ。」と促されて帰って来た。

一番下も4月から小学生。赤ちゃんは大きな誘惑だけど、4月からのラクラク生活も大きな夢。
本当は、今一番「孫」が欲しい気分。
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旧約聖書の最初の質問

2002-01-23 | 日々の出来事
旧約聖書の中に出てくる最初の質問は、エデンの園でヘビが女に言う言葉です。

「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は本当に言われたのですか。」

この言葉は、神からの命令に疑いの思いを起こさせる誘惑の言葉です。その結果、唯一食べてはいけないと言われた善悪を知る木の実を食べてしまいます。そして、神から隠れ、離れようとする人間に第二の質問が神からなされます。

「あなたは、どこにいるのか。」

この質問は、神が人間を見失ったのではなく、人間の今いる場所を自ら考えさせるためのものです。

いま、私はどこに立っているのか?

ヘビの質問のように疑いの思いを起こさせる言葉、事象は、この世にたくさんあふれている。
疑う事を選ぶか、信じることを選ぶか。
隠れることを選ぶか。
エデンの園の二人は、疑いを持つ前は、いかに幸せな生活であっただろう。

自分が今、どこに立っているか考える機会をいつも持ちたい。
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自己憐憫

2002-01-23 | 日々の出来事
自己憐憫、「私ってかわいそう」という思いの根底にあるものは、高慢、傲慢、自己中心的なわがままです。

高慢な思いと劣等感は表裏一体。
自分を正しく認識できないところからくる。

自分を正しく認識して、自分が自分であることを尊重し、そのまま受け入れることができるなら、「私」はかわいそうではありません!

創り主なる方が、「かわいそう」に創ったはずはありません。慈しみ愛されて、創られた私たち。
十分に愛されているのに、ただそれを知らないだけ。
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作品展

2002-01-23 | 日々の出来事
幼稚園の作品展にお家の方もどうぞ出展して下さいって言うので、前から作ろうと材料を用意していたカントリードールをこの数日間作成中です。何か期限でもないと何もしないタイプなのでこれを良い機会とがんばっております。
今までにホビーラホビーレの材料がそろって売っている「カントリードールもどき」を作ったことはあるけれど、今回のは本を見ながらの初めてのタイプ。それなのに、いきなり2体も作ろうって無理してる。
今日は、でき上がった身体パーツと洋服などを紅茶で染めて乾しました。楽しみ。

女の子でもいれば、お人形遊びの楽しみも・・。
でも、うちの下の二人は、でき上がった人形が欲しくてたまらないようで、なんでかね。
実は、まえにつくったホビーラホビーレの人形は、一応次男の所有物。それからくまさんの編みぐるみも彼のもの。そのような趣味が・・・。


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