ベイの清さんが言っていた
「多くの選手はクビを宣告されて野球人生を終える。俺は引退試合ができる選手を育てたい・・・・」と
しかし、引退試合ができる選手はほんの一握り
横浜一筋!あの金城でさえ断腸の思いで巨人へ移籍せざるを得なかった
さらに、ソト、ブランコも放出!と書かれている
少しばかり調子を落とせば簡単にバイバイってか?そりゃねーよ!
若い選手を育てる?だけど、功労者を大事にしない球団ってーのは情けないよ
終身雇用とは言わないが、選手、そして応援するファンの心情も考えてほしい
2013年10月8日、横浜スタジアム
その日、最終戦となった阪神戦は、今シーズン限りでの引退を決めた小池の引退試合
4回に今季第1号となる2ランを放つと、8回にもこの日2本目のアーチ!!
「まだいけるじゃん!!」
有終の美を飾った
ファンからの万雷の拍手と大歓声の中、小池は涙ながらにベースを一周した・・・・
そして、ベンチに戻るとチームメイトの温かい祝福が待ちかまえていた
なかでも、小池が青春時代を過ごした横浜高校の同級生である後藤武敏と4学年上の
先輩である多村仁志は、自分のことのように涙を流し、小池を向かい入れた
そこには3人にしかわからない想いが交錯していた
小池は生粋(きっすい)のハマっ子だ
横浜スタジアムからほど近い保土ヶ谷区出身で、中学時代は中本牧シニアで活躍し、
横浜高校に進学。高校時代は松坂大輔らとともに甲子園春夏連覇を達成した
1998年のドラフトで横浜ベイスターズから6位で指名され入団
横浜に対する愛着は誰よりもあると自負している
引退は、小池自身が決断した
腹が決まると、チーム内で一番仲のいい後藤と多村を食事に誘い引退を伝えた
「ふたりにはこれまでのことを話しました」
「そしてふたりに『もし他球団に行ったら、僕はまだやれると思いますか?』と訊いた
すると、ふたりは真剣に考え、そしてしばらくして、
『正直、厳しいと思う』と言ってくれたという
「ふたりとも無責任なことは絶対に言わないし、はっきりと答えてくれたおかげで、
気持ちが固まりました」と小池はいう
現在、小池さんは横浜DeNAの一軍打撃コーチ
第二の人生ですべきことは、横浜への恩返しだという
「横浜愛」を持って、自分が在籍した時には成し遂げられなかった頂点を、選手たちと
ともに目指していると
どうか、頂点もさることならが、自身のようにハマスタで「引退試合」ができる選手を
育ててください
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