熊本であれだけ甚大な被害が発生!さらに余震は一向に終息する気配がみえない
それに忘れちゃいけない!東日本大震災だっていまだ復興途中!!
これから先、どれだけ時間を要するのか?まったく先がみえない・・・
しかし、世間ってーのは“喉元過ぎれば・・・”熊本の地震発生から1か月、
巷の話題といえば低レベルでゲスなことばかり。ところが、関東でも月曜の夜、
久しぶりに“緊急地震速報”が鳴り響いた!あれには驚いたね
こうした刺激(緊張感)がなけりゃ、人ってーのはすぐに怠けてしまう
緊張感を持て!とまでは言わないけれど、けして気配りだけは忘れちゃいけない
目配り、気配り、そして“打てば響く”これが日本人の品格の原点!
さて、品格を、 国語辞書で調べてみると、その人やその物に感じられる気高さや、
上品さ、品位。と書かれている。その昔、「日本人の品格」という本がベストセラーに!
しかし、それも今は昔のこと・・・・時代は大きく変わった
ところで、品の良い人、悪い人と言う言葉をよく耳にするが、
悪い奴の代表と云えばヤクザやチンピラ等を思い浮かべたら解りやすい
ところが、すべてのヤクザが“悪い人”かといえば、そうじゃない!
つまり、職業を問わず、その人の立ち振る舞いであったり、その人の気高さや格調高さ!
これをごく自然に醸し出す。こういう人が「品のある人・品格の高い人」だと思うね
とはいえ、あくまでもこれを自然にしなきゃなんの意味もない
また、品の良い言葉、悪い言葉と言うのもある
その場の雰囲気をいち早く察知し、その場の雰囲気を壊さない、場合によっては和らげる
こんな事ができる人こそが「品の良い人」だとオイラは思う
これは、豊かな表現力が無いとできない事であり、誰にでも出来るわけじゃない
つまり、品格の高さとは、どれだけの感性を持ち合わせているか?ってーこと
これだけは人との出会い。つまり巡り合わせ「縁(えにし)」で左右される
さて、先にも書いたが、「日本人の品格」というキーワードが話題になった。
しかし、国家の品格とはなにか?それは、国家の品格とは国民(人)の行いの表れであり、
つまり、その国民の平均的レベルが“国家の品格”を上げるか、下げるか・・
ただし、何が「気高さ」「格調高さ」なのか?これは、その時代、時期によって
全く異なったものになる。ある時ときは“品格が無い!”と言われていたものが、
ある時期になると“品格がある!”と言われたりする。こいうのは良くあることだ
そのいい例が「最近の若い奴は…」という言い方だ
これはかなり前から言われ続けてきた慣用句であり、これから先も言い続けられる
さらに、近頃は、技術の革新などもあって、より世代間のギャップが大きくなっている
このような背景もあり、そのギャップを苦々しく思っている人々(オイラも含め)が、
「品格」という言葉に危機感を持たなくちゃ日本は滅びてしまう!!!
とくに“やばい”をはじめとする間違った日本語の使い方をはじめ、“変なことばかり”
流行に左右されない!間違いは正す!!なにが正しいのかを自分で勉強する!!!
社会の中で自らの分をわきまえ、それに誠実である事。誠実に生きること
自らの分とは、自分の才能、才能の限界、立場、なすべきこと、してはならないこと、
けして言ってはならないこと。つまり自分の身の丈を知る・・・ということだ
例えば、長年、一筋にやってきた職人や農民には品格が感じられる
なぜなら、こうした人々は自らの役割をはっきり認識しているからだ
おなじように、江戸や明治の人には品格ある人が多かった
それは、身分社会の中で生きているわけで、自らの分をわきまえ易かったからであり、
それは当たり前のこと!!学校で習った「士農工商」がしっかり定着していたんだから
国家も同じ。国家の品格とは、国際社会の中で自らの分をわきまえること
品位、品格の「位」「格」は、カタカナでいえば“レベル”に相当する
そして、「品」とは“クオリティー”だ。しかし、これは“品質”を意味するものではない
上流階級、社会階級上層の人々ということを意味している
つまり、上流階級の人が社交界に出ても恥ずかしくないたしなみを身に付けること!
これを意味している。結局は、品位のある人とは、そういう社交界に出ようが、
どこに出しても恥ずかしくない人ってーことになる
だから、歴史で習った明治時代の鹿鳴館。紳士淑女が燕尾服やドレスを着て、
華麗に踊っていた・・・・あれとはまったく違うということ
つまり、“身だしなみ(ドレスコード)”と“たしなみ”とでは雲泥の差がある
これは三社祭でも同じことがいえる
本来、お祭りとは、神様に満足していただく祭事であり、気高く崇高でなければならない
そのため、氏子以外が祭事に加わる・・・ということはあり得なかった
しかし、世の中はホリエモンの“名言(迷言)”「お金で買えないものはない」
これで一気におかしくなり、拝金主義が幅をきかせるようになっちまった
本来であれば参加できない“三社祭”しかし、金さえ払えば半纏が借りられる・・・
祭りも品格もそれ(拝金主義)とは対極にある。当たり前だが気高く崇高なものである
これを忘れちゃいけない。ところが、これを忘れている連中が世の中の大半を占め、
日本人の品格を下げ続けているから始末に負えない!
とりとめのない話をグダグダと書いてしまったが、要するに品格が有るか無いか、
上品か下品かどうかは、その人の道徳観や規範意識である
他の人々に対して、どれだけ真心を以て接しうるか否かであり、けして、言葉遣いが
丁寧であるとかないとか、服装が上等であるとか綺麗であるとかではない!!
これに関しても賛否が分かれると思う
学歴や地位、生まれついた家柄、そして知識の量こそが「品格」である
こういう考え方をする人も少なくないから
最後の幇間!悠玄亭玉介師匠からの遺言
アンちゃん、覚えておくんだよ。けして、頭のいい人になっちゃダメだよ!!
人に気配りができるとか、思いやれるとか、それをさり気なくできるひと
不器用だって構わない。それが子供だろうが年寄りだろうが、できる人になるんだよ
これこそが「日本人の品格」の神髄だとオイラは信じている
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