濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

色川と噺家さん

2007年05月31日 | 浅草(三社祭)
笑三師匠は、落語芸術協会の重鎮(理事)であり、色川の大将によると、「師匠は巧いよ、こないだ寄席を見に行ったけど、見事だねー、しかし、正蔵はまだまだ修行が足んねーな、こないだも説教してやったよ」で、一方、笑三師匠は、「色川さんの江戸弁を聞くと文治さん(10代目 桂文治:正調の江戸弁を使い、演芸ブームでテレビ・ラジオに多く出演した)を思い出すねー、最近は正調の江戸弁を話せるひとは少なくなったから淋しいよ・・」てなことで、師匠が浅草に出演していれば必ず色川に立ち寄るほどの“色川ファン”なのである。さて、9代目 林家正蔵(こぶ平)師匠であるが、お父さんの三平さんが大の色川ファンであり、生前は色川を贔屓にしていた。そのころ、こぶ平君はまだ子供、お父さんのお供でちょくちょく色川に来ていた。しかし、当時から、色川の大将の勢いに圧倒され、「色川の大将は怖いっ!」というトラウマ(ビビリっ!)から、一人前になってからは別の鰻屋を贔屓にしていた。しかし、ある日、大先輩である笑三師匠のお供で色川を訪れ、大将から、「久しぶりじゃねーか!まだ噺家してんのか?」なんてジャブを飛ばされ、師匠からも、「三平さんが大事にしていた店なんだから」とお叱りを受け、ここ数年は色川通いをしている。昨年、TBSで正蔵師匠が思い出の場所(店)を紹介する番組があり、浅草を訪れた正蔵師匠、色川の前で「ここの鰻は最高だけど、親父さんが怖いんだよね・・・」とビビッている姿が放映された。ところで、「こぶ平」は誰が継承すんだろう?誰も継ぐ者がいないんだったら、オイラに2代目「こぶ平」を襲名させてくれっ!!

雷門 うなぎ “色川”

2007年05月31日 | 浅草(三社祭)
5月24日(木)、その日はシステムトラブルもなく、オイラを乗せた全日空機は、定刻前に羽田空港に到着した。羽田から京浜急行に乗り、そのまま浅草へと向かった。浅草に着いたのは色川の開店前、すでに店先には夕方5時の開店を待つ数名のお客さんの姿。オイラは勝手口から店に入る。「ちはっす!」「おう、どうした?会社クビになったか?」「出張で上京したんで栄養をつけようと思って」「へエ~珍しいね、おっ、5時になったな、鍵を開けてくんねーか」オイラも店の従業員じゃないのに、「お待ちどうさまでした!」って、作り笑顔でお出迎え。あっというまに満席。ここから大将の独壇場・・「すみません、一番高い筏(いかだ)と特上との違いはなんですか?」表情ひとつ変えずに大将が応える。「違いって?まずは気合が違うよ」想定外の答えに動揺する客、「・・・・じゃ、気合が入った筏をお願いします」「ん、いいのかい?高いよ、帰りの電車賃は大丈夫か?」また、熊本から地図をたよりに来たという客「テレビで見てきました!」「ん、テレビ?あんなのは当てになんないよ、連中は不味くても旨いっ!いうからね。それでもよけりゃ・・」なんて会話が行き交い、で、ようやくオイラの番、「なんか飲むか?」「日本酒をお願いします」「ん、面倒だから常温でいいだろう?」「ハイっ」・・・久しぶりに、肝焼き、焼き鳥、そしてメインの白焼きを食する。旨い。誠に申し訳ないが、文章じゃ表現できない旨さ。さて、写真は「浅草演芸ホール」のプログラムの表紙絵。先々週、三社祭のときにはなかったけど、今回、さりげなくカウンターの隅に置いてあり、「コレ、どうしたんですか?」「三笑亭笑三(しょうざ)師匠が描いたもんで、こないだ本人が持ってきてくれたんだよ。なかなかいい絵だよな?」「なかなかというか、相当いいですね!うなぎ屋さん?どこの店がモデルなんですかね?」「・・・・色川って書いてあんだろう!老眼か?」素早く眼鏡をはずし、「あっ!本当だっ!」ってんで、眼鏡をはずしたほうがよく見えた!という、誠に情けない話・・・とほほ・・

Yokohama 貴婦人

2007年05月29日 | ひとりごと・・
海の貴婦人と呼ばれる帆船「日本丸」、現役を引退した初代がみなとみらいに係留されている。もともと東京商船大学の練習船であり、オイラの仲間もこの帆船でハワイなどへ遠洋航海にでかけている。以前、そいつが「航海中、船室のベットに自分の名前をナイフで刻んだ」と告るので、奴とともにそれを確認しにでかけてみた。そして、ついにそれを発見!ある意味羨ましさを感じたメタポリオヤジ・・であった。良い子は真似をしないように!


Yokohama 秘密基地

2007年05月29日 | ひとりごと・・
探偵事務所「ホームズエージェンシー」がある倉庫。ハマが舞台のTVドラマ「喰いタン」のロケ地。ドラマでは、いかにも港町“ヨコハマ”的な風景が随所にでてくる。本当は、カスタムカー(バイク)のショップであり、小金をもった怪しげなオヤジ連中が自慢の車を並べてたむろっている。ある意味、オヤジ達の秘密基地かも?

みなとみらい

2007年05月29日 | ひとりごと・・
先週も所用で上京してきた。金曜で仕事が終わり、週末はヨコハマでのんびり過ごすことができた。しかし、ハマッ子としては世界の情勢が気になり、久しぶりに、元町、中華街、赤レンガ倉庫、みなとみらい・・をパトロールしてきた。しかし、たった数ヶ月でビルが建ったり、なくなったりと、景色が変わるものですなあ~~さて、みなとみらいで空を見上げてみた。そこで一句、「天高く、また肥える夏」とほほ


宮内庁御用達!

2007年05月29日 | ひとりごと・・
というか、政府専用機である
先々週、メタポオヤジは三社祭で上京、二日間、無法地帯と化した浅草でハジケまくり、
すっかり疲れ果ててしまった

最期の気力を振り絞り、羽田空港に到着。ふと見ると夕暮れのなかに専用機を発見!
「激写」したのがこれだっ!!
翌日、天皇皇后両陛下がこれに搭乗されてバルト3国へと向かわれた

さて、これまでも何回か見かけたがことはあるが、こんなに近くで見たのは初めて
通常は新千歳(北海道)に駐機されており、確か、2機あったと記憶している

さて、政府専用機といえば、かれこれ10数年前、釧路から新千歳までプロペラ機で移動したときの話
HACという道内だけを運行している航空会社がある。季節は夏、ちょうど台風が接近しており、
当日はJAS・JAL・ANAなど、大手の航空会社はすべての便が欠航していた

しかし、HACだけは飛ぶという。よほど電車で移動しようか?と迷ったが、それじゃ仕事に間に合わず、
やむを得ず搭乗することになった。いよいよ搭乗、そこで判明したのは・・・
オイラが搭乗するのはプロペラ機であるということ

プロペラ機初体!!脚立の親戚程度のタラップから機内へ
すると1名しかいないスッチー(CA)がオレンジ色の救命胴衣を装備してお出迎え
出だしから嫌な感じ。やがて、機内は勇気ある乗客で満席になった。といっても、定員は20名ほど

誰もが不安を隠そうと備え付けの雑誌なんかを読んでいる
しかし、内心はドキドキであったと思う。オイラの隣には色っぽい女性客
オイラも、見栄を張り、目一杯!冷静を装って機内誌を読んで過ごした・・・

するとHACの機長を紹介する記事が目にとまった
記事は、「当社、石川○○さんはHACの取締運行部長であり、いまも現役で機長を勤めているとある
以前、石川機長は政府専用機の機長として活躍していた」という内容であった

さて、いよいよ機体は滑走路へと向かうのであるが、機内アナウンスで「本日の機長は石川・・」
すぐさま、ベルト着用を点検にきたCAに機内誌の写真を指差し尋ねてみた「機長はこの方ですか?」、
CAは、「ハイ、当機の機長です!日本を代表するパイロットです。ご安心ください」

しかし、オレンジ色の救命胴衣を装着してる奴の言葉に説得力などあるはずがない!
やがて小さな機体はフラフラと上昇、それから約40分間、遊園地のアトラクション並みのサービスが始まった
まるで北風で舞う木の葉のように。右に左にグーラ、グラ。始めの3分ほどは冷静を保っていた

しかし、徐々に傾く角度が大きくなっていく。いよいよ我慢できず、足をガバッとM字開脚!
両手で前の座席の背もたれをグッと抱え込み・・・
隣を見ると色っぽいネーさんも同じ姿であった

その姿勢のまま新千歳空港に無事着陸!地上に降り立ち、コックピットを見てみると・・・
機内誌の写真と同じ顔がそこにあった。その日、道内で運行したのはこの1機だけであり、
よほど石川機長の腕前だからこそ飛べたんだなあ~という話

久しぶりなので、つい!長編となってしまった。最期まで読んでくれた人、本当にありがとう!
途中で止めた人、クラッ!くらすぞっ!!

三社祭・・乗る乗らないで“大騒ぎ”

2007年05月22日 | 浅草(三社祭)
神聖な御輿に乗るのはけしからん!ここんとこ毎日のように報道されているけど、いいじゃねーかよ、乗り過ぎるのはまずいけどサ。「鳶(とび)頭」が御輿に乗り、扇子一本で調子をとり、みんなの息を合わせたの始まり。近頃はヤクザ屋さんが乗るようになり、それぞれの団体(組)毎に「俺んとこも頑張ってるぞっ!」と張り合うようになった。で、乗る連中も必死で、あんまり下手くそだと「みっともねーぞ!降りろっ!」と罵声を浴びることになる。それでも降りないとペットボトル、草鞋(わらじ)、小石などが投げつけられる。いかに粋に乗るかが重要。初めて乗る奴は、三社デヴューに向け、事前に栃木とか群馬だとか、人目につかない関東近郊の田舎祭りで練習してくるらしい。しかし、いきなり数万人の前じゃ足も震えるだろう。近頃は粋に乗る奴が少なくなった。

三社祭・・辻和子さん

2007年05月22日 | 浅草(三社祭)

三社祭は浅草の正月、「よっ!久しぶり、元気だった?」
「相変わらず、ちっとも変わんないよ」

なんて会話があちらこちらで交わされ、路地を歩けば懐かしい顔に出会える
今年、数年ぶりに辻さんとお会いできた。辻さんは神楽坂の売れっ子芸者さんだった

そして、田中角栄さんと出会い、共に数奇な運命を歩んできた人である
詳しくは辻さんの著書「熱情」を見てほしい。「お元気そうで、何かお飲みになりますか?」
「お祭りだし、おビールでもいただこうかしら」
「私は深川の下町の生まれ。だからお祭りは大好きなの」来年も元気な姿を見せてほしい

三社祭に期待の大型新人登場!!

2007年05月21日 | 浅草(三社祭)
小山弘訓(こやまひろのり)君、勝ちゃんが所属する事務所の後輩、最近は役者として「救命病棟24時 (フジテレビ)」などに出演、CMでは「日清食品の夏のラ王 」、「三菱自動車・三菱とことん感謝祭」などに出てる。たっぱ(身長)もあり、勝ちゃんにまけないぐらいのガッツがあるし、礼儀正しい好青年である。今年、色川の大将にスカウトされて参戦!すっかり三社の魔力!?にハマってしまったようだ。

三社祭シャーッ!

2007年05月21日 | 浅草(三社祭)
色川と染め抜かれた「半纏(はんてん)」、なかなかこの半纏に袖を通すことができない。色川の構成員!?は約100名程度いるけど、名入りの半纏で御輿を担げるのはわずか30人ほど。三社祭で御輿を担ぐためには、各町会の印半纏を着用することが大前提であるが、なかでも色川のネームバリューは浅草でもトップクラスである。会社社長、塾講師、教師、警察官、デザイナー、タレント、役者・・・オイラの場合、特待生扱いで大将からスカウトされたわけで、大リーグの松坂と同じような扱い!?そんな仲間に勝ちゃんがいる。色川組の構成員になってから、かれこれ5年ぐらいになるだろうか?テレビでみる勝ちゃんそのまま、すばらしくガッツ!がある。月曜は“笑っていいとも!”のレギュラーだけど、今日はかなりの筋肉痛のはず・・頑張れっ!

三社祭

2007年05月21日 | 浅草(三社祭)
念願が叶い、三社祭に行くことができた。これで27年連続!さて、今年の三社祭、浅草は人、そして人・人・人・・どこから湧いてくるのか?というほどの人出。その理由は、今年、マスコミは、「三社祭の御輿乗り禁止!」とか、「三社祭、数名が御輿に乗った!」と騒ぎ立て、これに誘発された見物客が大挙して押しかけてきた。と、オイラは勝手に考えたが、あんまり参考にならないので悪しからず。で、今年も雷門の老舗うなぎ屋「色川」の大将にお世話になってきた。大将であるが、今年も御輿運行の総責任者。ということで、大将の補佐役としてオイラなりに大活躍してきた。そのためか?年々、御輿を担ぐ時間が短くなっている。ことしは二日間で10分も担げただろうか?とにかく、2千人以上の担ぎ手を二人で捌(さば)くわけで、終始、大声を張り上げ、それでも言うことを聞かない連中は強制排除!とにかく、雷門の名に恥じないよう、今年も「粋」に御輿を運行させることができたぜっ!満足!!

今日から三社祭・・・なのに

2007年05月18日 | 浅草(三社祭)
浅草っ子にとって、待ちに待った三社祭が今日から始った。彼らにとって三社祭は「正月」であり、明日、土曜日の「連合渡御」が晦日で、日曜の早朝に執り行われる「本社御輿の宮出し」をもって元日を迎えるのである。オイラがお世話になっている雷門の色川さん。この時期になると新聞、テレビ、雑誌などからの取材が殺到する。そして、必ず、「三社祭は下町の人間にとっちゃ正月みたいなもんだよ」と答えている。オイラも、心意気だけは浅草っ子!のつもり。なのに、いまも博多で仕事中・・・マジでトホホ!だよっ