「ドグラ・マグラ」夢野久作1935 1976社会思想社(1990、第19刷)
なんかね、安部公房臭い気がしたんだけど、この作品が書かれたときに安部公房はまだガキじゃん。
あとね、「ヤプー」を思い出したんだけど、沼正三の正体の中に名を連ねてはいなかった。まあ、ヤプーの頃には死んでいるから当然だけどね。
私は誰だ。
その記憶は本物か。(本当に思い出したのか)
どこまでが本当にあったことで、どこからが気違いの妄想なのか。
天才と気違いは紙一重
理論的な間違いやこじつけに見える部分も、天才のものであれば凡人が理解できていないだけかもしれないし。
全てが妄想であるかもしれないし、全てが真実であるかもしれない。
キチガイの頭は天才的な構成力を持つという。
全てが狂人の頭の中の話だ。
若林博士の存在とその目的は違うかもしれない。
その悲惨な事件はあっただろうか。
1000年前の先祖も存在したろうか。
そんな呪いのような遺伝が。
そして、それを信じる人間(若林、正木)がいるのか。
20年に亘る準備
推理小説として条件を整えるたびにひっくり返される展開に、全てが疑わしく思えてくる。(それが作者の狙いか?
「わたし」の主体のいきなりの入れ替わり。その混乱。
「まだ遺書の最中だ」「嘘だ」とにかく読者の足をすくって転ばそうとする。
主人公が「ドグラ・マグラ」を作中で読んでいるし。
で、5部構成だというから『キチガイ地獄外道祭文』から第2部なのか。『地球表面は 狂人の一大解放治療場』『絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず』『胎児の夢』までが第2部なのか?
そして第3部が『空前絶後の遺言書』なのか。おいおい、5分で済むはずじゃなかったか?どんだけ長いんだよ。途中から映像を見せる態であったり、終わったと思わせて資料『心理遺伝論付録 呉一郎の発作顛末』を並べてみたりして、
「犯人は正木だろう」と読者に思わせておいて、そうじゃないといったらそれが嘘で。
第4部が『遺書』を読んで目覚めたところからか。ページの切変わりがないのだけど、場面は切り替わったよね。冒頭で若林から死んだと聞かされていた正木が登場。『離魂病』で見える過去の映像(その入れ子状態へ)「そうだよ、きみはいま夢を見ているんだよ」が、ラストを暗示していたとは!そう、今が『胎児の夢』・・・だと?
で、第5部はどこか、ページ数は少なくなるが教授室の中で気が付いたところからか。
まあ、狂人のこじつけ論に反論することは無いと思うのだが、人間の進化って苦痛や恐怖じゃないよね。逆にラッキーの連続じゃね?苦しんだ者たちは滅んでいったわけでしょ?なんてね。
失恋自殺者=変態的欲求って言うのは納得だ。
精神科って言うのは、この作品から80年、それなりに進歩もしているだろうけれど、やっていることは変わっていないかもしれないと怖れる。
解説の部分に出てくる社会問題の指摘を読みながら連想したのは、オウム真理教をはじめとした新興宗教だった。教祖になる人間はこの作品を読んで参考にしてはいないだろうかと。(あ、もちろん、警察・検察の取り調べも連想したよ)
胎児よ
胎児よ
なぜ躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか