マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

癒されるということ

2007-02-12 | みことばの種
人に傷つけられたというので、人を憎むことをやめられない人。
いえ、相手がどうであれ、勝手に理由をつけて人を憎んで憎んで憎む人もいる。
憎む事で自分を保つという。
その事が自分の心をさらに蝕むということ知りつつも、憎しみを手に握ったまま手放そうとはしない。

心が癒されることを最優先して求めるよりも、
人を励まし癒す者となる。
愛される事を最優先して求めるよりも、
人を愛するものとなる。
これが、神様の求めていること。

そして、人を励まし癒す時、自分が慰められ癒されている、
人を愛する時に、愛されていると人は知るようになる。


ルワンダ大虐殺で家族を殺されたイマキュレー・イリバギザさんの「生かされて」を読んで。
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号泣力

2007-02-12 | みことばの種
「号泣力」という本を読んだ。
別に、私のためというわけではない。
他のあの人に貸してあげようと思って読み始めた。
・・・
自己憐憫は罪です・・・の全く反対をいく本だった。
自己憐憫して号泣して心の荷物をおろしなさいというおすすめだ。

たしかに、一瞬の自己憐憫はいいでしょう。
「わたしって、かわいそう。」
「わたしって、がんばってる。」
「だれもわたしのことわかってくれない。」・・・と泣く。

泣くと、いろいろな作用が働き心が癒されるのは確かにあることだと思う。

私も一人でよく泣く。
「泣いていいんだよ」なんて自分に言い聞かせて。
泣いた後は優しい気持ちになれる。

でも、それはとっても人間的なあるいは心理学的な解決方法だなって思う。
まだまだ、霊的レベルの低い人間ですから。
祈って癒されるまで到達していないんですもの。

本当は「だれも私の事わかってくれていない」ことはない。
神様は知っていてくださるから。

そして、いつまでも同じことで自己憐憫していたら、成長はないし。

でも、前向きに立ち直ろうという気持ちは大事だもの。
だから、やっぱり号泣するか
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