Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

正しいということ

2006年09月17日 | Blog徒然草
正義の女神は天秤と剣を持っていますね。
正義とは、まず利益較量だということを表しています。したがって完全な善も完全な悪もないことは周知のとおりです。
正義の問題はさまざまなイシューについて多くの立場のバランスによって決まります。
バランスをはかるとき、社会の利益と個人の利益を単純に比べると社会の利益のほうが重く判断されがちです。
そこで法は、社会全体の利益という捉え方はせずに、個人の利益と対立する別の個人の利益とを較量する方法を思いつきました。
その際どちらの利益を守る時、より他の利益が得られるか、逆に、犠牲にすることによりどのくらい不利益が生じるか、またその不利益は回復可能か、などの観点から、いろいろ考えて判断します。
イェリネックという人が、「法は道徳のホーン岬」などと言ったのですが、法によって道徳を強制することは現代民主主義、価値相対主義の立場からはもう出来ません。
したがって、さまざまな社会活動は遊戯(ゲーム)ととらえ、法は単なるゲームのルールに過ぎない、という捉え方が、刑法の分野においても有力になっています。
人生なんて、ただのゲームさ、みたいな、醒めた、ニヒルな捉え方を法はしているんです。こんなとこも法にはあるんです(*^_^*)
コメント
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