今朝の横浜・東京は、晴れてはいるが、北風が強く、体感的にはかなり寒く感じる
予報によると今夜半過ぎから雨が降り出し、師走の始まりは冷たい雨になりそう
2016年も残すところあと1か月。一日は長くても!?光陰矢の如し!1年は早い
朔風払葉=(北風木の葉を払う)
朔風とは北風のこと。冷たい北風が、木々の葉をハラハラ~~と落とすころ
地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴かもしれない
こうした光景を目にすると、これから寒さがより一層厳しくなる前触れでもある
山下公園の銀杏並木、そして、山手のイタリア山庭園の大銀杏もだいぶ色づいてきた
また、“朔風払葉”の格言通り、歩道も車道も落ち葉の絨毯と化しているが、
銀杏に関しては、木々全体が鮮やかな黄色に覆われるまであと数日!この週末が見頃
The Last Leaf・・・有名な「最後の一葉」という短編小説がある
作者はWilliam Sydney Porter、といってもピーンとこない
彼のペンネームは“オー・ヘンリー(O. Henry)”という
最後の一葉(最後の木の葉ともいう)は、日本の小中学校の教科書に載るほどの名作
昔はドリフ、いまでは志村けんのコントなどでその様が茶化されるときもあるが、
そのあらすじは、
病床の彼(若い画家)がいう「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と、すると、
その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていた
次の夜も激しい風雨が吹きつける。しかし、翌朝になっても最後の一枚がある
それに感動した彼は、思いを改め、生きる気力を取り戻す・・・
実は、最後に残った葉は老画家が嵐のなか、若い画家を勇気づけよう!と、
壁に絵筆で精緻に描いたものだった・・・
若い画家は奇跡的に全快を果たす
しかし、冷たい風雨に打たれつつ夜を徹して壁に葉を描いた老画家は2日後に亡くなる
老画家が逝ったあと、あの最後の一葉こそ「彼の最高傑作」であったと評される
この作品に込められた作者の意図とは?
若い画家の気力・生命力、なにより「生きることの大切さ」を訴えたかったのか
それとも、若い画家を勇気づけようとした老画家の「自己犠牲」を描いた物語なのか
また、傑作をものにすべく高みを求め続けた老画家の生涯を表現したものなのか・・
故事に、「棺を蓋(おお)いて事定まる」という格言がある
人の功績ってものは、亡くなってはじめて正しく評価されるという意である
また、オイラが尊敬するひとが語った心に残る「遺言」がある
人の死は一度だけではない
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
でも、死者を覚えている人がいる限り
その人の心の中で生き続けている
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき
そう思っている・・・
・・・・・でも、人は歳月の中で
亡くなった人のことを忘れがちになる
だからときどき誰かと故人の思い出話をしたり
街角や映像で故人によく似たひとを見かけることがある
それも供養のひとつだという気がする
お通夜や告別式など、儀礼的な行事に参列することだけが供養ではない
オイラもそう考えるし、その気持ちを大事にしてゆきたい
予報によると今夜半過ぎから雨が降り出し、師走の始まりは冷たい雨になりそう
2016年も残すところあと1か月。一日は長くても!?光陰矢の如し!1年は早い
朔風払葉=(北風木の葉を払う)
朔風とは北風のこと。冷たい北風が、木々の葉をハラハラ~~と落とすころ
地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴かもしれない
こうした光景を目にすると、これから寒さがより一層厳しくなる前触れでもある
山下公園の銀杏並木、そして、山手のイタリア山庭園の大銀杏もだいぶ色づいてきた
また、“朔風払葉”の格言通り、歩道も車道も落ち葉の絨毯と化しているが、
銀杏に関しては、木々全体が鮮やかな黄色に覆われるまであと数日!この週末が見頃
The Last Leaf・・・有名な「最後の一葉」という短編小説がある
作者はWilliam Sydney Porter、といってもピーンとこない
彼のペンネームは“オー・ヘンリー(O. Henry)”という
最後の一葉(最後の木の葉ともいう)は、日本の小中学校の教科書に載るほどの名作
昔はドリフ、いまでは志村けんのコントなどでその様が茶化されるときもあるが、
そのあらすじは、
病床の彼(若い画家)がいう「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と、すると、
その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていた
次の夜も激しい風雨が吹きつける。しかし、翌朝になっても最後の一枚がある
それに感動した彼は、思いを改め、生きる気力を取り戻す・・・
実は、最後に残った葉は老画家が嵐のなか、若い画家を勇気づけよう!と、
壁に絵筆で精緻に描いたものだった・・・
若い画家は奇跡的に全快を果たす
しかし、冷たい風雨に打たれつつ夜を徹して壁に葉を描いた老画家は2日後に亡くなる
老画家が逝ったあと、あの最後の一葉こそ「彼の最高傑作」であったと評される
この作品に込められた作者の意図とは?
若い画家の気力・生命力、なにより「生きることの大切さ」を訴えたかったのか
それとも、若い画家を勇気づけようとした老画家の「自己犠牲」を描いた物語なのか
また、傑作をものにすべく高みを求め続けた老画家の生涯を表現したものなのか・・
故事に、「棺を蓋(おお)いて事定まる」という格言がある
人の功績ってものは、亡くなってはじめて正しく評価されるという意である
また、オイラが尊敬するひとが語った心に残る「遺言」がある
人の死は一度だけではない
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
でも、死者を覚えている人がいる限り
その人の心の中で生き続けている
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき
そう思っている・・・
・・・・・でも、人は歳月の中で
亡くなった人のことを忘れがちになる
だからときどき誰かと故人の思い出話をしたり
街角や映像で故人によく似たひとを見かけることがある
それも供養のひとつだという気がする
お通夜や告別式など、儀礼的な行事に参列することだけが供養ではない
オイラもそう考えるし、その気持ちを大事にしてゆきたい