「砂の女」安部公房(1962) 1981新潮文庫(2003、53刷改版)
解説を読むと二度読みでの気付きを先取りできる。
解説を先に読んでもいい作品かもしれない。
安部公房の出世作だという。まあ、そうだろう。私もこれは好きな作品だ。
作者は前衛作家なのか。そうなのか。ほお。
砂と女、うん、いいね。
でも、なんか砂が埃っぽいイメージで辛いわ。
誰でもアリジゴクを連想し、刑務所も砂の中に作ればいいと思うよね。
作中でも『砂丘の悪魔』とか『蟻地獄の恐怖』ってタイトルをいっているし。
何度も『私なら家を壊してやる』『砂に埋めてやる』って思いながら読み進めたが、そこに女()の存在は無視されていた。仕返しだけで相手のことを考えていない自分を発見した。フィクションとして外から思っているだけで、実際にそうなったらそんなことはできないはずだ。でも、追いつめられ女を縛ったところでは、家を壊して砂に埋めてもおかしくない。渇きに意地になって、女をそのまま死なせてしまうかもしれない。自由にしたら殺されるかもしれないシチュエーションではないか。絶対、そんなところの人間を信用できないし。そうなったら、体力を温存しつつ、様子を見に来たの人間を殺そうと待ち構えるかもしれない。
そう考えると、かなりわがままに見える主人公も実はかなり人間的にできた人なのかもしれない。おまけにロープで登れてしまうような体力もある。まあ、時代的には普通だったのだろうか。
が品質の悪い砂を売っている姿は、原発を誘致した自治体を思わせるね。
の有り様の中に、遺族会なんていうものを連想しちゃったよ。戦争被害者の会ですか。もう年金も貰えなくなって会費を集めて続けているけど、何のためにやっているのかわからなくなっている。ただ、止めると何を言われるかわからないから続けている。趣旨に賛同もくそもない。だいたい清掃活動くらいしかやっていないじゃないか。町内会に任せろ、早く解散してもらいたい。
作中のの中でも同じような意識が多いんじゃないのかなぁ。
いつまでも続きはしないよね。
しかし、自由やら生きがいはどこにあるのか。そういうことですか。
ネットの砂に埋もれているニートやひきこもりからすると、何ともうらやましい世界かもしれない。