濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

どすこい!

2007年10月28日 | ひとりごと・・
博多の杜にお相撲さんがやってきた~っ!
※下条アトムのナレーション風・・・に

まもなく九州場所が始まる。
その間、香椎宮は「鳴戸部屋」の宿舎となり、境内には仮設の
稽古部屋が設けられている。

時々、自転車に乗った若い力士とすれ違うが、ご承知の通り、
香椎界隈は道幅が狭いので、すれ違いざま、「椿油」の甘い香りが
プ~ンと漂ってくる・・・

なにかと話題が多い大相撲ではあるが、少しばかり早起きして
稽古を見に行こうかな?

さて、明日から3日間、天皇皇后両陛下が福岡にお越しになり、
県内を巡幸される。

仲間が陛下の側衛官をしており、お互いに忙しくて会う機会は
少なかったが、オイラは度々テレビで彼が活躍してる姿を見る
ことができた。

彼は、陛下がお乗りになる車の助手席に座り、目的地に到着すると
周りの安全を確認してドアを開ける。と、両陛下は彼に軽く会釈して
車をお降りになる・・・

しかし、今年の春、人事異動(昇進)で現場にでることがなくなり、
とても残念がっていた。

オイラも現場が大好き!彼の気持ちがよくわかる・・・

熟した・・・石榴!

2007年10月28日 | ひとりごと・・
隣の奥さんから珍しいものをいただいた。
熟成した石榴(ザクロ)・・・読めねーよっ!

色が似ているガーネットを柘榴(ザクロ)石と呼ぶらしいが、
オイラ、ガーネットという名詞は知っているけど、本物を
見た記憶がなくピン!とこない・・・

さて、物騒な話であるが、ザクロは、人肉の臭いに似ている!
という俗説がある・・・

これは、その昔、お釈迦様が、子供を食う鬼神「可梨帝母」に
柘榴の実を与え、人肉を食べないように約束させた。

以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になった・・・
という故事に由来すると云われている。

因みに、果皮を乾燥させたものは石榴果皮(せきりゅうかひ)
といい、煎じて飲むと下痢止めや虫下しになるという。

しかし、なんでオイラにザクロをくれたんだろう・・・・?

門司港ホテル

2007年10月27日 | ひとりごと・・
ホテルが開業したのは1998年、出来立てホヤホヤのホテルに
泊まり、朝まで部屋から関門海峡を眺めていたことを思い出す。

門司港ホテルは、デザイナーズホテルの先駆けであり、設計は、
福岡の「ホテル イル・パラッツォ」と同じ“アルド・ロッシ”

しかし、1997年、ロッシはミラノで自動車事故に遭い、完成を
見ることなく66年の生涯を突然閉じてしまったという。

彼がイメージした門司港とのコラボレーションはパーフェクト!
門司港ホテルは、そのレトロな街並みとよく調和している。

関門海峡に映る満月・・・

2007年10月27日 | ひとりごと・・
満月の夜、オイラは門司港にいた。

得意先に不幸があり、お通夜に参列後、現地で合流した会社の
スタッフと老舗割烹「まんねん亀」で夕食をとることにした。

週末でもあり、店は混雑、個室は一杯なのでカウンター席へ。
今日は珍しく大将(オーナー)自らが魚を捌いている。

「すんません!席が用意できなくて・・・これサービスです!」

でてきたのは未開封の「森伊蔵」であった。
目の前で開けもらい、ショットグラスに氷をひとつ、
クッーと、一気に飲み干す!

肴は「イカ」と「関さば」のお造り、そして名物の「串かつ」

気がつけば博多へ帰る電車もなくなり、「門司港ホテル」に
予約を入れた。

日付が変わるころ、店からホテルまでフラフラと歩いていく。
のんびり歩いても10分足らず、ちょうどいい距離。

見上げれば満月、思えば遠くにきたもんだ・・・トホホ


脱!メタポリック

2007年10月25日 | ひとりごと・・
香椎の杜にまん丸のお月さま!

1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらに6つに分けた
24の期間を表したものを「二十四節気」といい、昨日、
10月24日はそのひとつ、『霜降(そうこう』だった。

霜降とは、霜(しも)が降り、山の紅葉が赤や黄色に色付く
ころ・・であり、これから“秋本番”を迎える。

さて、10月24日といえば、オイラの誕生日!
しかし、24日は給料日の前日であり、まさにトホホ・・・
だれにも迷惑をかけずに、ひとりで好物を満喫してきた。

それは、「霜降(そうこう)」ではなく「霜降り(しもふり)」
だった・・・

先日、「脱!メタポリ」を宣言したばかり、しかし・・
そんなの関係ねー!オッパッピー!!なのだ!

因みに、次の二十四節気は「立冬」
今年は11月8日がその日。もうすぐ寒い北風が吹きだす・・

ドーナツ公園

2007年10月21日 | ひとりごと・・
香椎の杜からの実況中継を終わり、再び“ヨコハマの紅葉”の話。

いまでも、根岸森林公園の一部は米軍の施設として接収されており、
9.11以降、厳重な監視のもと、猫の子一匹、立ち入りることが
できない。

数年前(とはいえ、10年以上は経つ・・)施設の規模が縮小となり、
不要になった土地がヨコハマ市に返還された。

返還された土地は公園として整備され、その形状が楕円形であること
から「ドーナツ公園」と名付けられた。

ちょうどメインスタンドの裏手にあたり、知る人ぞ知る公園!なので
ある。

ここからヨコハマの市街が一望できる。
高層ビルが立ち並ぶヨコハマの街並みと色付く木々・・・
オイラのイチオシ!なのである。

献茶

2007年10月21日 | ひとりごと・・
香椎宮へ参拝すると、ちょうど本殿で献茶式が執り行われている最中であった。
はじめは「今日は“七五三”のお宮参りが多いなア~」と思いつつ、いつもと
違う雰囲気に観察!?してみると、最前列にお坊さんの姿、そして、本殿の左手
には祭壇がつくられ、そこでお茶のお師匠さんと思われる人物が粛々とお茶を
たてている。

これからはオイラの推測であるが、報恩寺での野点に際し、先ずは香椎宮にて
献茶式を執り行い、これが終わると報恩寺へ移動・・・ということであろう。

日本の伝統文化には決まりごと(ルール)が確立されており、この献茶式も
古式に則ったものなんだろうね。

なんてことを思いつつ、マンションに戻りお茶ではなく珈琲を飲む「ちょい
不良オヤジ」であった。しかし、今日はいい天気だなア~~


二日酔いに効く

2007年10月21日 | ひとりごと・・
いい国つくろう鎌倉幕府・・・・と学生時代に覚えたが、まさに鎌倉幕府が
誕生したその年(1192年)、報恩寺は栄西上人により香椎の杜に建立された。

中国からお茶を持ち帰った栄西上人は報恩寺に篭って自分の将来(方向性)を
考えたのであろう。

それから数年後、栄西上人は時の将軍様にお茶を献上する。
ちょうど二日酔いの将軍様、お茶を飲んだら頭がスッキリ!これがきっかけと
なって日本にお茶の文化が定着したと云われる。

今日の野点は香椎が誇る名水「不老水」が使われるんだろうね・・と、勝手に
想像しながら香椎宮へと向かった。

香椎の杜の報恩寺

2007年10月21日 | ひとりごと・・
ヨコハマの紅葉はひと休み、金木犀(キンモクセイ)の甘い香に誘われ、
似合わないスポーツウエアーに身を包んで、少しだけ早足で報恩寺、
そして香椎宮をお参りしてきた。

香椎の杜の小高い丘の上に報恩寺がある。
マンションから歩いて2~3分もかからない距離。

報恩寺は日本にお茶を広めた栄西上人が開山、庭には日本最古の「菩提樹」
がある由緒あるお寺なのである。

今日は野点(のだて)が行われるのか?庭に真っ赤な毛氈がひかれ、南方流
と書かれた幕が張られている。

金木犀の甘い香が漂うなかでお茶を一服!こういう余裕が欲しい・・・ネっ!

マッカチン!がいる“根岸森林公園”

2007年10月21日 | ひとりごと・・
日本初の「西洋式競馬場」がここにあった。
その名残として当時の一等観覧席(スタンド)が現存しており、
根岸のランドマークになっている。

2月は「梅」、3月から4月は「サクラ」、そして秋は紅葉と、四季
折々に楽しみ方がある。

写真は公園の正面入り口近くから撮影したもの。

さて、春から夏にかけて、休日なるとオイラは公園の中にある池に
「ザリガニ」を釣りにでかける。

これまでの最高は半日で45匹を釣り上げ、近所のガキどもたちからは
羨望の眼差しで見られる「ちょい不良オヤジ」であった・・

因みに、ヨコハマではザリガニのことを「マッカチン!」と言う。


落ち葉の絨毯

2007年10月21日 | ひとりごと・・
ヒャッ!寒っ!
今朝は一段と冷え込んだね・・・

しかし、香椎の杜の上空は雲ひとつなく紺碧の空が広がってる。
放射冷却?日中は暖かくなりそうだ!だけど、まだ病み上がり、
気を抜くとぶり返しそう・・・

さて、写真は根岸森林公園(横浜)で撮った「落ち葉の絨毯」

地に落ちた落葉は乾燥した落葉、いづれ、人に踏まれ、車に踏まれ、
次第に形をなくしていく。

粉々になった落葉はやがて土に還り、新たな命の糧となるんだろうね。
木々が葉を振り落とす景色というのは、多分にウエットな日本の気候
のうちで、珍しく乾いた情景であり、オイラ、落葉が寄り集まって出来た
溜りを踏んづけるのが趣味!?

これって、実に気持ちの良い音が鳴るんだよね。
それにしても、乾いた軽い音っていうのは、どうしてこんなにも 心地よく
耳に響くんだろうか?

えっ?トホホは「濡れ落ち葉」のほうが似合うんじゃねーかって?
でもそんなの関係ねーっ!!オッパッピー!


山手公園

2007年10月21日 | ひとりごと・・
1870(明治3)年、神奈川県庁が外国人のために貸した土地に
開園した日本初の洋式公園。

1878年にはレディースローン・アンド・クロッケークラブ、
現在の横浜インターナショナルテニスクラブが、この地に五面の
テニスコートを開き“日本のテニス発祥の地”として有名。

敷地内にある「日本庭球発祥の地」碑は、これを記念したもので、
園内には横浜山手テニス発祥記念館がある。

しかし、イタリア山庭園もそうだが、ここもあまり知られていない。

さて、クラブハウスをかねた木造1階の「山手公園管理事務所」は、
当初は、山手68番の奥まった位置にあり、震災後に建てられた
外国人向け賃貸住宅の1つだったという。

平屋建で下見板張りと開放ベランダをもつバンガロースタイルの
源流をとどめ、昭和61年に移築され、現在では、美しい白壁が上品な
たたずまいを見せる。

山手公園内のテニスコートのクラブハウス(管理事務所)として
再利用されている。

因みに、ここには桜並木があり、「サクラの名所」でもある。

外交官の家

2007年10月21日 | ひとりごと・・
建築主は内田定槌(さだつち)といい、ニューヨーク総領事や
トルコ特命全権大使を勤めた明治政府の外交官であることから
「外交官の家」と呼ばれている。

設計者は、アメリカ人のJ・M・ガーディナーで、立教学校の教師
として来日、その後、建築家として活躍した。

喫茶室が隣接してあり、手入れの行き届いた庭園を眺めながらの
お茶(珈琲)をするのもよし。

ブラフ18番館

2007年10月21日 | ひとりごと・・
イタリア山庭園の下方にある。
というより、庭園のほとんど敷地内にある。

ブラフ18番館は、関東大震災(1923)の後の大正末期、
山手45番に建てられた木造2階の外国人住宅。

戦後、カトリック山手教会の司祭館として平成3年まで
実際に使われていたが、同年11月に解体されることに
なっていた。

しかし、横浜市が歴史的建造物として保存することになり、
現在地の旧山手居留地18番に移築・復元された。

なお、現在は資料館として保存、開放されている。
※入館無料!

この庭には大銀杏があり、黄色に色付いた銀杏と洋館との
コラボレーションが最高!

因みに、ブラフとは「山手」という意味であり、ヨコハマの
山手には「ブラフ歯科」とか「ブラフ不動産」というような
看板を見ることができる。

ヨコハマの紅葉スポット!

2007年10月21日 | ひとりごと・・
今年は夏が長かった!そのせいで紅葉の見頃が遅れて
いるという。

さて、ヨコハマにも隠れた“紅葉スポット”があり、
去年、オイラが撮った写真とともにお奨めのスポットを
紹介する。

しかし、誰にも教えないこと!
有名になると人が多く、雰囲気が壊れるから・・・

まずはイタリア山庭園から紹介する。

山手にある「外人墓地」や「港の見える丘公園」は有名、
しかし、その先にある「イタリア山庭園」まで足を運ぶ
観光客はほとんど皆無・・・だと思う。

イタリア山庭園は、一時期、イタリア領事館がこの地に
あったことから名づけられ、花壇に噴水、小川、階段状の
テラスが配置された西洋式庭園なのである。

ここからヨコハマの市街を一望でき、これから空気が乾いて
くると富士山がきれいに見える!

そして、庭園の近くにはレトロな洋館「ブラフ18番館」と
「外交官の家」がある。