濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

お天道様が見てるよっ!!

2014年12月24日 | ひとりごと・・

あと“約1週間”で新しい年を迎える。あれこれ振り向きはしないけど、
今年もいろいろあった・・・「だってジジイだもん」
半世紀以上も生きてりゃいろんなことがあるさ・・・

江戸庶民の生活は、お天道様と共に起き、お天道様が沈むと共に一日が終わる
お天道様の目が届くうちに一生懸命働き、夜は早く寝る!!
夜はお天道様の目が届かない!だから「悪い輩」や「お化け」が出てくる

食べ物は四里四方の旬のものを食べ、行楽は季節毎の花を愛で、四季折々に神社、
仏閣に家内安全、無病息災を祈り、春夏秋冬、時々の歳時の年中行事に参加し、
これを楽しむ

全てが旬であり、五感を存分に活用した極めて健康的な日常生活を送っていた
当時の庶民たちは貧しいながらも、心豊かな、健全な暮らしをしていたと言えるね

あたりまえだけど、物質的には全く恵まれていなかった!!
しかし、自然の恵みを受け、精神面では人生を充分に謳歌し、質素さと豊かさ、
貧しさと幸せを同時に味わいながら生きていたんだね

江戸っ子特有の美意識や気質、気風に「宵越しの銭はもたない」&「粋」がある
要は、江戸っ子にありがちな「やせ我慢の哲学」というものだ

が、その根底には他人を思いやる心、お互いがお互いを助け合う心が流れている
内面的な洗練さを磨きあげようという自意識があったから

だから、人々は人との出会い、縁、えにし、一期一会を尊び、世間様を大事に
共存共栄の人生を過ごしてきた・・・

人々の喜びの多くは、「人との係わり合いの中から見出される」
そう言っても過言ではない。また、人と係りあう場面などいくらでもあった

趣味の和歌、俳諧、狂歌、川柳、そして、三味線音楽の義太夫、清元にかっぽれ!
観る、聴く楽しみとしての芝居、歌舞伎、寄席、落語に講釈など

参加する喜びとしての祭礼。春であろうと夏であろうと「祭りは正月!!」
町を離れた連中もこのときばかりはみんな帰ってくる!

競い合う楽しみとしての囲碁、将棋にかるた
集う楽しみとしての髪床、銭湯、路地の夕涼み、井戸端会議、などである

やせ我慢をしつつも、「粋」な振る舞いに徹底する。これこそ究極の美意識!
みっともない、野暮な振る舞いをしないよう、常に緊張感をもっている

緊張感をもつ・・ということは、言い換えれば、目配り、気配りができるということ
これを他人に悟られるようじゃ野暮!まだまだ修行がたりないということだね

誰も見ていないけれど、何事も手を抜かない
なんってたって、「お天道様が見ている」から

ガキのころから言われた「お天道様はお見通しだよ」って、
誰も見てねーじゃねーか!わかりゃーしないよ・・・
と言ってみたところでそんなものは通用しない!!

実はこの「お天道様」は「太陽」ではなくて自分の心にある「良心」そのもの
こうした「良心」に従って生きている人ってーのが本当の「粋」っていうんだ

野暮なやつってーのは、「だってしょうがないじゃい」って言い訳ばかりする
連中も、心のどこかでは「いけないこと」だと判っているくせに・・ねっ!

色川の大将が遺してくれたもの
「お天道様の下を堂々と歩く」、そして「まっつぐ(真っ直ぐ)」
歳はとってもまだまだ若輩、オイラにとって“少しばかり荷が重い”く~っ!!

冬至とクリスマス

2014年12月24日 | ひとりごと・・

明日から強烈な!クリスマス寒波がやってくるらしい
しかし、今日の芝浦運河は穏やかで、風もない。
日向では優しい日差しを受け、居眠りしたくなるほど心地よい・・・眠い

さて、今日はクリスマス・イヴ
クリスマス・イヴ(Christmas Eve)とは、クリスマスの前夜のことであり、
教会では、イヴに多くの教派で晩の礼拝が行われる

昨日、近所の山手界隈をブラブラしてきたけど、教会、そして、洋館では
祭日ということもあり、一足早く!讃美歌やゴスペルのミニコンサートが
あちこちで開催されていた



さらに、みなとみらいでは福山君のコンサート!があったり、クリスマスの
イルミネーションを見よう!と、初詣なみの人出!!どこへ行っても「人・人」
見れば、渋滞中の車はすべて「県外ナンバー」ばかり・・・



ちなみに、「イヴ(eve)」とは、「evening(夜、晩)」が省略化されたもので、
結果的に「Evening」より「eve」のほうが“語呂として”響きがいいね!?

そして、明日はクリスマス!!
日本人の多くがキリスト教徒でもないのに、各家庭で「クリスマス」は、
恒例の年間行事として欠かせない大事なイベントとして定着している!!

これって、諸外国から見れば日本人ってーのは不思議なんだろうね!
正月に初詣、彼岸にお墓参り、お盆に先祖を迎え、秋のお彼岸、ハロウィン、
そして、クリスマス!それが終わるや否や、門松とお供え餅を準備・・・

和洋折衷という言葉があるが、こうなりゃなんでもあり!
オイラがそうであるように、日本人は宗教を問わず、祭りが大好き!!
とにかく楽しけりゃいい!!人が集まり賑やかでありゃいい!!



さて、今から約2千年前、ベツレヘムの馬小屋でイエス・キリスト様が誕生した
その誕生日を祝う「キリストの降誕祭」≒「クリスマス」というのが定番だ
オイラもガキのころからそう信じて疑わなかったが、

実は、イエス・キリストの誕生日に関する記録というのは一切ないそうだ!
つまり、正確な誕生日(日付け)はわかっていない!!らしい・・

そのため、初期の頃には様々な日に祝っていたという記録がある
しかし、時が流れるにつれ、12月25日に祝われるようになった

その理由は、ローマでは古くから、12月の冬至に太陽を祭るお祝いをしていた
前にも書いたけど、日本をはじめ、北半球で一番昼が短くなるのが冬至

寒くなるにつれ、だんだん短くなってきた昼が、この日を境にまた長くなる
つまり、勢いの弱まってきた太陽が冬至に再び力を取り戻し、光りが蘇る!
不謹慎化かもしれないが、神の復活!と重ね合わせるにはもってこい!!

特に、イエス・キリストは『正義の太陽』『世の光』と呼ばれていたから
そのため、336年、当時の教会はこの祭日を利用してイエス・キリストの
誕生を祝う日と定めたということらしい

また、当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持っていた
彼らは、12月25日は、「太陽神を祭る祝祭日」としていたそうだ

そこで、初代キリスト教の指導者達が、異教徒との対立や摩擦を生むことなく
異教徒にキリスト教を広めるために、12月25日をクリスマスとしたらしい

そういえば、亡くなった色川の大将がよく言ってた
「お天道様の下を堂々と歩かなくちゃ!!!」ってね

太陽にありがたみを感じ、地上を隈無く照らす光に恥じ入ることなく過ごせる充実感
いかなる宗教とも関係なく、自らを律して生きていける一言だと思う

さて、今年の「冬至」は12月22日、その日を境に、太陽も再び力を取り戻し始めた!
日を追うごとに、確実に「昼間の時間」が長くなってく~る~う!!
この歳になり、ひょんなことから「クリスマス」と「冬至」の意外な関係を発見!!

世の中、知らないことばかり
今夜は「柚子湯」の代わりにKFC&ケーキを食べ、無病息災を祈念しなくちゃ!
それでは、みんさん、素敵なクリスマス(イヴ)をお過ごしください・・・

きょうは会社休みます

2014年12月10日 | ひとりごと・・
といっても、オイラは今朝もいつも通りに京浜東北線で会社に出勤している

あまりドラマには興味がなかったオイラであるが、ドラマの舞台が“横浜”
しかも、オイラの秘密基地から半径2~3キロ以内ということもあり、
毎週水曜の夜「きょうは会社休みます」を欠かさず見ている

また、主人公が勤務する会社(シルクセンター)には、オイラの知合いも多く
務めており、「今日、撮影してるよ!」「さっき綾瀬はるかを見たよ」など、
リアルタイムで“通報”がある

しかし、連絡をもらったところで東京のオフィスから横浜へ行くのは不可能!
それでも、地元ということもあり、みなとみらい、そして、日本大通りでの
撮影に数回遭遇した

もしかすると、はるかちゃんの後ろを歩いているサラリーマンはオイラかも?

日本のいちばん長い日

2014年12月10日 | ひとりごと・・
先週末、東京の下町「森下」の某小料理屋に仲間が集い、今年の春に急逝した
色川の大将を「偲ぶ会」に出席してきた

会には、色川の女将さんをはじめ、三社祭で「色川」の半纏で神輿を担いでいる
約20人が参集、女将さんの挨拶のあと、僭越ながら、小頭を仰せつかっている
オイラの発声で“献杯”を捧げ、大将を偲びながら宴も盛り上がった

メンバーは、50代以上が半数以上を占め、若くても40代を超えた連中ばかり
すでに現役を引退、悠々自適な毎日を過ごしている人、自営業、学者、薬剤師、
サラリーマン、警官、タレント、役者、それに構成作家など多種多様

なかでも頑張っているのが勝ちゃんこと、勝俣州和さん
縁あって色川の半纏を着るようになり、かれこれ20年が経つという
オイラは、彼が初めて色川を訪れたときからの付き合いだ

勝ちゃんは、毎年、三社祭の2日間、そして、色川の行事には仕事をやり繰りして
必ず駆けつけてくれる。大将の葬儀でも裏方に徹し、奥さんと二人でお手伝いを
してくれた。本当に男気のある人だ

勝ちゃんの事務所の後輩で小山弘訓という役者がいる
彼も、大将から、「礼儀・作法」「人としての器」「人生哲学」「何人にも平等か」など、
色川の半纏を着るに必要な要素があると認定された男だ

最近では、イチローとビールのCMで共演、劇団EXILEの「あたっくNO.1」の舞台、
また、数々の映画・ドラマにも出演するなど大活躍中!!

オイラも彼の人柄が大好きであり、大将も最後まで彼の名前を覚えることはなかったが、
晩年、「やつはどうした?」「やつは来てるか?」「やつは馬力があるねエ~」と、常に、
小山君のことを気にかけていた・・・

そんな彼であるが、勝ちゃんとともに、偲ぶ会に駆けつけてくれた
しかし、表れた彼の風貌は“丸刈り”に“ひげ面”、どうみても右翼!かその筋・・

「どうしたんだい?」とオイラ、
「映画の役作りです・・・汚くてスイマセン」

詳しくは聞かなかったが、来年公開になる映画で、近衛兵の役を演じるという
そして、昨日のこと、

「2015年夏、豪華キャスト共演で描く映画『日本のいちばん長い日』が製作される」

来年は戦後70年の節目の年
終戦前夜の日本で何が起こったのかを描いた「日本のいちばん長い日」
主演は役所広司、共演者には、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、さらにベテランの山崎努など

たぶん、間違いなくこの映画だ!
頑張れ!小山君!!歴史に残る名作だよ!たいしたもんだねエ~
大将もあの世で喜んでるよ!!

2014 ハマスタ観戦記 その3 まとめ

2014年12月09日 | ひとりごと・・

常にモチベーションをキープして働く人・・・
こういう人って、仕事に対してどのような部分にやりがいを見出しているのか?

もちろんプライベートの充実を糧としてイキイキ働く人もいる(オイラがそう!)
しかし、今回は、あくまで仕事での“やりがい”を考えてみた
考えられる“仕事のやりがい”には、次の5つのタイプがあるという

仕事のやりがい その1「成果」
ひと仕事を終えた達成感や、成果が出た瞬間の喜びを味わうのがやりがい!
日々仕事を頑張る人。普段から生き生きと仕事をこなしているわけではない
むしろ辛そうにしている日のほうが多い・・・
しかし心の中は、自分を会社や世間に認めさせたいという野心で溢れている

仕事のやりがい その2「給与」
好きなことをするのにお金を惜しみたくない、貯金は多ければ多いほど安心する
高い給与を稼ぐために仕事で成果を出そうとする

つまり、仕事のやりがいを給与に見出している!
通帳を見ればモチベーションを上げることができるため、どれだけハードワークでも
それを乗り越えることができる

仕事のやりがい その3「仲間と働くこと」
チーム一丸となってプロジェクトを進め、互いにサポートし合いながらひとつの成果を
目指す“一体感”にやりがいを感じる!

友情に熱く、困った仲間は放っておくことができないような、面倒見が良いタイプが
仲間と働くことにやりがいを見出しやすいといわれている

仕事のやりがい その4「業務内容そのもの」
家にいても常に仕事のことばかりを考えている
出勤前に憂鬱になるなどもってのほか。このような人は健康を損ねる恐れがあるので、
働きすぎに注意しなければいけない

しかし周囲からみればワーカーの鏡である。仕事が楽しくてしょうがないという、
例え、なりたくてもなれるわけではない!うらやましいタイプかもしれない

仕事のやりがい その5「責任ある仕事」
周囲からの期待を感じると、それまで以上に仕事にやりがいを感じる
期待に答えなければ、という自己の追い込みはもちろんある

しかし、それ以上に実力を認められつつあるという喜びで、多少困難な仕事にも
やりがい!を持って立ち向かうことができる

さて、ここから本題にはいる

ハマスタでゲームを観戦する場合“応援のしがい(やりがい)”ってーもんがある
チームの勝ち負けのみならず、贔屓の選手、若しくは、監督、コーチにまで声援を
送る。場合によっちゃ、相手チームであれ、移籍した選手にも熱い声援を送る!

そして、結果的にチームが勝利したとき、ハマスタにきてよかった!
という“やりがい”を味わうことができる

もちろん、選手もそうだ
常に目標(やりがい)をもって日々を過ごしている

しかし、プロという世界はサラリーマンとは比較にならないほど生存競争が激しい
やりがいだけでは食っていけない・・・

2014年、今年の支配下選手は69選手(投手38、捕手5、内野15、外野11)だった
しかし、シーズン終了とともに、そのうち、2割近い選手がチームを去っていく

そして、FA宣言した金城のやりがいは“現役続行”だ
監督の知らない所で、球団関係者から引退勧告を受けていたことが明らかになり、
現役続行するためにFAで退団という苦渋の選択を迫られてしまった

高田GMの残留や二宮コーチの残留など、ドタバタ劇が垣間見られる・・・
来年、本当に大丈夫なんだろうか?

来年もハマスタに行きた~いっ!!
というモチベーションがイマイチあがらないのはオイラだけ?
なにか、やりがい・・・に繋がるような話題が欲しい

2014 ハマスタ観戦記 その2 金城龍彦

2014年12月09日 | ひとりごと・・

ファンの皆様へ

ベイスターズの一員として16年間プレーできたのは、いつもグラウンドで聞こえてくる
ファンの皆様の声援が僕を支えてくれたからです。

良い時もあれば期待にお応えできない時もありました。
どんな時でもファンの皆様の声援はいつも変わることなく、温かいご声援をしていただき、
本当に心強かったです。

今回、ファンの皆様にきちんとご挨拶できないまま、チームを去ることになってしまい、
本当に申し訳ございません。

これからもファンの皆様への感謝の気持ちを決して忘れることなく、自分の野球人生を
全うしていこうと決心しております。16年間、本当にありがとうございました。

2014年11月21日 金城龍彦

金城こそ、誰もがベイに骨をうずめるものと信じて疑わなかった
ボタンのかけ違いはシーズン終盤から始まり、溝を埋めることなく終わってしまった
その結果が先のメッセージだ・・・
※金城の人となりに関しては以前このブログで紹介したので今回は省略する

彼の決断は「もう振り返ることはしない」前を向くだけ。そしてFA宣言!
これには、引退を示唆した一部関係者を除き、選手、そして球団職員にも衝撃が走った
当然!多くの金城ファンも驚いた・・・「う、う、うそだろう・・」

しかし、金城は断腸の思いで「肚(ハラ)をくくった」

腹と肚とでは天と地ほどの差がある
よく「腹をくくる」と表現するが、あたりまえだが、腹は身体の一部
肚(ハラ)は精神を意味する。昔から日本には肚文化が受け継がれている

ハラを使った言葉はたくさんあるが、
腹が減る。腹が痛い。・・・これ以外の言葉はほとんどが「肚」を意味する
肚をくくる、肚が立つ、肚黒い、肚にすえかねる、肚を決める、肚を割る

精神と身体を繋げるきっかけが「肚」にある
だから金城は人知れず思いに悩み、断腸の思いで肚を決めざるをえなかった
そこまでフロントが追い込んだ・・・ということだ

昨年オフ、FAの人的補償で、DeNAは阪神タイガースへ正捕手・鶴岡一成を流出、
その結果、昨年14勝10敗と勝ち越した阪神に今年は8勝16敗と大きく負け越した

さらに、昨年13勝11敗だった中日ドラゴンズに波留敏夫とデニー友利という
2人のコーチを流出させ、今年は9勝14敗とひっくり返されてしまっている

阪神、中日と昨年並みに戦えていれば、CS進出もあり得たのである
それにもかかわらず、DeNAは今年も金城を巨人へ流出させてしまった



ある人曰く、「ベテラン軽視の悪しき姿勢は、TBSが経営していた時代と同じ」
いままで散々痛い目にあっている・・にもかかわらず、また同じことを繰り返す

さらに主砲トニ・ブランコを解雇!
そうりゃ~どんな選手にだって故障やスランプはつきもの!?
ブランコの代わりを務められる外国人を獲得できるとは思えない



優勝した巨人と5位のDeNA・・・この差は、フロントの戦略にあるのでは?
なんとも後味が悪い2014年の師走である

2014 ハマスタ観戦記 その1 入来祐作

2014年12月09日 | ひとりごと・・

今年も、9月末まで北海道に赴任していたとはいえ、日ごろからお世話になっている
Fさんのおかげで、ほぼ“月イチ”以上の頻度で、ハマスタで試合(練習も含め)を
観戦することができた

さて、
この惑星の住人の人生は一直線とは限らない・・・
今年流された“BOSSレインボーマウンテンブレンド”のCM

トミー・リー・ジョーンズと用具担当の仕事を終え、グラウンドでふたり並んで
缶コーヒーを飲んでいたのがDeNA用具係“入来祐作”

彼は、球界引退後、NeNAのバッテイングピッチャーを経て、野球に携われれば
何でもする!と球団に直訴!DeNAの用具係として裏方に徹してきた



オイラ世代ならだれもが「入来!?あの入来兄弟の」というぐらい、兄弟そろって
プロ野球界で大活躍、記憶に残る名選手たちだ

特に、弟の祐作はドラフト1位で巨人軍に入団、気迫あふれる投球で人気を博した
入来祐作は、巨人を退団、日ハムに移籍、そして米球界へ!

そして、大リーグを経て、2007年、ベイスターズの入団テストを受け合格するが、
翌年、2008年10月1日、球団から戦力外通告を受ける

そのとき、彼は、「なんでもいい!野球に係る仕事がしたい!」と“決断”する

「人のために働こうと。周囲に恩返ししようと」
「奉仕する思いがないと、誰も振り向いてくれないんですよね」
※彼の著書“用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない”から引用



はじめ、彼に与えられたのは「打撃投手」の仕事だった
しかし、ストライクの入らぬ打撃投手は、1年もたたずに用具担当に配置転換、
その仕事は、彼の決意を試されているかのような役割だった・・・

しかし、彼の決断は変わることがなかった
だれよりも先に球場入りし、ボールをそろえ、全員分のユニホームを点検する
そして、選手がケガをしないよう、丁寧にグラウンドを整備する

Fさんから彼を紹介されたのは、つい最近のこと
オイラ、まさかあの!入来さんが用具係をしているとは夢にも思ってなかった
なにより驚いたのは、彼は礼儀正しく、だれよりも腰が低かった

あるとき、真顔で、「こんど、公演を頼まれて・・・何を話せばいいですか?」
入来って人は、強面とは裏腹に、実に誠実で、神経質なほど気が利く人だ

こうして、何度となく彼と接しているうちに、オイラにある思いが生じた
用具係は、選手のように“いくら活躍しても声援を浴びること”はない地味な仕事
しかし、“どんな仕事でもやりがいがあれば人って輝く”ってーことだ

以前、TBSが、彼が用具係として活躍する姿を放映したことがある
そのとき、彼は、
「昔の目標は指導者としてもう1度ユニホームを着ること」
「もし現役やめてすぐにコーチの話があったら、とんでもないコーチになっていたはず」
そう笑いながら話していた

ボスのCMナレーション「この惑星の住人の人生は一直線とは限らない」
入来祐作、この言葉こそが彼の野球人生そのものだ

そして、彼の目標が現実になった
2015年のシーズンから、彼はソフトバンクの3軍コーチに就任する

一直線ではなかったが、けして遠回りしてきたわけでないと思う
あの時の“決断”は、彼にとってかけがえのない財産となっているはず

崖っぷちの“決断”が、ろくでもない世界を、すばらしき世界に変えることもある
時間は係ったが、彼は、指導者に“なるべくしてなった”だけのこと

プロで一軍を経験できるのはほんのひとにぎり
しかも、ずっーと超一流で、引退後も監督やコーチ、野球解説者、タレントになれるのも
ごくひとにぎり・・・



ただ、本当に残念なのは、ベイのユニフームでない・・ということだけ

三溪園で見つけた冬鳥たち

2014年12月02日 | ひとりごと・・

梅の名所・桜の名所・紅葉の名所・・・として知られるこの庭園は、
季節によってさまざまな表情を見せてくれる

なんと!!夏には蛍にも出逢うこともできるし、冬が近付いてくると、
大池には多くの渡り鳥たちがやってくる

オイラが見る限り、最も多く飛来していたのが“キンクロハジロ”
動きが機敏で、観ているだけで楽しくなる。頭の後ろの冠羽が特徴的
芝浦運河でもよくみかける渡り鳥



そして、キンクロハジロのなかで優雅さを見せているのは“オナガガモ”
他のカモと比べると、尾羽がピンと長く、首も長い
オイラとは違い、全体にほっそりとスマートなシルエットに気品を感じる



最後に紹介するが“アオサギ”
アオサギ(蒼鷺)は、コウノトリの仲間だそうだ



全長は100cm弱、翼を広げると150-170cmと大型の鳥である
雅な姿をしているが、意外にも攻撃的で、餌場では羽毛や飾り羽を逆立て、
小型の“キンクロハジロ”を威嚇して追っ払っていた!



自然とは違い、人が多く訪れる三溪園
そのためか、かなり近づいてもビクともしない・・・
三溪園は、冬鳥の写真を撮るには絶好!の場所でもある

オイラは見たことがないが、此処には、カワセミも生息しているらしい
特に、園内の記念館(休憩所)、そこの窓越しの小さな池でよく見られるとか
そこではお茶をいただけるし、紅葉を見ながらカワセミを見てみたい


横浜で紅葉狩り

2014年12月02日 | ひとりごと・・

紅葉狩りという言葉から「モミジを狩る!」という発想をもつものはいないだろう
念のため、本当に「狩り」をする!と、思い込んでいる人のために言っておこう

この「狩り」とは、大昔は生きていくため、すなわち食べるために行ってきたもの
しかし、時が経ち、狩猟の意味での「狩り」をしない貴族が現れ、草花や自然を愛でる
また、その時に実際に草花を手にとって眺めたことに由来するという

今は「お花見」と言われている春の桜を見ることも、昔は「桜狩り」と称されていた
「桜狩り 霞の下に今日くれぬ 一夜宿かせ 春お山もり」藤原定家

さて、紅葉や黄葉が色づき始めるにはある一定の条件が必要だという
その日の最低気温は8℃以下(広葉樹)、さらに、5℃以下になると一気に進むとされる



美しい紅葉の条件は「昼夜の気温の差が大きい」「平地より斜面」「空気が汚れていない」
「適度な水分」など、光合成が行いやすい条件が必要だそうだ



日本は、太平洋の西岸に位置する美しい島国である
日本はかつて「東瀛」とか「扶桑」と呼ばれた
そのいずれも“東の彼方”とか、仙人が住む東方の山”という意味が込められている

そのため、古来より「日出づる国」と呼ばれている。なんとも神々しい呼び名である
それに相応しく、日本は四季に分かれ、季節ごとにさまざまな生活を楽しんでいる

春、
日本人は桜を特に好み、桜が満開になると、家族や職場の仲間と一緒に花見に出かける

夏、
7月には「七夕」がある
みな自分の願い事を短冊に書いて、竹の枝に吊し願い事が叶うように祈る

秋、
月見や紅葉狩りを行う。なお、「七夕」もそうだが、月見の習慣は中国から伝わったが、
紅葉狩りは日本特有のものである



冬、
近ごろの日本人は欧米人と同じようにクリスマスを過ごす
そして、晦日の夜は「紅白歌合戦」を見て、横浜の場合、「汽笛」を合図に新年を迎える

このように、日本人の生活は中国や欧米の文化から、多少なりとも影響を受けているが、
紅葉狩りのように、雅な独自の伝統的文化も少なくない

こうした文化は絶やしちゃいけないと思う
すでに暦は“師走”を迎えたが、横浜では山手地区、そして、三溪園では今しばらく
紅葉狩りを楽しむことができる

○三溪園の紅葉スポット



三溪園を代表する紅葉の景観を楽しめる聴秋閣と春草廬は隣り合う場所に立地しながら、
それぞれカエデ・モミジの紅色、イチョウの黄色というツートンの世界を見せてくれる



ちなみに、聴秋閣(重要文化財)は、徳川家光が二条城内に建てた春日局ゆかりの建物
この時期だけ、聴秋閣沿いの紅葉に包まれた遊歩道が一般開放されている
しかし、舗装されていないので、雨上がりは汚れてもいい靴ででかけよう!

そして、旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)もお奨めの撮影ポイント!
このお堂は、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物と言われており、
現存する秀吉が建てたものと確認できる数少ないもの

迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、
雅の荘厳さが感じられる

このお堂の隣にはイチョウの古木があり、お堂全体がイチョウの落ち葉で覆われている
遠くから見ると、黄金の絨毯、そして、お堂も金色に輝いているかのように見える


三溪園は、山下公園や中華街、そして山手地区から車で10分~15分
しかし、駐車場があまり広くないので、比較的空いている“平日”がお奨め

ちなみに、UPした画像はすべて三溪園で撮影したもの(2014.11.28 撮影)

原三溪というひと

2014年12月02日 | ひとりごと・・

横浜に所縁がある有名なものといえば、
崎陽軒の焼売、中華街の豚まん、有明のハーバー、サンマーメン、そして、
忘れちゃいけないベイスターズ!!

ひとでは、ゆず、美空ひばり、そして、CKB横山剣ちゃん!にシェリー!!
文化系では、岡倉天心、大佛次郎、そして、根岸生まれの吉川英治などがいる

しかし、横浜の歴史を語る上で忘れてもらっては困る歴史的人物がいる
現在の横浜の基礎を作ったとされる“原三渓”だ

開港されたばかりの横浜は、幕府によって貿易が制限され、生糸などの重要産品は、
特権を持つ江戸の商人が独占販売していた

しかし、時代とともにこの旧態依然とした制度はなし崩し的に葬られていくなかで、
ついに!ハマに追い風が吹いた!!

カイコの伝染病によって“ヨーロッパで生糸が品薄”になったからだ
日本全国から横浜へと運ばれた生糸は高値で売れに売れた!!

生糸貿易は日本の富国強兵と近代化を支えたとよくいわれる
明治期に横浜の豪商達が扱った生糸の輸出額は国家予算に迫るものがあったそうだ
その豪商達が得た利益はべらぼうで、短期間のうちに王侯のような財力を手に入れる

そのため、ゴールドラッシュ!ならぬシルクラッシュ!!
成功を夢見る人々が横浜に多く集まるようになった
このように、幸先よくスタートを切った横浜であったが、莫大な財力を得たものは僅か

その当時、日本は外国相手に対等な取引など困難な状況であり、理不尽な行為ばかり
もし日本人がしてやられたと気づいても、お奉行様は外国人を裁けないのだから辛い!
百戦錬磨の外国商人に対抗するのは容易ではなかったという

こうしたなか、原善三郎(原三渓の義父)や茂木惣兵衛など、ほんのひとにぎりだけ
その一方で、大半が大きな損失を出して破滅する商人も続出した

さて、義父の死去に伴い「三渓」こと、原富太郎が「原家」の家督を相続する
三渓は、早稲田大学で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務めるほどの秀才

その経営手腕は群を抜いており、帝国蚕糸の社長、そして、現在の横浜銀行の初代頭取、
さらには、関東大震災後には、横浜市復興会、横浜貿易復興会の会長などを歴任する

また、日本で18件日の世界遺産に登録された「富岡製糸場」
三渓は、三井物産から富岡製糸場を譲り受け、36年の長きにわたり経営していた
この事実はあまり知られていない

さて、生糸貿易で莫大な資産を蓄えた実業家の「原三渓」
彼は、横浜郊外に東京ドーム4個分にもなる広大な庭園「三渓園」を造営する



京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、明治35年頃から造成が始まり、
大正3年に外苑、大正11年には内苑が完成するに至った



特に、三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、
横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が
園内で生まれる

元来、三溪園の土地は、原富三郎(三渓)の養祖父である原善三郎が購入したもの
その広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている



さらに、園内には、国の重要文化財建造物10件12棟をはじめ、歴史的価値のある
17棟の建築物を見ることができる(全て京都など他都市から移築した古建築)

画像は、蓮の花が美しい二つの池の向う、緑濃き小高い丘にある旧燈明寺の三重塔
オイラの秘密基地がある根岸の杜から車で10分!!
ここにくれば喧騒を忘れ、まるで日本画のような四季折々の景観を満喫できる

参考:2014.11.28 撮影 ※紅葉は、12月第1週までが見ごろ

かぼちゃと柚子

2014年12月02日 | ひとりごと・・

暦は「師走」。今年も残すところ1か月をきってしまった
早いもので、12月7日は「大雪(たいせつ)」、22日は「冬至(とうじ)」

大雪とは、そのまま「雪が降り始めるころ」を意味しており、鰤などの冬の魚の
漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころ

また、冬至とは、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日
つまり、日照時間が最も短い日といえる

昔、「日時計」の時代は、地面に立てた棒の影で季節の変化を感じていたが、
影の長さは夏からどんどん長くなっていき、冬にはかなりの長さまでに達する

こうして、その長さが一番遠くまで伸びる日が「冬至」
一方、棒の影の長さが一番短くなる日が「夏至」と定められていた。

そのため、太陽の位置が1年で最も高くなる夏至と日照時間を比べると、
北海道の根室では約6時間半、東京で約4時間40分もの差がある!!

また、今年は19年に一度!の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」
この 「朔旦冬至」とは、新月(朔)と冬至が重なる日で、月の復活と太陽の復活が
重なる日ということで、大変めでたいとされている

冬至といえば、かぼちゃと柚子(ゆず)湯!

冬至は、一年でもっとも太陽の力が弱まる日であり、それ以降は再び太陽の力が強く
なる事から「一陽来復」と言って、この日を境に運が上向くとされている

そして、古来より、さらに運がよくなるようにと「ん」がつく物を食べていたそうだ
これを「運盛り」と言いい、特に運盛りに食べられていたものは、
れんこん、だいこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うんどん、など

これらは「ん」が2つ入る物として好んで食べられていたとされている
では、かぼちゃは?が、かぼちゃには「ん」が付いていない・・・

これは、かぼちゃは漢字で「南瓜」と書く。すなわち、「なんきん」であり、
「ん」が2つ付いているからである

さらに、かぼちゃは夏野菜である
貯蔵が効くので冬まで美味しく食べられるのと、元は南方から渡ってきた野菜

一年でもっとも陰(太陽の力が弱い日)のときに、夏や南の「陽の気」を持つものを
取り入れることで勢いをつける!という意味があるそうだ

それでは柚子は?
冬至に柚子湯に入る由来は、運を呼び込む前に体を清めるといった意味があったから
昔は今と違って毎日のようにお風呂に入る習慣がなかった

そのため、風呂に入ること自体「お浄め」の意味があったという
そこにさらに香りの強い柚子を入れる事によって、邪気を払う!
こういう意味もあった

また、「融通が効く湯治=柚子が効く冬至」
といった語呂遊びの要素もあったと言われている

しかし、ちょうどこのころは「忘年会」の時期と重なる
酔って帰り、風呂にも入らず、そのまま寝てしまう・・・こういうことも度々
ということで、12月22日は“ゲンを担いで”かぼちゃを食べ、柚子湯に入ろう!

ある意味、冬至こそが「1年の始まり」