「痴漢日記」山本さむ 1994KKベストブックス
非常に身勝手で自分本位な中学生的な雰囲気が最初から最期まで続きます。
失敗の話がほとんどなく、常に好き勝手出来たように書いていることから、
ただの自慢
だという事がわかります。
パンダが上野公園に来たとき(1972年)高校生なので、いま50代半ばでしょうか。
たぶん、癖は抜けてないので性欲は薄くなっても痴漢は続けていると思われる。
どんどん捕まって毎回20~40万円払って前科を増やし、女子高生の罠にはまってバカにされていればいいのに。なんて思いました。できれば死んでいて欲しい。殺されていればいいのに。
- 断固たる拒否反応を示さぬ限り痴漢行為に及ぶ
- 散々被害にあった挙句、下りる間際に手をつねってきた。最初からそうすればなにごとも起きなかったのに。
- 見ず知らずの女に触るという刺激的な行為
- 二人だけの秘密の行為
- 無言の対話、暗黙のコミュニケーション
- 指先に反応する肌と息
- 『オレが好きなんだろ。だから触っても何も言わないんだろう・・・・・・』
気持ち悪くなってきます。
宮崎勤もこんな感じで幼女を自分の物にしていったのかもしれないなんて思ってしまった。
「健全なモラルを持ち合わせている紳士諸君らも、意に反して小生らの同胞となりうる可能性が壁一枚隔てた所にあるという現実を察して欲しい。たかが変態、たかが”病人”と赦しを乞う次第である」
その壁は厚いよ。そして、「たかが変態、たかが”病人”」って、おい、病気なら治さないとね。
痴漢は強姦だよね。暴行だよね。もしも毛を抜かれたり、傷や痣をつけられたら傷害だよね。
たぶん、本人もわかっているんですよね。
小心者でドサクサ紛れ。
劣等感と自己嫌悪を覆すために、優越感と征服欲を求める。そしてさらに劣等感と自己嫌悪を深めていく。
女の人の方がどうなのかな~
自分から腰を押し付けてくるって・・・どれくらいいるんだろ。まあ、それでも痴漢の事は軽蔑して嫌っているらしいけど。
まあ、目を細めてジーと見てやりたくなる。そんな本です。
ほんとうにひどいわ、これは。
それが許される(求められる)社会だったら、頑張ってしまう中学生が私の中にもいるのは確かだし、痴漢はなくならないよね。完全な管理社会にならない限り。
そうなると、どう折り合いをつけていくかということですよね。
すぐに出てこられるからいけないんだと思うんですよ。冤罪は困るけど、刑罰はもっと厳しくしてもいい。治らなきゃ常習者は去勢すべきだよね。去勢しても治らないやつは死刑でいいよ。
そういうことが出来ちゃう環境の問題も?
心の問題も出て来ちゃうと、何が大切か、生きるスタンス、とか言って収拾がつかなくなってきちゃうんですよね。
だから、「こういう奴らが本当に存在している」ということだ。
だから、それを知って、それを教えて、対応を考えろってことだ。
きちんと認識しておく事。それが大事なのだろう。
最低だわ、酷いわ、これは。
でも、それを知らしめるという意味では重要な本。(なのか?
(特に目新しい事が書いてあるわけではないが)
実は、この本はこのように読者に怒りをもたらすために書かれたのかもしれない。それが社会を変える起爆剤になると考えたのだろう。
その証拠に、この本が出てから痴漢の取締りが厳しくなった。
ただ残念なのは、警察の意識がそれに追いつかず、システムも機能せずに「本当の痴漢を取り逃がし、冤罪ばかりを増やす」結果になってしまっている。それによって、男女の衝突という被害者同士で闘う構図が出来上がった。
喜んでいるのは警察上層部だけである。
( ゜д゜)ハッ!
警察が山本さむの罪を軽くする約束で書かせたのではないか・・・
すでに筋書きができていた・・・