「バカの壁」養老猛司 2003新潮新書
あれ?前にも読んだかな。
あ、そうか。たぶん、「考えるのは脳にとって苦しい。だから楽をしたいから人はだまされる」そういうことを別のところで読んだ事があったんだ。どこだったかな~、思い出そうとするのが苦しいので脳の作業を放棄します。
テレビの討論番組や国会中継を連想させるよね。
で、「バカの壁」を口にする方も、そのバカだったりするわけだ。おもしろいよね。
共同体的な”答”を失くした人々が、それを捜し求めているって言うのはステキ。
「デュラララ!!」で表現されている池袋の「ダラーズ」も、そういう考え方に当てはまる存在でしょうね。
退学・リストラが”追放”になってしまった社会。
あ~、意識してなかった。そういうものだと思ってしまっていた。
社会が共同体として機能していれば、”再起”のチャンスはあるはずだよね。
利口かバカかの境が社会的な適応性とするならば、実現した”働かなくても食べていける社会”に適応した、言葉巧みで現在に満足しているホームレスこそが一番の成功者であり、利口者ということらしい。
政治(行政)は「人間がどれだけバカか」で行わなければならない。
その通りです。
住宅保証(支援)のための金を持ち逃げするホームレスが、罰する規定がなく取り上げる財産もないために、それを繰り返している現実があるという。しかし、それは性善説を前提にしている最低の行政の姿勢に問題がある。ホームレス(でなくても)の多くは金を渡せば持ち逃げするのが『人間として』当たり前なのです。だから、行政は直接金を渡さずに、そのサービスである住居を提供すればいいのです。行政の手間は増えるでしょうが、それを確実に行う事こそが”税金”を預かっている公務員の仕事ではないですか。それをホームレスと法律(制度)の責任にして、自分たちの怠慢を棚上げにしている現状はいただけません。
原理主義の危険性とその安易さを訴えつつ、(過去の)日本の良さを主張する。
「『人間であれば』そうであるという共通了解」が普遍的な原理になりうる。
う~ん、それは美しい。法律を全部取っ払える世界だな。
すごくわかりやすい書き方はされてますが、難しい本ですよね。
私は社会的不適格者のように見えますが、それでもバカなくせに幸せものらしい。